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血道 第三部 苦しみの連鎖②

 樹音は大山美国を車いすのまま、自宅に連れて行った。あいにくとバリアフリーではないので、階段では樹音が抱えて上るしかなかったが、ぞっとするほどやせた彼女は簡単に運ぶことが出来た。
 今、大山美国は客間に隔離している。清めて、『何か』から見えないように閉ざした場所。
 完全に安全とは言いがたいが、相手の正体がわからない以上、手元に置いておく以外の手は打ちにくい。
 帰宅した樹音は、自室にこもって大山美国から受け取ったカウンセリング記録や、心理検査の結果を総ざらいした。彼女は退院に際して、自分で樹音にそれらの情報を渡してくれた。
 記録を読むのは専門だ。
 乾いたノックの音に、樹音は我に返った。
 コーヒーテーブルの上に置いた時計は、すでに六時を指していた。一瞬、朝か夜かも分からなくなる。
 病院から大山美国を連れて来てから、数時間は経っていた。
「あの、樹音さん、コーヒー飲みますか?」
 控えめに、光里の声がした。
 樹音は、ハンギングチェアに座ったまま、「どうぞ」と入室の許可を与える。
「失礼します」
 そっと光里が部屋に入ってくる。
 そして、ハンギングチェアの中で器用に胡坐をかいて寛ぐ樹音に、きょとんと目を丸めた。
 繭を吊るしたような形をしたハンギングチェアは、樹音の大のお気に入りだ。一日の多くの時間を、この椅子に座って過ごしている。
「コーヒーテーブルに置いておいて」
「あ、はい……」
 樹音の部屋には、壁一面に本棚があり、ダブルサイズのベッドと、このハンギングチェアとコーヒーテーブルのセットがあるだけだ。
 以前はこの部屋には大きめのデスクを置いていたが、病院を辞めた瞬間に捨てた。本棚には精神医学の専門書が並んではいるが、それ以外に樹音が病院に勤めていた痕跡はない。医師免許も、本棚のどこかに押し込んだままだ。
「これ、香菜子先輩が」
「ん、ありがと」
 コーヒーとクッキーがのった小さなトレーを、光里はそのままコーヒーテーブルに置いた。
「何を読んでらしたんですか?」
「君のお姉さんの心理検査の結果とか、カウンセリング記録とか」
 差し入れを置いても、光里は立ち去る気配がなかった。樹音は光里を見上げた。
「どうしたの?」
「樹音さんも、霊感とかある人なんですか?」
「おれ? ないない、香菜ちゃん以外誰もないんじゃないかな。変な話、みんなただの医者だよ。ん~~でも、何もないってわけじゃないかな」
「どういうことですか?」
「例えばだけど、さ、はじめて行った場所で『なんだか分からないけど、なんだかここ嫌だな……』みたいに感じることってないかな?」
「あ、それは分かります。あります」
 その感覚は光里にも分かった。
 ひとり暮らしのマンションを探した時、物件情報では一番気になっていた部屋は、なんとなくいやな気がして、そこは諦めた。
 食事のために入った店が、雰囲気も悪くはないし、店員もしっかりとしているのに、どうしてか居心地が悪いこともあった。
 よくテナントが変わる店なんかもそうだ。立地も悪くない、条件はよさそうに思っても、いつの間にかテナントが入れ替わっている。
 光里が挙げたいくつかの例に、樹音は頷いた。
「おれね、そういうの全然ないんだよね」
「え……?」
「だから、君たちが感じる、恐怖というものを、根源的に理解できてないんだと思う。なんなら、痛覚もものすごく鈍い。単純骨折くらいじゃ、気づかないんだよね」
 家系的に、樹音の家には痛みに強い──それを通り越して、痛みをほとんど感じられない人間が生まれる。樹音は特にそうだ。
 感覚が鈍い、それは、人間として何らかの欠落と問題がある。痛みを感じられないせいで、樹音は何度も物理的に生死の淵に立つほどの大けがをしたことがある。もっと慎重な性格をしていれば違ったのかもしれないが、ある意味で刹那的で、ある意味で頓着がなかった。
 自分がどうなろうと、それは自分が決めることではない。もっと上の、樹音が見ることのできない神というものが決めることなのだろう。
