見出し画像

「水晶」から「晩夏」へ

初めに

オーストリアの作家、アーダルベルト・シュティフターの「晩夏」について語るなら、まず、「水晶」から始めねばならない。
ずっと、そう思っていた。

「晩夏」の世界

もう随分前のことになるが、読みたい読みたいと探していて、ようやく手に入れた「晩夏」を読み終えた時、胸に迫って来たのは、この「晩夏」を心ゆくまで味わうために、再読する日が来るのは、どれ程先のことになるだろう、という感慨だった。
すぐさま読み返すのは、勿体なくて、とてもできない。
室内のしつらえ一つ取っても、主人公のウィーンの実家、アスペルホーフの薔薇の家、シュテルネンホーフの家と、様々な違いがあり、それぞれの家の特徴と良さがある。
家具、調度品の数々から、絵画、彫像、骨董品から宝飾品に至るまで、このシュティフターの世界にどっぷりと浸かり、溺れてみたい。
これ以上に、豊潤な世界があるだろうか、願わくば、この長い静謐な物語の世界に閉じこもってしまいたい、そんな風に思っていた。

何かの折に、自分よりも年下のひとから、「何かいい本はありませんか?」と聞かれる度、「シュティフターの「晩夏」がいいですよ」と奨めていたものだ。
その前には、「紅楼夢」に夢中になっていた時期もあって、長編小説なら「紅楼夢」、短編小説集なら「聊斎志異」を奨めていた。
「聊斎志異」はともかく、「紅楼夢」は、もう読みました、と言われることもあったのだが、「晩夏」は、奨めて、読みました、と言われたことが一度もない。
廉価版が流通していなかったことも理由の一つだろうが、よく言われるように、この長編小説が、ストーリーの起伏に乏しく、単調で面白くない、と思われていたからかもしれない。
実際に読んでみれば、そんな批評は吹き飛んでしまうのだが。
ただ、ドラマティックな展開など必要としない私でも、ここに登場する若い主人公男女の、あまりの理性的な清らかさには、やや現実離れしたものを感じざるを得なかった。
お互いの愛情を告白し合う場面で、その言葉のやりとりが、まるで舞台で台詞を言っているかのような単調さなのである。
主人公男女の穏やかで激することのない性質ゆえ、という解釈もあるだろうが、盛り上がるべき場面で、このぎこちなさ。
もしかしたら、これは、影の主役とも言うべき、薔薇の家の主人、老男爵リーザハと、マティルデとの悲恋を生き生きと描き出すための方便だったのかもしれない。

最善の書物―「晩夏」に描かれている、限りなく美しく善きもの

「晩夏」の問題点について、つい述べてしまったが、それ以外の点では、この小説は、今でもなお、私にとって、最善の書物である。
老いて行く人が、若い人達に何を残せるか。
これから、という人たちに惜しみない支援を与える、年上の人達――それは、二人の画家兄弟、オイスタハとローラントに対するリーザハの姿、また、主人公ハインリヒ並びにナターリエとグスタフ姉弟に対する彼の慈しみ深い姿、また、ウィーン東部に住んでいて、文化、学問、芸術、社交、政治等に関して、非常に高く評価されているサロンを主宰している、老公爵夫人の姿を見るに明らかである。
この老公爵夫人は、老いてなお、知的好奇心を失わず、自ら新しい知識を求め、社会への関心を持ち続けている。
主人公も、彼の地球形成の歴史についての知識とその研究方法に興味を抱いた夫人によって、サロンに招かれたのだが、この老公爵夫人の最大の才能は、他人の才能を外に引き出すことである、と描かれているように、サロンに参加する度に、様々な人々と知り合いになり、知的精神的な面で学びを深め、洗練の度を高めて行く。
老いた人は若い人を教え導き、支援をし、若い人は老いた人を尊び敬愛する。
主人公の家族にしても同じことである。
ウィーンの富裕な実業家である父は、妻を愛し、家庭を護り、子供たちを育んでいる。
母は夫を愛し、尊敬し、何よりその健康を気遣っている。子供たちへの愛情と心配りの細やかさは言うまでもない。
兄ハインリヒと妹のクロティルデは、お互いに愛し合う仲の良い兄妹であり、二人とも両親の意見を尊重し、愛し、敬っている。
「晩夏」の世界には、限りなく美しく善きものが、手の届くところにある。
私が、この世界を最善のものと思う所以である。

