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赤花フェス運営奮闘記⑥

<前章>

赤花フェス運営奮闘記⑤

今回の記事は、全6回に渡る赤花フェス運営奮闘記の最終章として、僕が思う企画の運営に求められる姿勢と主催者兼出演者としての在り方『赤花フェス』という企画を通して伝えたかったこと、そして、これからの『赤花フェス』について記していく。

企画の運営に求められる姿勢

Spoonに遍くリレー企画のほとんどは、その出演者の選定は「Spoonの配信者として人気があるかどうか」を基準としていることと思う。運営側としては、企画を盛り上げたいという思惑もあるだろうし、集客という意味ではある程度の打算がはたらくのはやむを得ないことだろう。

しかし、あまりにも配信者のネームバリューに依存し過ぎている企画が多すぎないだろうか?それどころか、配信者のネームバリューだけが先行し、企画そのものに対して、ろくにテーマと言えるようなものが存在しなかったり、もし仮にあったとしても無いのと同じようなものばかりだ。テーマがわかりにくく、運営側だけが自己満足していてユーザーに伝わっていないリレーもこれに含まれる。

特に“フェス”を自称するような大型の企画は、単に出演者の人数が多いだけだったり、実際にあるような“ロッキンフェス”や“サマーフェス”などの名称を勝手に名乗り、大したことのない企画を大きく見せているだけであることが多い。そんなものは子供のごっこ遊びと変わらない。企画とは“規模”ではなく、“密度”である。それは『赤花フェス』で実証した通りだ。

配信者の知名度に依拠するだけで、肝心の企画そのもののクオリティを磨き上げていく努力をしていないのだ。その結果として、Spoonの、“特に弾き語りカテゴリという狭いコミュニティに限っては”一定の集客が見込める程度に人気のある配信者ばかりが出演する“量産型リレー”が多く生み出されているのだ。当然そんな企画は、誰が運営しても同じだし、ほとんど記憶に残らないだろう。はっきり申し上げるが、運営の怠慢に他ならない。

『赤花フェス』では、出演者の選定にはたった一つの基準しかない。それは、「沖縄音楽に対するリスペクトがあるかどうか」である。企画の性質上、それが最も大事な要素だからだ。腕前やファン数、知名度は関係ない。そして『赤花フェス』の運営に求められるミッションとは、「出演者がベストなパフォーマンスができるように最高の舞台を用意すること」である。

そのために宣伝や広告、寄付への取り組みやアイコンリング等諸々のデザイン、サブイベントの企画にラジオ番組とのタイアップ、公式グッズの開発・販売といったことを運営が一手に引き受け、出演者が自分のパフォーマンスに集中できるような環境づくりをすることが求められるのだ。

そして、そういうことに運営が本気で取り組んでいれば、必ず出演者にも真剣さが伝わるものだ。むしろ、手を抜くことなど許されないような空気にさえなっていく。そうなってくると、出演者も当日に向けて真剣に練習するし、どうやったら自分が輝けるかを熱心に研究して準備するようになる。そこに腕前や知名度は関係なく、各々が最高のパフォーマンスを発揮できるようになるのだ。結果として企画のクオリティーが底上げされ、リスナーの満足度に繋がるのだ。

とはいえ、『赤花フェス』のような企画をまともにやろうとすると非常に多くの準備と手間がかかることは、今までの記事を読んでもらえたなら理解できるだろう。勘違いしないで頂きたいのは、決して労ってもらいたいわけではないということだ。むしろ、企画に人を巻き込む立場なのだから運営として当然のことをしているだけである。それこそが企画の運営に求められる姿勢であると言える。

主催者兼出演者としての在り方

原則として、主催者と出演者の立場は対等である。いや、むしろ企画に出てもらう立場としては、少なくとも主催者が出演者より“上”であることはありえない。ところが、どうもそこを勘違いしている人が多いのか、主催という立場に拘るがあまり、出演者の立場を理解していない主催者がいるのだ。企画が大型になればなるほど、その傾向はより顕著にみられる。

各々の役割に専念するために、プレイヤー(出演者)とマネージャー(運営)は分けたほうが良いという意見もあることと思う。確かに大きな組織においては合理的な考え方だろう。しかし、企画とは規模ではなく密度であることは先にも述べた通りだ。言い換えると、手を広げ過ぎると企画そのものを主催者がコントロールできなくなってしまうということだ。

実際に僕はSpoonで、複数の枠が並行して行われるような大規模のフェスにもいくつか出演したことがあるのだが、機材トラブルや回線トラブル、遅刻に寝坊、急病や仕事の呼び出しに家庭の都合によるドタキャンなど、様々なイレギュラーによってグダグダになっていった。企画にそういうことはつきものだし仕方のないこととはいえ、「なんだか規模の割にお粗末だな・・・」という印象を持ったことは否めない。

企画のクオリティとは、主催者がいかに企画をコントロールできるかにある。組織とは人が増えれば増えるほど、当初とは違う方向性にいってしまいがちだし、想定外のことが起こりやすくなるものだ。すなわち、主催者にとってコントロールできる範囲の規模で運営することが、企画のクオリティを担保することに繋がるのだ。

そのためには、主催者が自らの運営能力をよく弁える必要があるということだ。企画を派手にしたいからといって安易に規模を大きくするのは、自分の手に負えなくなって失敗するリスクを考えると得策ではない。そうなってくると、やはり良質な企画のためには必要以上に大規模にはしないほうが良いということになり、上述したプレイヤーとマネージャーを分離すべきという考え方は適切ではなくなることは、もうお分かり頂けただろう。

そして、いくら出演者にとって最高の舞台を用意するのが運営の役目とはいえ、企画の成功のためには出演者の協力が必要不可欠だ。そのためには、主催者側が出演者の立場や心理について深く理解する必要がある。その最も手っ取り早く合理的な手段は、自らも出演者であることーーープレイングマネージャーであるべきなのだ。

考えてみて欲しい。配信も音楽もろくにしていないような主催者の言うことを誰が聞くだろうか?出演者としては、自分たちのことをきちんと考えてくれないような主催者なんかよりも、プレイヤーとしても背中を見せてくれるような主催者についていきたいと思うのが当然のことではないだろうか?

