毎日クリティカルヒットを狙おうとして消耗してる人が読む記事。
プログラマー界隈でまことしやかに語られる格言に「プログラムは思ったとおりには動かない。書いたとおりに動く」というものがあるらしい。お見事である。これは人生にそのまま転用できる。すなわち、
「人生は思ったとおりに動かない。行動したとおりに動く」
言いたいことは以上だ。「動け」である。
そういや誰かが言っていた。
ビジネス書には最低3つくらいの「いいこと」が書いてあればそれでいい。1つのいいことを200円として×3だから、ビジネス書は600円で販売する。極論、ビジネス書なんて格言っぽいことを箇条書きにするだけでいい。
しかしそれでは売れない。なので担当編集者の仕事は「すばらしい水割りを作ること」であるらしい。3つの「いいこと」に前提や具体例、反対意見をつけることで文字数を増やし、それっぽいタイトルをつけ販売する。なるほど、と思う。
意図的に核心部分を薄めるというやり方である。
似たような話でいうと、
意図的に売れないものを配置する、という技術もある。
著名な例は「ユニクロ」のTシャツだ。アパレル業界では「捨て色」という概念がある。捨て色とは原色系の派手な色のことだ。ピンクとか紫などの派手な色。
私たちがシャツを選ぶとき「黒」「白」「グレー」などの無難な色を好む傾向がある。原色を選ぶ人はごく少数派。消費行動は「比較」と「選択」の上に成り立っているわけで、つまり「捨て色」の役割とは比較されるだけのために置かれる引き立て役だ。
これ、個人的には素人レベルの執筆作業でも同じことが言えると思う。noteだ。
毎日がんばって愉快な記事を書くのもいい。読者にとって気づきになるような記事を書くのもいい。
が、それだと読者はお腹いっぱいになる。くどい、もういいよ、となる。ついでに書き手も摩耗する。なので、読んでもなんのためにもならないような記事、すなわち「捨て記事」を意図的に配置するという技術、ある種の割り切りが大事になってくる。
これに気づいたのはいつだったか忘れたけれど、がんばって100点のエッセイを毎日書こうと思っている時期があった。
毎日毎日クリティカルヒットを狙うような記事作り。が、これでは読者さんは飽きるのでないか? と思うにいたった。だから昨日書いたカスみたいな記事をたまに置く。せっかく書いた文章に申し訳ないが捨て記事になっていただき、ほかの記事の引き立て役になってもらう。
なので文章を書いて消耗している人は「意図的に捨てる」という概念をもつと楽になる。
せっかく書いた文章と読者さんには申し訳ないけどね。
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