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「わからないので教えてください」と言える人のところに知識は集まる。

きのう、年下の経営者と話していた。

彼はとても論理的で、早口でしゃべる方だったのだが、お話しの最初「まずはうちが何をやっている会社なのかを話しますね」と言ってニコニコしながら事業構造の話をしてくれた。

こちらから尋ねているわけではなかった気がするのだが、現在抱えている会社の問題点も洗いざらい話してくれた。なかなか会わない珍しいタイプである。


経験上の話になるが、商談というのは通常、ある種の緊張感をともなうことが多い。自分たちの会社の儲けの仕組みがどこにあるのかを話す経営者は少ないし、会社のいまの問題点を見ず知らずの相手に話す経営者も少ない。

たとえば「noteを伸ばしたい」と思っている人がいたとして、目の前にいるどこの馬の骨ともわからない誰かに、自分がnoteで抱えている課題を1から10まで相談しちゃう人ってなかなかいない気がする。プライドが邪魔するし。


...


「とまぁ、こういう問題があるわけです。イトーさんのビジネスに繋がりそうな気配はありますかね」


このように尋ねてくれたので、私としてもどこで彼の役に立てるのかを話し、議論を重ねそこからは即断即決、なにかしらをお互いにやっていこう、ということで話がまとまった。


ここまでできのうの私が思ったのは、その方は「性善説」に立ってビジネスをしている、ということである。言い換えれば相手を疑わない心意気だ。

「性善説」「性悪説」の語句の使い方はインテリに言わせれば「いやいや性善説、性悪説どちらにたっても『結局人は悪さをする』という結論になるんだからその『性善説』の使い方は誤用だ」という言い分もあるが、ここはスルーしておきたい。


相手を信じ、相手の言うことに耳を傾け、自分で判断を下す。その手始めとして彼は、自ら課題をあけっぴろげに話すことで素っ裸になり「この状態をどうすればいいですかね」と素直に尋ねた。そうすることが自らの事業を加速させることにつながる、ということを天然で知っているように思われる。とても素敵。

世の中のすべての仕事は、物事をより便利に豊かにするために存在している(一部の詐欺などを除く)わけなので、商談中の相手を穿った目で見てもしょうがない。判断は最終的に自分が下すのだから、真贋を見極める正しい目さえもっていればいいだけの話である。


会話の中で特に印象的だったのは、彼が「いや、それわからないです。教えてもらえますか」とか「それも聞いたことないです。私バカなので教えてください」という言葉を多用したことだ。これ、いわゆるコンサル出身の人間がよく言う。

「私の理解力が及ばないので、もうちょっと詳しく教えてください」

「それに関しては全然知識がないです。教えてください」

ネット上ではこういうセリフをある種の「イヤミ」として取り上げることが多い。本当は知っているのに相手を試すような質問をしているとして揶揄される。


だが、やはり「知らないことを知らない」と言えるかどうかで大きな違いがでるように思う。情報の集まり方が段違いになるのだ。

たとえば会話をしていて「ビートルズ」の話になったとする。誰かから「ビートルズ知ってる?」と質問されたとき、たいていの人は相手に負けたくないから「あぁ、知ってる。LET IT BEとかが有名だよね。あとは〜」なんて答えがちだ。たいして知らないのに。これでは会話が終わってしまうではないか。

ここで「知らないよ。どういう人たちなのか教えてほしいな」と言えば、相手が詳しかった場合には情報を引き出し、自分の知識の泉に「ビートルズ」を加えることができる。

なので変なプライドを持って知ったかぶりをすることは、知識の泉に水を注ぐ貴重な機会を自分で殺している、と言えるかもしれない。


話は戻るが、きのう会った方の場合「知らないので教えてほしいです」と言ったあとに、こちらから何かを説明すると「なるほど、つまりそれは……」みたいな感じで情報の咀嚼力がすっごかった。

「それって、〇〇とどう違うんですか?」みたいな質問もあったので、細かいことを説明した私は「まるでスポンジのようですね。ぜんぶ吸収される」と言うと「いや、自分、マジで何も知らないんですよ、バカなんで」と言って笑っているではないか。その様子はまるでソクラテスだ。




これはごく一般的な慣用句であり物理法則だが「水は低いところに流れる」という孟子の言葉がある。これもまた「性善説」を説明するための言葉で「人はやすきに流れる」という意味を持っているが、捉え方によってはこういう解釈もできるのではないか。


「情報はへりくだる人のほうへ流れる」

「『わからないので教えてください』と素直に言える人のところに知識は集まる」


持っているプライドを全て捨てて、わからないことをわからないと言い、たとえちょっとだけ知っていたとしても「よく理解できてないので教えてほしい」と言える人間でありたい。



う〜ん……2000年前の哲学者が言ってそうな結論だ。


<あとがき>
最近は、仕事で出会う方々のことをここにもっと書けたならネタ切れなんて全くないんだろうな、と思う日々を送っています。いよいよ書くこともなく、かといって考えるような時間もなく、こうやってあとがきに言い訳を書いてハードルを下げている自分がとてもダサいです。知らないことを知らないって言える人って、なんかいいよね、って言いたいだけの記事に2000文字使っちゃった。今日も最後までありがとうございました。

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