 そうぼんやりと感じている。
「それって、危なくないですか……」
「危ないね~。だから、香菜ちゃんと同居してんの、お母さんたちが心配してね。香菜ちゃんのことを過保護にしてるってのもあるし、おれは不肖の息子なんですよ」
「……仲がいいんですね」
「まぁね。悪くはないと思うよ。家族全員が均等に香菜ちゃんにしか興味ないし」
 樹音がそう言うと、光里がくすりと笑った。
「香菜ちゃんが言うには、おれはゴムなんだって、絶縁体。ゴムは電気を通さないじゃん? おれもそう。香菜ちゃんが何か悪いものを持って帰ってきても、おれが招き入れないから、弾くんだってさ。香菜ちゃんから振り落としちゃうらしい」
 確かに、ゴムは電気を通さない。この世にないと定義すれば、存在はしない。
 昔からそうだった。香菜子は兄の中で一番年が近い樹音を頼ったし、樹音も香菜子の面倒を見るのは嫌いではなかった。
 樹音も香菜子も、狂気がそばにあることに慣れていた。この世のものも、そうじゃないものも、すべて。
「自分が感じることが出来ないから『怪異』を調べているんですか?」
 光里が尋ねる。
「香菜ちゃんから、なんか聞いた?」
「……いえ、気になるなら、本人に聞けって言われました」
「なるほど~。そういうことか」
 少しの間、樹音は天井を仰いだ。
「ほとんど覚えてないんだけど、おれは三歳のころ、営利誘拐にあってね」
「え……?」
「犯人は、両親を脅迫したわけだよ、息子を返してほしくば金を払え、警察には通報するなってね。両親は確かに黙ってた。ただ、家政婦の知り合いだっていう、ある占い師を紹介されたんだ──その人が、香菜子の本当のお母さん」
 香菜子は、養女だ。香菜子も知っているし、別段隠してはいない。
 ただ、光里は明らかに狼狽していた。
「その占い師の人は、見事、おれがいる場所を透視して、こっそりみんなで救い出し、一件落着、おれは無傷で犯人逮捕。ここまではよかったんだけどさ、十年後、その人は亡くなった、まだ五つくらいの香菜ちゃんを遺して」
「……そんな」
「うちの両親は、迷わず香菜ちゃんを引き取った。おれの恩人だったし、香菜ちゃんが生まれてからは家族ぐるみで付き合いもあったから」
 香菜子は子供のころから、泣きじゃくっていた。見えないものを見、聞こえないものを聞いた。
 一人で残された香菜子が養護施設に行って、うまくいくわけがないと当時中学生だった樹音さえも思ったほどだ。
 だから、両親が兄弟三人に、香菜子を引き取ると宣言したとき、誰も反対しなかった。
「おれはさ、自分を助けてくれた人が見ていた世界を、知りたいんだと思う。探偵になったのは正直なりゆきだけど、このビル、実家の持ち物だし、でもそうだなぁ……香菜ちゃんのお母さんにあこがれたのかもしれない。おれを助けてくれたから」
 覚えている。香菜子によく似た、よく笑う人だった。明るくて、香菜子と一緒に遊びに来てくれていた。
 あの人は、死んだ。事故死だったと聞いている。香菜子は助かり、親は亡くなった。
「まぁ、そんな感じだよ。なーんも高尚なことなんてない」
「十分、高尚だと思います」
「ありがと」
 会話が終わった。
 それでも、光里が立ち去らない。樹音は笑った。
「君は、お姉さんは何の病気って聞いてる?」
 どうせなら、まとめて話をしておこう。
 そう考えて、樹音は光里に尋ねた。
「きちんとは……ただ、拘禁反応かもしれないと」
「で、ど? 香菜ちゃんの後輩ってことは、君も心理学科でしょう? どう思う?」
「心理職は、診断をつける立場ではありません」
「よくしつけられるね。臨床現場では百点。でも、ここではゼロ点。おれは君の意見を聞いているから。医者としての質問じゃない」
 拘禁反応と診断がついていることは、現時点で合理的な判断だ。
 当初の見立てである統合失調症疑いは完全にひっくり返っていた。彼女は明らかな幻聴に苦しめられているが、させられ妄想や、奇想化声──自分の思考が声になって聞こえる──という、中核的な統合失調症の症状は発現していない。
 投薬も三か月以上行われているが、新しい幻聴が発生したとなると、改善のきざしはない。服薬調整は時間がかかるものだが、だとすれば、彼女は理路整然としすぎている。