「晩夏」と「水晶」を結びつけるもの

ここで、冒頭に述べた、「晩夏」と「水晶」についての問題に戻ろう。
「晩夏」について語るなら、まず、「水晶」から。
「水晶」は、良く知られている通り、短編集「石さまざま」のうちの一篇である。
この短編集は、1853年の出版であり、「晩夏」は、1857年に出版されている(もっとも、「水晶」の原形である「聖夜」は、1845年に書かれている)。
何が「晩夏」と「水晶」を結びつけるのか。
それは、私にとって、主人公兄妹の関係であった。
「水晶」に登場する、コンラートとザンナ兄妹と、「晩夏」に登場する、ハインリヒとクロティルデ兄妹。

あなたは、本を読み終わった時、この登場人物達は、この先どうなるのだろう、と思ったことはないだろうか。
何年か先、この二人はどうなっているだろう、と。
色々想像した揚句、別の本を読んだ時に、その答えが書いてあったとしたら。

私にとって、まさしくそれが、「水晶」と「晩夏」の関係だったのである。
私は、いつの頃からか、クリスマスが近付くと「水晶」を読み返すのが、例年の習慣になっていた。
「聖夜」という原題通り、コンラートとザンナの幼い兄妹が、雪山の氷河の中をさまよい歩くのは、クリスマス・イブのことだったからである。
雪山の氷河から抜け出し、下山するために取る方法として、自分の考えを妹に説明する兄。
一言の異議もはさまず、それに従う妹。
なぜなら、兄が何でも知っていて、しっかりした考えを持っていることに深い信頼を寄せ、その導きに絶対に従っていたから。母が父に対してそうであるように。
兄はひたすら前に進む。妹は寄り添って歩く。
母から、「この子をおまえにあずけるんだからね」と言われている。
何があっても、この妹だけは守り抜かなければならない。
雪はやまない。
コンラートは、自分の帽子を脱いで、妹にかぶせてやる。
毛皮の上衣も脱いで、妹に着せた。
自分はシャツだけになったが、その上に、それまで妹がかけていたきれを大小二枚かけ、自分はこれで十分だ、と思う。どんどん歩けば、凍えることはないだろう、と。
やがて夜になり、雪山から下りることは不可能になる。
洞窟のようになっている岩を見つけて、一夜を明かすことにした。
妹に自分の分のパンを与える兄。
兄が食べていないのを見て、残りを渡す妹。
夜中に近付くと、妹が眠りかけてしまった。山で眠れば死ぬ。
ありったけの知恵を振り絞り、お祖母さんからもらった濃いコーヒーを飲ませることで、凍死から妹を救おうとする兄。
コーヒーの効き目(子供たちがコーヒーを飲んだのは、この時が初めてだった)と、自然の偉大な力(三度、氷河は、身の毛もよだつような大音響を立てて、裂けた)とのおかげで、子供たちは、眠らずに夜を過ごし、朝を迎えた。

この後、二人は村人達に救出され、両親とも合流できて、無事に下山し、大団円を迎える。両親の結婚を快く思っていなかった祖父も、可愛い孫たちが助かった喜びから、初めて婿である父親の家に行くことになり、心あたたまるフィナーレである。

「水晶」のザンナのその後

ただ、その後のザンナのことを、つい私は考えてしまうのであった。
ザンナが大きくなって、年頃になったら、お兄ちゃん子のザンナは、どんな男性が言い寄って来ても、兄と比べてしまって大変だろうなあ、と。
あの雪山の中で、兄は命懸けで自分を護ってくれた。
帽子も毛皮の上衣も自分に譲ってくれた。もちろん食べ物も。
このひとにそんなことが出来るだろうか。
そう思うと、なかなかこの人なら、という男性とは巡り会えないのではないか、と思ったのである。
ザンナの母は、評判の美人だったし、父は学校時代は最優等生の一人だったから、その両親の息子であるコンラートは、普通に考えても、女の子に騒がれるような男子に育っているはずである。
コンラートは父のあとを継いで靴職人となり、修業に出るだろうから、その先ででも、好きな女性に出会えるだろうけれど、ザンナはどうなるのかな、と考えていた。

