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記憶の形をしたなにか
大学2年の春休み、僕の住む京都でのことだ。
高校の同級生の瀬戸さんに木屋町に連行され飲酒に付き合わされた。彼女がバイトして買ったライカの自慢をすれば僕はベンジーのレコードの話をするようなドッジボール的会話をする関係性が楽しくて、アルコールが入れば一層加速して何軒もハシゴした。僕が帰ろうとしてもうるせえと彼女に一蹴されたが、ついに最後の一軒で追い出された。
時間も分からないが少なくとも日付は越えたような頃に先斗町を行くと川を望む小さな公園が見えた。
「おおー。風流」
彼女は公園に吸い込まれていった。そこには何本かの桜が見事に咲いていた。街灯に照らされた桜とブランコ。映画のセットのような光景で、あまり現実味がなかった。
ブランコだ、とはしゃぎながら彼女はもうブランコに座って漕いでいた。横で見ていてもあまり高くはならないが、きいきいとブランコのきしむ音と、からからという彼女の笑い声が響いた。夢でも見ているようだ。
水分を含んだ柔らかな夜風が私たちの頬をなでて、冬を越えた人間に涼しいという感情を思い出させてくれるようだった。
「ブランコってさ」
彼女に声をかける。
「えっ、なに?」
「ブランコ。春の季語らしいよ」
なんで、と彼女に聞かれた。そんなの知らないよ、と答えるよりなかった。
ブランコを漕ぐたびに彼女のつややかな髪が揺れ、ずいぶん増えたピアスがきらめいた。
世界というのは彼女と僕がいるところを意味する言葉だと思った。永遠であってほしかった。彼女の声も、一瞥も、言葉も、時間も、すべてを自分のものにしてしまいたかった。
「ねえ!」
思いもかけない大きな声で彼女に呼びかける。どうしても今言わなければならないことがある。
「瀬戸さん。君のことが好きなんだ」
一瞬の無音。空気さえも止まったようだった。
しかし空白は彼女の大きな笑い声で破られた。
「シラフで出直したら答えたげる!」
楽しそうで実に屈託のない様子だった。僕は完全に負けたと思った。むしろ同じ勝負をしていなかったことを知って敵わないと思った。
「まあ頑張りなよ」
別れ際にそう言った彼女は夜道の向こうに消えていった。
それ以来彼女とは会ってない。会う必要がなかった。ただ、この星のどこかで彼女は生きているというその確かな実感があれば惑いもなく生きていけることを僕は知っている。
思うところ
誰が何と言おうがハッピーエンドです。こういうときに呪縛に囚われずに終われたので無問題です。きっぱりとあしらってくれた瀬戸さんに感謝ですね。
そもそも酒のんだ状態で告白してしまう段階でお話にならないし、なによりそのことに言われて初めて気づく始末ですから主人公は本当にどうしようもないやつです。でも、そういうのを知っていくのが人生というものなんでしょう。それにしても私はこの主人公が嫌いですね。
鞦韆は漕ぐべし愛は奪ふべし 三橋鷹女
「惜しみなく愛は奪ふ」とはよく言ったもので愛は与えることよりも奪ってしまう点に本質がある非常に厄介なものらしいです。主人公の感情も完全に瀬戸さんのすべてを奪う方向に舵が切られており非常に危険です。「好き」なんて言葉で片づけていいものではなく、むしろ愛とも異なり執着めいてあまりにも独善的です。一歩間違えれば非常に危うい結末を迎えていた可能性があるものでした。こいつは見事に救ってくれた瀬戸さんに一生感謝しなけらばなりません。そして、その感謝の極致は主人公が瀬戸さんのことをきれいに忘れることでしょう。
あと、マシュマロ1000字縛りに直前に気づいて直前に整えました。字数制限には気をつけようね。
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