見出し画像

試験に落ちてしまった!――こんな時に心を落ち着かせるには

一生懸命準備してきた試験に落ちてしまった…。

こんな時はがっかりして気落ちしますし、何もかも放り出してどこかへ行ってしまいたくなります。
試験を受けた後に手応えがあった時には、結果とのギャップになおさらがっくりきて、受かっているかも、と思った自分が恥ずかしくなったり、情けなくなったり。
自分は落ちて、ライバルが受かっていたりしたら、なおさらです。
辛いですね

私も今まで何度かこういう思いをしてきました。
その都度、二、三日、眠れない思いをしたり、あんなに練習したり、勉強したりしてきたことは、全部無駄だったのだろうか、と自問したり。逆にもっと準備できたのに、しなかったのではないか、と自分を責めてみたり。
悶々とした時間を過ごしたものです。

結局、第二候補の道に進んだり、第二あるいは第三希望の進路を選んだりして、現在に至っている訳ですが、今思うこと。
無駄なこと、というのは人生にはないのですね。そして、もっと出来たんじゃないか、というのも、やっぱりないのです。そうではないのです。その時は、それしか出来なかったのです。

ですから、試験に落ちたからと言って、自分を責める必要はないのです。
自分はその時に出来る最善を尽くした
のだから、結果がどうであれ、それは仕方のないこと。
悔しいし、泣けてきますが、しばらく落ち込んだら、あとはもう振り返らないことです。これはもう、自分に言い聞かせて下さい。
良く頑張ったね、と、自分をねぎらってあげて下さい。
これが、気位の高いひとのやり方
です。

気位の高いひとは、自分自身がすることにおいて、すべてに高い水準を設定しますが、たまたまその結果が意に沿わないものだったからといって、自分を責めるようなことはしません
やるだけのことはやった、と言い切れるまで努力するから、結果が思うようなものでなかった時も、後悔がないのです。

ただ、これは、言うのは簡単ですが、この境地に至るのは、なかなか大変です。
私たちは、何と言っても人間ですから、納得したつもりでいても、ちょっとしたことで気持ちが揺れ動いてしまうものなのです。
こんな時によく効くのが、「精霊のお導き」です。
ぜひ試してみて下さいね。

もう随分前のことになりますが、子供たちが通っていた教会学校の牧師様が、こんなお話をして下さったことがありました。
聖書の中には、イエスの弟子たちが、このルートを行くつもりだったのだが、精霊の導きによって、別のルートに変更した、等の表現があります。
これは、初めは海路で行くつもりだったのだが、海が荒れていて、なかなか出航できなかったため、陸路で行くことにした、ということなのですよ、と。

昔のことですので、多少記憶違いがあるかもしれませんが、大体以上のような内容でした。このお話を聞いた時に、私は、これだ、と思ったのです。

あなたが第一希望の就職先に合格できなかった時、第一志望の大学に落ちてしまった時、それは、第二希望の会社や、第三志望の大学の方が、あなたに合っていますよ、ということなのです。
「精霊」が、そう教えてくれているのです。

そう思って、受かった企業や学校で、自分の能力を伸ばして行きましょう、落ちてしまった所は、あなたには合わない所だと、「精霊」が忠告してくれたのですよ、と。

努力を続ける限り、あなたは成長し続け、第一希望の道を行った時よりも、もしかしたらより良い結果を出せるかもしれません。
第一希望の道ではない、別の道を通って、最初の道では望み得なかった、さらなる高みに到達するのかもしれないのです。

子供たちが私立中学校の受験をした時には、塾の先生が、「受かった学校が、お子さんに一番合っている学校なんですよ」と教えてくれました。
どんなに努力をしても、結果が伴わないことは、常にあります。
そんな時、第二志望の学校にいやいや行くのではなく、第二志望の学校こそが、自分にぴったりの学校だと子供も思い、受かった学校こそがご縁のある学校と、親も思えることが、入学後の子供たちの将来を 明るく輝かせるのだと思います。

まとめます。
試験に落ちてしまった、そんな時には、まずはそれまでの自分の頑張りをねぎらい、いたわってあげましょう。
決して自分を責めてはいけません。

そして、モヤモヤする時には、「精霊のお導き」を思い出して下さい。
別のルートを通っても、目的地に着きさえすれば、それでいいのです。
むしろ、あなたの行った道の方が、景色も良く、道連れも見つかる道
かもしれませんよ。

サポート頂ければ光栄です!記事を充実させるための活動費, 書籍代や取材のための交通費として使いたいと思います。