 激しい自傷、声、音……。
 統合失調症は精神疾患の中で、投薬が有効な脳の疾患だ。
 光里は、恐々と口を開いた。
「以前言ったとおり、祟りだと思っています」
「祟りねえ……元々君の家って、信心深い?」
「普通です。お葬式とか法事の時はお坊さんを呼びますけど、近所の神社の氏子ですし、クリスマスもお祝いします。そういう意味では、特段信心深いわけではないと思います」
「じゃあ、座敷牢に入れられていたのは、どういう人か聞いたことは?」
「……いえ……昔、祖母の末の妹が入ってましたけど、俺は顔を見たこともないんです」
「顔を見たことがない?」
「男は座敷牢には近づいてはいけなかったので、いつも姉か母がお世話をしてました。なので、最初で最後が葬儀です」
「……そう……なるほどね」
 精神病は、新しい病気ではない。定義されたのが近年なだけで、当然ながら、昔から存在していた。
 ギリシアの医学者ヒポクラテスが、従来あった『悪霊の仕業』である、ということを否定し、脳の病気であるとした。その頃にはすでに、ギリシアという狭い範囲ではあるものの、医学として対処されていた形跡がある。
 ただ、そのあと、宗教的な事情や、政治的な事情で精神病は、また『魔なるもの』の仕業であるという認識が世界を覆い尽くす。
 日本でも、同様に古来から精神病は『狐憑き』などと呼ばれていた。
 その治療のための施設がつくられるようになったのは江戸時代のころだ。岩倉大雲寺の井戸や滝の水は、元々は眼病に聞くと言われたが、後三条天皇の皇女の狂気が治ったとして、江戸時代元禄ごろには人が殺到するようになる。かの有名な忠臣蔵、赤穂浪士たちの討ち入りが起きた頃。世は戦国から、太平の世に移っていた。
 明治に入ってから、岩倉大雲寺は、岩倉癲狂院として組織化し、病院と療養所をつなげた利用のためのコロニーを立ち上げた。大きく言えば、これが日本の精神医学の走りだった。
 ただ、いまで言う精神病院に当たる、癲狂院が作られたのは都市部に関してのみであり、日本全体を見れば数が足りていたわけではない。そうして不足分を補うために作られた仕組み、それが精神病者看護法──いわゆる『私宅監置』だ。
 家人に、病人を看病させる。しかし、相手は精神病患者であり、当時は向精神薬の類は何一つなかった。しかも、私宅監置を許可し、監督する者は医者ですらなかった。私宅監置の許可や巡回を行ったのは当時の内務省──警察だ。つまり、治療目的ではなく治安維持のひとつとして、私宅監置は行われた。
 できる措置は『危険が及ばないように隔離する』ことだけだった。事実上の政府から許された監禁、明治以降の日本で起きた重大な人権侵害のひとつだ。
 東京二十三区内にはあまりないが、新宿以西に向かえば、古くからある精神科単科病院が点在している。サナトリウムを転換したものもあるが、大規模精神科単科病院がほとんどだ。
 そして、おおむね、郊外になればなるほど、辺鄙なところに存在する。今現在は住宅街の近くに存在していたとしても、元々は病院が先んじて建ち、その後に住宅地が整備されたケースがほとんどだ。
 日本の精神病院の歴史から見れば、街から離れた場所に建った精神科単科病院の役割はひとつである。
 看護という名のもと、法律の裏付けを持った監禁──私宅監置と考え方は近い。当時は看護師ですらなく、看護人がおかれ、彼らの業務は監視だった。
 今でこそ、精神科急性期病院というものができたが、平成のはじめのころ──いいや、いまでも、人の心の中で精神科というものはみえないモノとして存在している。
 彼らは街から遠ざけられた、人々の生活から切り離され、それぞれ別の世界の生き物のように扱われた。優生保護法下におけるハンセン病患者の隔離政策や、障碍者への断種手術と同じように、彼らも隔離され、『健全なる社会』から亡き者とされていた。
 大山家のように立場のある家ならば、何かを隠すために座敷牢をこしらえて、閉ざしていたとしても何ら不思議ではない。当時の日本では当然の行動だ。
 樹音は、カウンセリング記録に記された大山家の旧態依然とした風習を思い返し、「ふうん」と息をついた。
