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【Spoonコラム】リレーに対する熱意の温度差


Spoonアプリで毎週のように開かれているリレーと称される企画について、「自分が参加しているリレーが開催されている間に、(自分の出番以外の時間で)自分の枠で配信をすること」の是非が、昨今のTwitter上でちょっとした議論を呼んでいる。今回の記事では、参加者と主催者のどちらの立場も経験してきたユーザーとして自分の見解を述べたいと思う。

主催者たるもの“自責思考”であれ

ほとんどのユーザーにとって、Spoonはお遊びのアプリ、すなわち“暇つぶし”でしかないはずである(というか、個人のSNSとは畢竟そういうものである)。余程の暇人でもない限り、Spoonなどというものよりも生活上ほかの優先すべきことが山ほどある中で、ようやく余った時間を配信に充てているというのが大前提(のはず)である。

しかし、自枠をしているということ=自枠できる暇があると思っているのだろうか、「暇人のくせにリレーの他の参加者の配信に応援も行かずにのうのうと自分の枠で配信をしていることに腹が立つ」というのが言い分だとしたら、それはあまりにも浅慮であると言わざるを得ない。

逆の立場で考えてほしい。そういう貴重な時間だからこそ、配信者としては自分の枠をしたいのではないだろうか?企画だからといってその人にとって貴重かもしれない余暇時間の行動を制限していい理由にはならないはずである。

……と頭では理解しているつもりでも、「参加者なのだから企画の間はちゃんと付き合ってほしい」と言いたくなるのが主催者の心情としてはあるだろう。その気持ちはよく理解できる。よく理解できるのだが、ひとつ言っておきたい。「そういうあなたこそ自分の企画に対して真摯に向き合いましたか?」と。つまり、その人にとってあなたの企画とやらは自分の配信よりも優先するに足るほどの魅力がなかったということの裏返しなのだ。

赤花フェス運営奮闘記でも示した通り、自分の企画に人を巻き込む以上は自分の企画に真摯に向き合い、ひとりでも多くのユーザーが楽しめるように企画を磨き上げるのが主催者として正しいスタンスである。そういう努力が不十分なくせに、ただ自分が主催する企画が構ってもらえなかったからといって安易にその人を責めるのは、企画に人を巻き込む立場たる資格はないと思う。

Spoonにおけるほとんどの企画は、主催者のエゴによって始まっており、そこに公益性などない(というか、お遊びのアプリである以上そうあって然るべきである)。10万円以上の寄付金を集めた赤花フェスですら、「沖縄音楽へ恩返しがしたい」という僕のエゴから始まったものだ。そんな主催者のエゴである企画に対して、30分から1時間そこらの貴重な時間を使って出演してくれたことに感謝こそすれ文句を言う立場にはないはずだ。

主催者としては、「参加者なのに自枠を優先しやがって薄情なヤツだ😡」などという“他責思考”ではなく、「参加者なのに自枠を優先してるのは、もしかして自分の企画が楽しめなかったのかな?🤔」と、常に“自責思考”であるべきなのだ。自分の思い通りにならなかっただけの他者を責める前に、まずは自分の企画が参加者にすら応援されない程度のクオリティーであるという事実を反省するのが先ではないだろうか?

「お遊びのアプリなのにそこまでできるか!」と言いたくなるだろうが、お遊びの企画に顔を出さなかったくらいで怒るようなあなたにこそ、その言葉がそのままブーメランとなって返ってくることは言うまでもなくご理解頂けることだろう。

大事なことなので、もう一度言う。リレーを主催するならば、“他責思考”から卒業せよ。

配信者たるもの出る企画くらい選べ

配信者側の目線で言うならば、たしかに自分の出番以外の時間までリレーに拘束される筋合いはないというのが正論ではある。しかし、残念ながらSpoonにおいてそのように考える人は少数派だ。Spoonにおいてリレーは応援されて当たり前だとマインドコントロールされている人が多数を占めている特殊なSNSだからだ。世間の常識はSpoonの非常識であり、Spoonの常識は世間の非常識なのだ。

しかし、誘われてか志願してかはいざ知らず、そのリレーに参加するという判断を自ら下した以上は自分もその一員となっているという自覚は持った方がいいし、そもそも自枠の方が優先される程度のクオリティーのリレーに参加すること自体が配信者としては間違っていると言わざるを得ない。

SpoonをひとつのSNSとしてみた場合に、リレー等の企画に参加するメリットは「配信者同士のつながりができる」ということ以前の記事でも示してきたが、これはそのままデメリットとして作用する側面もあるのだ。それは、「繋がりたくもない人とまでリレーという同じパッケージでくくられてしまう」ということだ。

以前の記事でも例えたように、リレーとは飲み会に誘われるようなものである。飲み会が大きくなれば大きくなるほど、一緒に酒を飲みたいとは思えない人とも同席しなければならない確率は高くなる。そういう経験は誰しもあるだろう。しかし、Spoonのリレーは飲み会と違って基本的には断ることができることを忘れてしまってはいないだろうか?

どのようなリレーに参加するかは、自分がどのような界隈に身を置いてるかということを他者に示すようなものである(少なくともSpoonのリスナー達にはそう思われている)。だからこそリレーに参加するかどうかは慎重に検討すべきだし、場合によっては辞退することも必要な判断である。

ただ漠然と誘われたから断れなくてとか、何となくリレーに出て承認欲求を満たしたいからとかいう理由は論外として、自枠をやっているほうがマシだと侮るような程度のリレーならば最初から出ない方がいい。余程あなたが暇人というのであれば話は別だが、あなたの貴重な余暇時間をSpoonに費やすのであれば、闇雲にリレーに参加するのではなく、きちんと選んだほうがよいと忠告しておこう。

リレーに対する熱意の温度差

「自分が参加しているリレーが開催されている間に、(自分の出番以外の時間で)自分の枠で配信をすること」の是非について、それぞれの立場から述べてきた。

この対立構造をまとめると、「主催者と参加者のリレーに対する熱意の温度差」に集約されている。この熱意の度合いがイコールで結ばれるのが理想ではあるが、残念ながらそんなことは極めて稀である。

しかし、互いの努力によってその温度差を縮めることは可能だ。主催者としては、自分のリレーが自枠をするよりも楽しいと思ってもらえるように企画をブラッシュアップしていける伸びしろがまだあると思えばよいのだ。参加者としては、自分が本当に参加したいと思った企画を選んで出たほうが配信者として輝けるだろうしファンにとってもその方が応援のしがいがあるというものだ。

そしてそういうミスマッチ自体を減らしていけば、そのような争いなど起こらなくなっていくだろうし、クオリティーの低い企画は自然と淘汰されていくはずだ。ひいては、次第にSpoonで行われている企画全体のレベルが向上していく。そんなことをお遊びのアプリを全力で楽しんでいる者としては心より願うばかりである。

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