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「智子さん」と「朝子さん」の美女対決!

こんにちは、ぱんだごろごろです。
常日頃考えていたことなのですが、小説には、様々な美女が出て来ますよね。
中には、主人公の美女を、「絶世の美女」と評するものもあります。
要するに、そういう設定にしておかないと、ストーリー展開が上手く行かないから、つまりは、複数の男性が、主人公に同時に魅せられ、惹き付けられる、という状況を、不自然でなく設定するための要因が、「絶世の美女」設定というわけです。

絶世の美女

こういう小説では、作者が主人公の美しさを褒めたたえます
でも、ちょっと待てよ、色々な小説家が、同時に、自分の作り出した「絶世の美女」を世に送り出した場合、かち合う、ということはないのだろうか?
ある小説に出て来る絶世の美女が、他の小説家が創り出した絶世の美女と、もし同じ場所に居合わせたら、どちらがより美しいと言うことになるのだろう?

はい、申し訳ありません。
愚にもつかない問いでありました。
でも、あまり「絶世の美女」がたくさんいると、価値が下がる気がするんですよね。
「絶世」というからには、同時代に一人であって欲しいものです。
わがまま言って、ごめんなさい。

と言うことで、今まで読んできた本の中から、世にもすぐれた容貌を持つ美女を二人、お連れしましたので、このお二人について、美女度を考えてみたいと思います。
年齢がほぼ同じで、住んでいる場所も近いと、比較するのが面白いなぁと思い、色々調べましたが、まったくの同い年、という人は見つからなかったので、ご容赦願います。

こういう場合、親の財力や、育った環境なども、あまり掛け離れてしまうと、比較が成り立たなくなるので、難しいところです。
深窓の令嬢と、美貌を武器に、したたかに生きてきた女性とでは、魅力の質が変わってしまい、「二人ともすごい美人だけど、タイプが違うよね」で終わってしまうからです。

なお、江戸川乱歩や横溝正史など、推理小説の登場人物に美女が多いのは、犯人が執着する相手が、ずば抜けて美しい女性でないと、犯罪の動機として、読者が納得しないからです。
トロイのヘレンちょっと美人というくらいの女性だったら、トロイア戦争は起きなかったでしょう。
夫のメネラーオスも、外交上、無理に妻を取り返そうとはしなかったでしょうから。

「大道寺智子さん」と「木宮朝子さん」

はい、それでは、「智子さん」と「朝子さん」の登場です。
無論、いずれも「気位の高いひと」たちです。

*智子さん・・・大道寺智子(だいどうじともこ)
      昭和8年5月25日生まれ
      登場作品・・・「女王蜂」作者 横溝正史
住所・・・東京都世田谷区経堂  実家は伊豆南方にある月琴島
*朝子さん・・・木宮朝子(きのみやあさこ) 
                     昭和10年生まれ
                     登場作品・・・「女神」作者 三島由紀夫
住所・・・東京都大田区田園調布  別荘は軽井沢

智子さんは、昭和26年、18歳になったら、月琴島を出て、東京都の経堂にある、父の家に移ることになっていました。
月琴島は、母の実家であり、母の死後も、智子さんは、祖母のいる島で暮らしていましたが、18歳になったら、配偶者を探すために、上京することになっていた訳です。
上京に際しては、祖母と家庭教師と女中も一緒ですし、父も、智子さんのために、一軒、別棟の家を建てるという、破格の扱いです。

これは後になって明かされるのですが、智子さんの実父は、大道寺氏ではなく、その亡き親友である、衣笠智詮(きぬがさともあきら)であり、彼の父は、もと皇族の衣笠宮ですので、智子さんは、生まれも、戸籍上も、相当の上流階級のお嬢さまです。
なお、孫を手放したくないという母方の祖父の意向で、教育は、家庭教師を島に招いて行いました。

朝子さんは、登場時、新制大学一年生、と紹介されています。
【使ってはいけない言葉――「やばい」はやめておきましょう】でも、この「女神」を取り上げましたが、そこでもご紹介した通り、父は財閥系の会社の専務取締役であり、木宮家は、軽井沢に別荘も構える、裕福な上流階級の家庭です。


智子さんの場合、最初から、作者は、「絶世の美女」設定です。
「大道寺智子の美しさは、ほとんど比べるものがないくらいであった。」と言い、歌舞伎座では、「ほかにどのようなうつくしいひとがいたとしても、おそらく智子に立ちならぶものはなかったであろう。」と述べるのです。

一方、朝子さんの父は、娘のことを、「世間のどの女も右に出られない美しい自分の娘」と評し、時々若い男が娘のほうへ振り向くのを見ては、「朝子は男という男の心を奪うのだ」と、悦に入っています。

智子さん・・・ふっくらとした卵型の顔。笑うと、えくぼに愛嬌がある
神々しいばかりの気高さと威厳にみちているが、冷たい感じはしない。
朝子さん・・・鮮明な美しさ。女らしさ、明るさ、快活さという、人に親しみ    を与える力を持つ。冷たい美貌ではない。

さあ、あなたは、どちらの美女がお好きでしょうか?
どちらも冷たい美貌ではない、という点は共通しています。

まとめます。


もともと、歌舞伎座で、「智子さんに立ち並ぶひとはいなかっただろう」というくだりで、「では、その場に朝子さんがいたらどうだったのだろう」という疑問から始まった、今回の考察です。
朝子さんは、智子さんより二才年下、この時点で16歳ですから、着飾るにはまだ早いお年頃、無論お化粧もしていないので、これでは公平な勝負とは言えないな、と思いました。
絶世の美女対絶世の美少女
もし、二人が同じ年齢だったら、これは楽しいですね。
女神のような美女と妖精のような美女、あなたはどちらになりたいですか?






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