「小説ユーミン」にみる1960~70年代

「すべてのことはメッセージ、小説ユーミン」を読みました。そして気がついたのは、ユーミンは1960年代から70年代の産物だったということです。

ユーミンは老舗の呉服屋の娘さんで、中学から私立校に通っていたお嬢さん育ちでしたが、それを表に出して何が悪い、と開き直った、フォーク系の人たちとはある意味対立した人でした。60年代の頃は、いわゆる「お嬢さん」は世間知らず、と言うステレオタイプでみられており、70年代はじめは、まだフォーク系の勢力が強かったですし、お嬢さんブームのずっと前でした。対抗したユーミンの毒舌語録まで残ってるのは、有閑階級サウンド等と嫌みを言われた結果かと思います。どこまで本人の言葉かは謎ですが。でもこの本を読むと、ユーミンも充分に60年代後半のカウンターカルチュアを体験した人だったとわかります。

当時はハーフのタレントたちが台頭してきた時代でもありました。ユーミンはそのなかで、米軍基地に出入りして日系アメリカ人の家族やその友達と遊んでいましたが、受験勉強で彼女たちとは離れたあと、1977年に立川基地は閉鎖されました。小説ユーミンには、彼女の基地での体験も存分に書かれています。ベトナム戦争の最中でさえ、基地のなかでは古きよきアメリカの生活があった時代で、ユーミンの曲の数々には、基地での思い出とその時代を失った喪失感が描かれてるような気がします。

とてもワイルドで、でもエネルギッシュだった時代。多くの都市は公害だらけで、今はあまり見られなくなった、どぶ川の存在もまだあり、私も含めて子供がたくさん走り回っていて、ある意味放置されていたいた時代。インフラも今ほど整ってなかったですし、私には今の日本の環境の方がずっと住みやすくなったと思えます。小説ユーミンにかかれている住み込みという雇用形態にしろ、食うや食わずで貧しかった時代ではなかったですが、その世代の人たちが放っていた泥臭さに、戦後の名残がありました。それでも私は昭和の頃の、あの熱さを経験できてよかったと思います。あの時代なしに今の日本もなかったわけですから。

時代の風のなか、ユーミンと呼ばれた少女はスラッとした体躯で、駆け抜けていきました。彼女の曲が持つ独特な世界も、1960年から70年という時代にかけての経験がなかったら、果たして描かれていただろうかと思います。

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