「お姉さんの記録を見ても、君の家が古い家なのも、規模が大きいことも分かる。恐らく私宅監置用の座敷牢で言えば、とても環境がいいんだろうね。でも、それがあって今も残っているということは、昔から定期的に病人がいたことの証左になる、違う?」
「……そうだとは思いますが……。特に何も聞いたことはなくて……」
「なるほど」
「すみません……」
 光里は申し訳なさそうに俯いたが、樹音は気にせず話を続けた。
「質問をかえるね、血道って、君も知ってる言葉?」
「あ、はい、勿論……親戚のことですよね」
「定義とかあるの?」
「多分……? 感覚的にですけど、ただの親戚とは違う印象です」
「君のお姉さんを監禁した親族会議に出たのは、ただの親戚? それとも血道?」
 尋ねると、一瞬間があった。光里は眉を寄せて考え込む。
 ただ、答えはすぐ出たようだ。
「血道です。それは、間違いないと思います」
「なるほどね」
「……何か分かりそうですか?」
「本当は君の地元の図書館なり、菩提寺に行くなりして、過去帳や新聞を改めたい。実際には不可能だから、手元のものをひっくり返しただけなんだけどね、これを見て」
 樹音はそばに置いておいた、一冊のハードカバーの本を光里に差し出した。
「椅子、適当に使って座りな」
「あ、ありがとうございます」
「呉秀三先生の『精神病者私宅監置の実況』。読んだことある? 原本は国会図書館のデジタルコレクションで読めるけど」
 樹音が渡した『精神病者私宅監置の実況』は、呉秀三と樫田五郎による大正七年に発行された精神病者看護法で定められた全国各地の私宅監置の現状を調査報告書だ。
 呉秀三はかつて東京府癲狂院と呼ばれた巣鴨病院の院長として着任した明治三十四年、病院改革を行い、それまでの精神病院の考え方を徹底的にひっくり返した。拘束し、閉じ込めておくしかなかった場所に『治療』という考え方を持ち込んだ。日本精神医学の父と呼ばれる人物だ。
 報告書には写真や、実際の間取りの図面も引かれ、一府十四県で実際に許可され、使われていた座敷牢が詳細にまとめられている。
 近年、現代語訳されて再刊行されたものを、樹音もたまたま持っていたのだ。
 座敷牢、との言葉が大山光里から出てきたとき、真っ先にこの本のことを思い出した。
「いえ……タイトルだけは心理学史で習ったくらいです」
「そう。そのしおりのページを開けてみて」
 光里は、樹音に促された通りのページを開いた。

第六例 ○○県○○群〇村字宮〇二五番地 戸主、農 大〇さ〇
監護者 実姉戸主次女

「これ……」
 光里が愕然とした声を出した。食い入るように本に視線を落として、浅い息を繰り返している。
「君の実家じゃないかな。伏字にされてるけど、住所はかなり詳細だし」
「そうだと……思います……。昔からあったのは知ってましたけど……まさか調査報告に載ってるなんて……」
 佳良なるものと分類されていたものの、屋敷の間取り図の中に、はっきりと『看護室』と書かれている。
 そえられた写真には、格子戸の向こうにいる単衣姿の女性が髪を結わずに、じっとこちらを見ていた。
「看護理由は、『大正三年長姉の死後、時々発作的に妄想があり、家人に暴行する』ってなってるね。お世話しているのも、実の姉ってなってる。聞いたことは?」
 樹音の問いかけに、光里は力なく首を振る。
「そして、これ」
 樹音は、次はプリントアウトした紙を渡す。
 光里の手が、鈍る。受け取ることをためらうように震えていたが、その紙を受け取った。
「昭和二十年……大山家で殺人……親類の傷痍軍人大山輝顕が当家の大山金蔵と妻定を日本刀で殺害……目撃した次女が昏倒……」
「これも君の実家だよね」
「……時代的に、殺されたのは祖母の両親だと思います」
「つまり君の曾祖父母だ。何か聞いている?」
「いいえ……まったく何も……」
 樹音は光里の表情をじっと見つめた。
 大山光里は、自分の手元にあるふたつの資料を恐ろしいものを見るようにしている。
 家系に隠された秘密。しかも、何百年も前でもない、たった数代前のことだ。
 光里はいよいよ倒れそうな顔色をしている。