それに主催者としても、マネージャー視点だけでは見えてこなかったような問題点に気づくことができるし、同じプレイヤーという目線で出演者から意見をもらいやすくなるのだ。『赤花フェス』は昨年も今年も企画終了直後に、出演者に対して『終了後アンケート』というものを取っている。企画をより良いものにしていくためには、企画をやりっぱなしにせずフィードバックから反省点を探し改善していくことが必要だ。

果たしてSpoonで、そこまでやれている企画があるだろうか?おそらく相当少ないはずである。いいところ、大した能力のない運営が閉会式と称する枠を開くなどして、歯の浮くような薄っぺらい労いの言葉をカツアゲされる茶番を繰り広げるか、企画のグループDMやディスコードやオープンチャットで、ダラダラと上辺だけの馴れ合いがいつまでも永遠に続いてるのが関の山ではないだろうか?そして彼らは何の反省もせずに、いつか再び同じような“量産型リレー”を開くのであろう。悲しいことに、それがSpoonの現実である。

企画を通して伝えたかったこと

わざわざここまで読んでくれた人たちの大多数は、恐らくニヤニヤしながらこの文章を見ていることだろう。しかし中には、「なんだこいつは偉そうに言いやがって!」とか、「きいちろさんってこんなに怖い人だったんだ…」とか思う人もいるかもしれない。そう思うのは仕方ないし、もう僕に関わりたくないというのならSpoonなりTwitterなりフォローを外してもらって構わない。

そういう人たちは、いつまでも“量産型リレー”で満足できる人たち、もしくは、物事の内容について“何を言ったか”ではなく“誰が言ったか”で判断するような人たちだと思うからだ。それは決して悪いことではない。しかし、あいにく僕はそういう人たちのために本シリーズ『赤花フェス運営奮闘記』を執筆しているわけではない。

本シリーズの冒頭の記事でも示した通り、『赤花フェス』を企画した目的は、「沖縄音楽への恩返し」「リレーの新たなスタンダードを提案すること」だ。前者については僕個人の想いによるところが大きい要素であるが、後者については、これだけ多くの支持をして頂いた企画の主催者として、これからSpoonで企画をしようと思っている人たちへの道標を示していくことが重要なミッションだと思っている。

「リレーの新たなスタンダード」としての『赤花フェス』は、その個々の要素と具体的な取り組みについて、これまでの本シリーズの各章で語ってきた通りである。それらのこと全てに共通する考え方かつ、企画全体を通して最も伝えたい大切なことはたったひとつーーーそれは、「常に“ユーザー目線”でいること」だ。

ここでいう“ユーザー”というのは画一的なものではなく、それぞれ立場が違う。例えば、出演者であれば“プレイヤー目線”で、出演者のファンであれば“ファン目線”で、リスナーであれば“リスナー目線”でと、それぞれの立場の人たちにとって、いかに“グッとくるような”演出をして誰もが楽しく参加できるような仕組みを作れるのかを、『赤花フェス』を運営する上では常に意識していた。これまでのSpoonのリレーを分析し、これまで当たり前だと思われていたリレーの常識を一度分解して、より“ユーザー目線”に寄り添う形で再構築したのである。

もちろんSpoonの利用規約やコミュニティガイドラインさえ守れば、どのような企画も尊重されるべきではある。しかし、ただ主催がやりたいだけのリレーが、果たして人から応援されるかどうかは別の話だ。出演者だったらどんな企画に出たいか、ファンだったらどんな企画で盛り上がりたいか、リスナーだったらどんな企画であれば応援したいかを、それぞれのユーザー目線で真摯に追求していった結果、ようやく出来上がったのが『赤花フェス』という企画だ。そして皮肉なことに『赤花フェス』は、これまでのSpoonの“量産型リレー”に対するアンチテーゼとして、これまでにない全く新しいリレーのスタイルとなったのである。

ここまで言うと自画自賛と思われるかも知れないが、実際に『赤花フェス』は、具体的な結果を残している。昨年は30,000円を、そして今年は合計107,066円他でもないSpoonのユーザーから集め、沖縄県の現在と未来のために役立てることが出来たのだ。Spoonにおける「リレーの新しいスタンダード」の先駆けとなるだけでなく、社会的にも意義のある企画となることができたと思う。

これからSpoonのリレー企画を主催しようという人に僕から伝えたいこととは、「どんな時も常に“ユーザー目線”を忘れない」ということ、たったこれだけだ。具体的な結果として数字を示したばかりでこんなことを言うのはおかしいかも知れないが、最初からアクティブ数やランキングの順位のような数字を追い求めるのではなく、“ユーザー目線”で面白いものを作れば、数字は後から自然とついてくるものだ。

そして、「自分の企画は人から応援されて当たり前」という考えではなく、「人から応援されるにはどんな企画にすればいいか?」を、ぜひ“ユーザー目線”で考えていってもらいたい。いつか、“あなたの出した答え”を示してくれる日が来ることを、僕は楽しみにしている。

これからの『赤花フェス』

そして、『赤花フェス2022』の寄付が終わったいま、「果たして『赤花フェス』が来年も開催されるのかどうか」が最大の関心事であると思う。それについてはーーー


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