成長したコンラートとザンナ―「晩夏」のハインリヒとクロティルデ

そんな風に考えていた時に、「晩夏」を手に入れたのである。
そこには、永年の私の懸念に対する答えが描かれていた。
兄ハインリヒは、薔薇の家の主人、リーザハ男爵の昔の恋人、マティルデの娘、ナターリエと出会い、恋に落ちる。
ところが、ナターリエという絶世の美女のことを想いながらも、ハインリヒの妹クロティルデへの愛情は健在なのである。
それと知らずに劇場でナターリエを見かけたあと、ハインリヒはその面影を心に抱きながらも、そのひとの次には、妹のクロティルデが世の中で一番美しい(クロティルデのように美しくて清らかな少女はほかにはあるまい)、と思っている。
ナターリエとの結婚話が決まった後、これからは、誰が私と一緒に絵を描いたり、スペイン語の勉強をしたり、ツィターを弾いたりしてくれるのかしら、というクロティルデの問いに、ハインリヒは、ぼくとだよ、クロティルデ、と答えるのである(その後で、ナターリエと一緒にしてもいい、と言いはするが)。
兄妹二人で、山へ旅行に行った時には、行った先の人々がクロティルデを見て、美しい上品なお嬢様だと驚き、このような妹のある自分を尊敬の目で見た、と言う始末である。
両家の顔合わせのため(ハインリヒの父から、正式に結婚を申し込むため)に、一家でシュテルネンホーフを訪れた時には、ハインリヒはクロティルデにナターリエを紹介して、「こちらが、お前と同じように、ぼくが心から愛しているナターリエさん」と言うのである。この時には、さすがに、クロティルデが、「いいえ、私以上ですわ。それが当然ですもの」と、もののわかった受け答えをするのだが。

クロティルデの葛藤

一方、妹のクロティルデの方は、と言うと、兄ハインリヒが、ナターリエとの結婚によって幸せになるのなら、それで自分も嬉しい、というスタンスである。
ナターリエの容姿や、二人の馴れ初めを詳しく尋ねる場面などは、兄の婚約者に対する、対抗意識がほの見えるところもあり、やっぱり兄さんを取られるのは悔しいのだろうな、と微笑ましく感じられた。
実際にナターリエと顔を合わせた時には、互いに首にすがりついて泣いた、ということになっている。いかにも女の子同士らしい姿である。
兄を取られる寂しさはあるものの、お姉さんが出来るのは嬉しいのだろう。
取り敢えず、相手が自分に勝るとも劣らない美少女だということで、クロティルデも心の整理がついたことだろう。
ただ、兄ハインリヒが、お前もいつかは誰かと愛し合い、結婚して、実家を出て行く日が来る、と言ったのに対しては、クロティルデは激しい拒否反応を示す。
自分が愛しているのは、両親と兄とナターリエとその身内の人々だけである、と宣言するのである。ハインリヒはそんな妹を、やさしく見守っている。

引き継がれて行く物語(私の想像を交えて)

クロティルデは、ザンナが成長して大きくなった姿である。
住んでいる場所は、都会と山村という違いがあるが、美しさも、愛情深い家族がいる点も同じである。
コンラートの縁談が決まって、ザンナは嬉しいような寂しいような悔しいような、もやもやした感情の内にいる。
命懸けで自分を護ってくれた兄は、今度は、他のひとを命懸けで愛し、守ることになる。
自分はひとりぼっちになってしまう訳だけれど・・・。
ミルスドルフのお祖父さんが、今度の市の日に、ぜひ遊びに来てほしい、と言っていた。
お祖母さんも、いつもよりほんの少しだけ、おしゃれしておいで、と言っていた。
何かあるのかしら。
お母さんも、お祖父さんが喜ぶから、行ってらっしゃい、と言っているし、お父さんだけは、別に無理して行くことはないだろう、と言っていたけれど、ミルスドルフに行くことくらい、今はもう、何ということはない。
行ってみようかしら。

「水晶」から「晩夏」へ。
そして、また、「晩夏」から「水晶」へ。
物語は引き継がれる。
大きくなったザンナの姿は、私の想像だけれど、こんな風だったらいいな、と思う。
そして、クロティルデにも、素敵な出会いがありますように。
二人の幸せを、そして、二組の兄妹の幸せを、私は願う。

*「晩夏」アーダルベルト・シュティフター作
  藤村宏訳
 ちくま文庫(株式会社筑摩書房)
*「水晶」アーダルベルト・シュティフター作
 手塚富雄・藤村宏訳
 岩波文庫(株式会社岩波書店)

#読書の秋2020  #「晩夏」「水晶」


サポート頂ければ光栄です!記事を充実させるための活動費, 書籍代や取材のための交通費として使いたいと思います。