見出し画像

母の時代、15の春は泣かせない

私の時代の高校入試の話です。
今、私が住んでいる所=私が育った場所の話。
所変われば制度も変わるから
一般的な話ではありません。
時代の空気感が似ていたら幸いという程度で
お読み下さい。

公立高校入試で不合格は殆ど無かった。
同じ中学の同級生で1人とか2人とか。
一学年の人数が今より2倍いた時代なのにです。
まだ学習塾が少なくて、
学習塾に行っている子が少数派でした。

どうして?かというと
学校の中で調整があったようなのです。
当時は
「15の春は泣かせない」
のがお約束としてあった。
学習塾が今のように機能していないので、
模擬試験は学校で全員が申し込んで受けた。
データは学校が管理して個人懇談に利用された。個人懇談の席では
「この成績だとこの高校に行ける、
あの高校は行けない」という話になり、
成績だけで決められた行きたくない高校に
行くことになる子もいました。
最後の個人懇談で高校を決める時には、
行きたくない高校であっても
決めるように話し合われて、
時間オーバーするまで話し合い、
泣いている同級生を見ました。
だから殆どの子供が合格する。
しかし行きたくない高校だったので
中退する子もいました。

後に、いつからか
そのやり方がよくないという話になり
入試の際に
子供の意思を尊重する動きが出たようです。
しかし進路について子供の意思を尊重し過ぎて
何も言わなくなりました。
学校はただ頑張れとしか言ってくれない。

そこへ学習塾が進路指導を親身になって行い
志望高校合格を宣伝することになり、
学校がやっていた調整と
模擬試験のデータを扱う事は
学習塾が担うようになりました。

そして娘の入試へ向かうのです。





(注)
これはある地方のある地区の高校入試について、親目線でどう映っていたかという話です。
過去の話ですが関係者に迷惑にならないよう
ぼかして書いております故、
場所の特定はご遠慮下さい。
事実とは違う部分があるかもしれませんので
ご了承ください。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?