見出し画像

三大美女~日本編と世界編

日本の三大美人


こんにちは、ぱんだごろごろです。
今日は三大美人について、語ります。
と言うのも、学生時代に、平安時代の三大美人には、二通りある、と先生から習って、両方とも覚えていたのですが、ふと、先日思い出そうとしたら、ごっちゃになってしまっていたのです。

「蜻蛉日記」についての講義の時に習ったので、どちらにも「蜻蛉日記」の作者である、「藤原道綱の母」が含まれていることだけは、覚えていたのですが。
彼女は本名がわからないので、「道綱の母」とか、「倫寧の女(むすめ、と読みます。娘のこと)」などと呼ばれています。
「尊卑分脈」には、「本朝第一美人三人内也(日本で一番美しい女性三人のうちの一人)」と書かれています。

皆様も古典の時間に習ったことがあると思うので、簡単に書きますと、「道綱の母」は、評判の美人な上に、和歌にも長けていて教養があったため、時の権力者、藤原兼家から求婚されます。
兼家は、清少納言が仕えた定子皇后の父、道隆のお父さん、つまり、定子の祖父に当たります。

道綱の母からすれば、玉の輿ですが、兼家には、その時すでに、正妻の時姫(道隆の母)がいましたし、兼家には、この二人以外にも、付き合っていた女性が数人いたため、彼女は、常に嫉妬にさいなまれます。
その心理を描いたのが、「蜻蛉日記」なのですね。

絶世の美女で、教養があっても、なかなか(男心をつかむ才覚がないと)幸せにはなれないのだな、ということを学びました。
彼女も「気位の高いひと」ではありますが、時代背景のせいで、自分で自分の人生をコントロールすることは、困難だったのです。

さて、もとに戻って、平安(それより以前の時代も含む)時代の三大美人は誰かと言うと、次の二説でした。

①道綱の母
②衣通姫(そとおりひめ、允恭天皇の妃、諸説あり)
③小野小町(平安時代前期の歌人、六歌仙の一人)
①道綱の母
②光明皇后(聖武天皇の皇后)
③染殿后(そめどののきさき)=藤原明子(ふじわらのあきらけいこ、文徳天皇の女御、清和天皇の母)

衣通姫は、着ている物を通しても、その美しさが輝いていたため、こう呼ばれたそうです。
光明皇后は、悲田院(福祉施設)や施薬院(医療施設)を作った皇后として、知られています。
染殿后には、「今昔物語集」巻20第7に、その美しさゆえ災いを招いてしまった逸話が載っています。

この5人の中でも、最も有名なのは、小野小町でしょうか。
百人一首の和歌、「花の色は 移りにけりな いたづらに 我が身世にふる ながめせし間に」で知られています。

世界の三大美人


世界の三大美女と言えば、次の三人ですね。(日本では、トロイのヘレンではなく、小野小町を入れるようですが、スケールの大きさで言えば、ヘレンが有利でしょうか)

クレオパトラ(エジプト)
楊貴妃(中国・唐)
ヘレン(トロイ)

クレオパトラは言わずと知れたエジプトの女王。
カエサル(シーザー)とアントニウスの二人のローマ人を魅了したことで知られています。
映画では、世界一の美女、エリザベス・テイラーが演じました。

楊貴妃は中国唐の時代の傾城傾国の美女。
もとは、玄宗皇帝の息子の妃でした。ライチが好物だったそうです。
白居易の「長恨歌」で有名で
す。

ヘレンは、ギリシャ神話の中の人物で、絶世の美女と言われ、メネラーオスの妻となります。
ところが、「三女神の美の審判(パリスの審判)」の結果、女神アフロディーテから、最も美しい女性を手に入れる権利を得たトロイの王子パリスは、ヘレンを自国トロイに連れ帰ってしまいます。
おさまらないのは、夫のメネラーオスで、妻を取り返すために起こったのが、あのトロイ戦争でした。

欧米で、「ヘレン」と言えば、「美人」という意味です。
日本でも、小野小町の名前から、ある地域で最も美しい娘さんのことを、「小町娘」と言いますよね。

アガサ・クリスティの、「ハーリ・クィン氏」物の中に、「ヘレンの顔」という短編があります。
この中で、初老の紳士、サタースウェイト氏は、純粋な美の持ち主とでも言うべき女性と知り合います。
この美しい少女の顔のことを、「ヘレンの顔」と形容する訳です。

まとめます。


日本の三大美人

①藤原道綱の母、衣通姫、小野小町
②藤原道綱の母、光明皇后、染殿后

世界の三大美人

クレオパトラ、楊貴妃、ヘレン

私の母によれば、母の伯母(私の大伯母)は、「目白の三美人」と言われていたそうです。(関係者はすべて物故者となったため、確認する術はありません。)
あなたもお住まいの名前をつけて、「○○小町」と呼ばれているかもしれませんよ!

サポート頂ければ光栄です!記事を充実させるための活動費, 書籍代や取材のための交通費として使いたいと思います。