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【小説】単に押し付けられるのが嫌いなだけの女

 私は、メイクが好きだ。時間をかけてベースを整え、一つずつ綺麗に色を重ねて、似合う配色や好きな配色を探求して、見事に仕上げた顔面は写真を撮って永久保存する。
 その日の気分によって、色を変えたり、形を変えたり。筆の置き方ひとつとっても、印象はがらりと変えられる。TPOに配慮して、そして自分の心を無くさないために、丁寧に丁寧にメイクを仕上げていく。この朝の時間が、私にとって代えがたい幸福なのだ。

 それでも、最近はメイクを仕上げた後に憂鬱になる。仕上げたメイクをすべて落としてから出社しようか、とすら考えてしまう。
 数十年前からは考えられないような世間の流行に、真っ向から反対して生きていくには、私は少し弱いから。いや、強くなるための武器を取り上げられたのに、強くなんていられない。

 単に、女性が生きやすくなるために、社会常識に立ち向かっている運動だった。女性の権利を訴えていたその運動は、今までの日本社会では考えられないスピードで、様々なものを変えていった。
 最初に、パンプスが消えた。歩きやすくなるから。
 次に、制服のスカートが消え始めた。気を付ける心配が減るから。
 そうして、メイクも消えていった。朝から時間に追われずにすむから。
 したくない人は、しなくていい。なんて、素敵な社会になったんだ!と喜んだのもつかの間、思わぬ弊害が現れた。

 今の世間は、女性のことを思いやった運動が実を結んだ結果だ。文句を言うつもりはない。実際、寝坊したりどうしても化粧乗りが悪い日だってあるから、『義務』でないというのは嬉しいことのはずだった。
 突出すれば、叩かれる。過去何百年と続く日本人の性だ。でも、この手のひら返しはさすがに呆れるしかない。
「メイクしているなんて前時代的。」「してない人への当てつけ。」「一人だけモテようとしてる。」だなんて陰口が発生した。女性陣からの僻みだけならまだしも、男性陣からも「やっぱメイクしてる方が可愛いね。」や「男にモテたいからオシャレしてるんでしょう。」とかのセクハラじみた発言をされることもある。

 どうして今私は生きづらいんだろう。いつからメイクが楽しめなくなったんだろう。
そもそも、いつ私はメイクが好きになったんだっけ。どうして、楽しいんだっけ。楽しくないなら、しなくていいのに。
苦しくなってまで、朝から時間使ってたら、本当に馬鹿みたいじゃないか。
あぁ、うるさい。うるさい。ジリジリ、ベルの音が。
ベル?止めなきゃ。目覚まし。あれ?


 夢落ち、ってか。鳴り響く目覚ましを見ながら、失笑する。
 朝食もそこそこに、鏡台の前に座って『会社のための』メイクを始める。
「禁止にしても義務にしても、強制されてると、ぜーんぶ嫌になっちゃうんだから、人間って面倒くさいよねぇ。あぁ、いや、私が、か。主語広げたらイカンからな。」
 さっきまでの、寝不足顔色最悪女は消え失せ、そこそこ血色の良い健康そうな奴が鏡の中から微笑み返してくる。これだけ武装をしたなら、何を言われても傷つかなくて済みそうだ。良かった、よかった。

 大きく息を吸い込み、これからの一日に思いをはせる。一つでもいいことがあればいい。例えば、メイクが崩れなかったとか。パンプスだったのに足が痛くならなかったとか。電車で座れたら万々歳。

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