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生後1ヶ月。子供の入院と夫の上司コロナ事件で完全ワンオペ。メンタル崩壊して産後鬱に片足突っ込んだ件

何とも長いタイトルになってしまったけど、辛過ぎる記憶は飛ぶらしいので(育児1〜2ヶ月目の記憶が辛すぎて思い出せないと言う友人多数。。!)
今のうちに書いておく。
同じ様に辛い思いをしてる人。きっといるはず。。!

始まりは、生後1ヶ月と1週間のある日、夫の母が夫のいない平日に乗り込んで来た事から始まった。
若干押しが強くマイペースな人で自分の母とは真逆。苦手だけど手伝うというのでそれならと来てもらった。
が。。
母乳の事や食事のことダメ出しされ、自分の食べた食器すら片付けてくれず。私は緑茶が飲みたいとか言い出し、結局、沐浴もお風呂場の外から覗いているだけで、翌朝私のやり方に対する長文のダメ出しのLINEが一方的に来た。これに関しては友人達に訴えると、100パー皆「あり得ない!!」とブチ切れた。
自分の母親でも嫌なのに夫の母親からの育児のダメ出し。
そのラインは長すぎてここに載せれないけど「空回りしてる、そんなんじゃダメ!、しわ寄せが来るよ!3人育てた母より」的なものだった。てかこのまま。。
普段なら流せたかもしれないけど、ただでさえ初産でコロナ禍で睡眠不足で必死にやっていた私には強烈な言葉の数々で私は速攻でLINEをブロックした。夫の両親は離婚してるのだが、こりゃ離婚するわ、人の心に土足で踏み入って。。と心の中で小さく反撃した。

問題はさらに続く。
その日義母と2人きりは流石に勘弁と、夫に早めに帰宅してもらう予定だった。夕方突然夫から電話があり「直属の上司がコロナになった今からPCR検査をするからひょっとしたら帰れない」という内容だった。
え。。、マジで。。しかも何で今日?

手伝わず帰ろうとしない義理母、帰らない夫。
泣く赤子。
もうカオスの幕開けだった。。

そこから夫は大事を取ってもらい(PCRは陰性だったが潜伏期間もあるので)ホテル暮らしをしてもらい、完全ワンオペ24hがスタート。夫が帰宅した翌朝子供は熱を出した。小児科に行くと「まだ1ヶ月と月齢が低いから基本熱出たら大きい病院で検査が必要。今から日赤に電話します。そのまま行けますか?」えぇぇとなりつつもうそこからは怒涛だった。財布しか持たずそのままタクシーで広尾の日赤に移動。熱がある人というくくりのブースで待機(当時RS大流行中)検査を20項目位して、中に入ると点滴されている我が子、に涙。そこから検査待ちに2時間半。結果ウィルスも何も出てないけど、尿の白血球が若干(若干ておいって思ったが)多いから尿路感染の可能性があるからこのまま入院です、付き添いしますか?預け入院にしますか?「え、今決めるんですか?」「そうです」「付き添いには食事でません」「じゃぁどうすれば・・?」「下の売店ですかね」(売店の店員がコロナになり15時で閉まる売店)

もう何もかも「はいその場で決めてね今すぐ!」でディレクターという仕事柄かなり直感即決に自信があったのにもうボロボロ。迷ったけどそのまま付き添い入院。荷物は家族に持ってきてもらえと言われたけど、たった一人の夫は今日撮影で深夜にしか帰らない。1時間半ほどもらって私は泣きそうになりながら一人で家に帰り、哺乳瓶・乳首・除菌グッズから授乳クッション(こういうものを貸し出してくれない!小児科マジできついです。産科の上の階なのになんで??)子供の服も何もかも抱えたら引っ越しみたいな荷物になって、日赤にまたリターンしたのがもう18時半。この時点気がついた角朝から私は飲まず食わずだった。子供には途中で冷えひえの液体ミルクを何とか飲ませ(ごめん!てなりながら)てやりくりしたが。

朝8時半に家を出て18時半まで本当に行きた心地がしなかったし、病院という安全な場所にいるのに、サポートが無さすぎてしんどかった。私が甘いのか??皆こんな状況で出産1ヶ月で上手いことやってるのか??って何度も自問自答した。そしてさらに地獄が続く。

入院したのは小児科の大部屋、1ヶ月の我が子のベッドガ異様に大きく付き添いの私のベッドは身体を丸めて寝る感じだった。何これと半笑いになりそうにらなった。人は悲惨な状況になると笑うのだ。カーテン一枚で隣は2ヶ月の赤ちゃん。向かいは離乳食の赤ちゃん、斜め向かいは熱出した4歳くらいの子供。夜は大合唱が起こる時間がある、今思い出しても気分悪くなる位しんどい。泣き声×4。うちの子供は眠たくなれば周りの騒音レベルの環境音の中でもスヤァだったけど、私がそうはいかなかった。と・く・に。斜め向かいの4歳児が熱があってしんどかったんだろうが、「暑い!!!!!」「寒い!!!!」「ちっち!!!(トイレ)」「ヤクルトぉぉぉ!!!」「スマホぉぉぉ!!」「だっこぉぉぉ!!!」全てを金切り声で1時間おきに叫んでいて本当にこれがキツかった。その子の母親も「うるさい!」と何度かに一度切れて、いなくなったりしていたし・・・・。

2日目夫が食事と服の替えを持ってきてくれた時、子供みたいに私は泣いた。「もう無理・・・」「しんどい」本当に一晩中1時間寝たか寝てないかの世界だった。たとえその子供の金切り声が止んでも1時間おきに誰かの点滴の交換に看護師が来る。しかも走ってくるからまずその音で起きる。点滴の機械がピーピーピーとけたたましく鳴る。しんど過ぎる。。何これ。。修行ですか。

朝は朝で窓際の人がカーテンを開けていた場合4時半からカァーっと明るくなり、ジーナ式で遮光までして頑張っていたのに生後1ヶ月の子供が明るすぎて起き始める。熱があるという理由で(この時点で下がっていたのに)部屋から一歩も出れず、廊下を散歩することもできなかった。書いてて、今思い出しても辛い。。そして毎回担当の医師に「今菌を培養していて、それに合う薬を突き止めるのでいつ退院できるかわかりません」と言われ続け、まぁ正しく患者に伝えてるのだろうけど、落ち込んでる人に持っとこう励ますような言い方できないのかよ。。と。(もしこれがアメリカの病院なら看護師とか医師がジョークとか言ってくれたのかなぁ。。と妄想していました、赤子を抱きながら。。ヘーイ!元気出して!まぁ大丈夫よ!ok!みたいに。。さ)

とまぁこんな感じで5日間の入院を終えてやっと青空を見て自宅に帰った私は、それから1時間おきに目が覚めてしまうようになり、頭に毎日モヤがかかった様になり、どんどん精神を病んでいった。それが1ヶ月半の時だったか、そしてある日母乳が激減した。

でもそれでも育児は続く。

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