「東京で調べられるのはこれまで、でも、ざっと調べただけで、昭和に殺人が起こって次女が倒れている。年齢的に、君が知っている座敷牢にいたおばあちゃんの妹は、彼女だと考えるのが妥当だよね」
「……はい」
「君は全部伏せられている、家のしきたりという名目で、この事件も、その女性が座敷牢に入ったきっかけも伝えられてない」
「そうです」
「もうやめようか?」
 樹音の問いかけに、光里は弱弱しくはあるが、首を振った。そっと顔を上げて、樹音を見つめる。
 やはり、姉の美国に似ている。線が細く、思いつめた表情。触れたら崩れてしまいそうな不思議なバランス。
「続けてください。何が起きているか、俺もちゃんと向き合わないと」
 光里が宣言した。
 家族の問題を突き付けられたとき、人がとる行動は多くない。
 怒り、否認、合理化──ストレスを受けた時と同様に、どうにか見ないふりをする。
 その中でも、建設的に向き合う人々も当然いる。
 彼は前向きにきちんと問題に向かい合おうとしている。樹音はふっと微笑んだ。
「分かった、ありがとう。今時点で、おれは仮説を立てているんだけど、君の家系で座敷牢はずっと稼働していた。状況として、本当に精神病患者かどうかは分からない。逆に、君たちが今、接している『怪異』に由来するんじゃないかと思う」
「……はい」
「『わが邦(くに)十何万の精神病者は実にこの病を受けたるの不幸の他に、この邦に生まれたるの不幸を重かさぬるものというべし』」
 樹音がそらんじた言葉に、光里が瞬きした。
「え?」
「呉博士が『精神病者私宅監置の実況』の序文で語った言葉だよ。君たちきょうだいは、その家に生まれたことが、不幸を重ねた理由かもしれない。『怪異』の原因は何かは分からないけれど、君は、逃れたいんだろう?」
「……はい」
「そして、中野新苗さんを助けたい」
「はい」
 今までの中で、光里が返した言葉の中では、一番はっきりと力強かった。
 樹音はぐっと体を前に倒した。ハンギングチェアがぎぃと揺れた。
「君にとって、中野新苗は何?」
「……」
「『怪異』は中野新苗にたどり着いた。君にとって彼女は特別な存在だ。そうだよね?」
 返事はないが、光里のまなざしは何よりも雄弁だった。
 黒い瞳は、じっと樹音を見つめ返す。その中に、薄暗い何かが見えた。決意か、何か。返事をしない、隠し続けると決めた態度。
「君は、『姉を助ける』とは言わなかった。座敷牢から出して、自分が身を隠すという選択をしても、自分で対処する気だった。それを覆したのは、中野新苗が消えたからだ」
「……」
「じゃあ、なぜ、『怪異』は彼女を選んだ? 彼女にたどり着けた?」
 樹音は光里に問いかけながら、考え続けていた。
 なぜ。
 なぜ、『怪異』は中野新苗を接点として、東京に隠れていた大山きょうだいを探せたのか。
 なぜそこまでして、『怪異』は追ってくるのか。

 光里が立ち去った後、部屋にひとりになった樹音はタブレットを覗き込んでいた。地図情報を使って、大山家の住所を検索し、航空写真を眺める。
 盆地ほど広くはないが、三方を山に囲まれ、川べりに田んぼが並び、山肌に家々が建っていた。
 三十戸ほどあるかないかの集落。
 ここであのふたりは生まれ、そして、大山美国は監禁された。
 すぐそばの山に墓地があるのが分かる。整理されたものではなく、雑然と、子どもがブロックで組んだような区画に、墓石がぎゅうぎゅうにならんでいた。
 その中に、一部分だけ、豆粒のように並んでいる小さな小さな墓石がある。他の墓と違い、それだけは異様に密集している。
 百基ある無縁仏。
 そこに女たちが黙々とお供え物を供えていく。
 線香の煙。
 名前のない死者たちの群れ。大山の家が背負った、なにか。
 ずり……
 這う音。
 ずり……ずり……
 何が這うのだろうか。
 自分には聞こえない音に、樹音は耳を澄ませようとした。
 樹音は並んだ墓を見つめる。
 自分たちが暮らしている日本と、本当に同じ地平にあるとは信じられないほど、奇妙な風景に思えた。


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