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コロナウイルスは「Heel」なのか?②

*この記事は前回の投稿

…の続きとなります。


みなさんこんにちは。気学Style 西島です。

気がつけば11月も23日。あと5日もすれば第19回こ・こ・か・らです。
コロナウイルスの第3波は依然として懸念材料ではございますが十分に予防環境に配慮し対策を行う形で実施予定です。
こうした状況下にあって、出展、来場しようという皆様がいらっしゃることには本当に心より感謝です。

コロナの状況の変化で万一開催を見合わせる時はご案内いたしますが、定期的な換気や、詰め込みすぎない会場レイアウト、もちろんアルコールをはじめとする各種除菌グッズなど完備してイベントは開催いたします。
よろしければ当日足をお運びいただけましたら幸いです。

さて、様々なニュースのせいで下火になっておりますが、アメリカ大統領選はどうなってゆくのでしょうか。
トランプ大統領が敗北宣言を出さないことには落着しないという大統領選。
トランプ氏からみてバイデン氏を絶対に大統領にさせたくない隠れた問題でもあるのでしょうか。

今回のコラムを書いているきっかけには、実はそんなトランプ氏を少し連想している部分もございます。

アメリカプロレスを例えに引いてお話しいたしておりますが、トランプ氏も十数年前に前回言及いたしましたアメリカ最大手のプロレス団体の経営者として参画したことがあります。
そんなトランプ氏が会場に現れる時は天井からお札を降らせてみたりと本人が資産家であることを十全に活かしたキャラクター作りをしておりました。
当時は、

「金持ちの資産家オーナー」vs「悪のオーナー」が抗争をする…

というシナリオでショーを盛り上げておられました。
ですが、このシナリオ上で、
「トランプ氏がプロレス興行会社の株を大量に買い付けて会社を支配する」
というストーリーを描いたところ、当の興業会社の株が実際にあわや暴落ということになりかけたため業界から身を引いたという経緯がございます。

最後の仕掛けこそ不発に終わたっとえはいえ、さすが九紫火星だけあってというべきか、トランプ氏はこうしたショービジネス的な演出は出来るほうの方ではないかと思ったりしております。
そして、こうした過去の話を思い出すにつけ、今回の大統領選でもトランプ氏は何か狙っているところがあるのではないかとつい思ってしまいます。

さて前置きが長くなってしまいました。
前回の続きに戻りましょう。

変化の先

前回のコラムでは、

コロナにて生活のあり方が変容した先に、
さらなる変化が出てきているのではないか

というお話をいたしました。

タイの民主化デモや、電通の社内制度の変化の話を引き合いにお伝えしてみましたが、こうした大きな話以外にも皆様の身近なところでなにかそう言った変化は見つけられましたでしょうか。

多くのシーンにおいては、今はまだ過渡期であるかも知れず、そうした変化もまだ見つけづらいところはあるかもしれません。

ですが、コロナウイルスが最初に確認されてからはや一年です。

2020年の終盤である今、私たちはコロナという存在によって、
新しい気づき・疑問に至ってきています。

一昔前なら、「満員電車で会社に通って働くことこそが会社勤めというものである」はずでした。

ですが、今年現れたコロナウイルスはそうした既製の概念に疑問符を投げかけたのです。

コロナが世に現れたころは、それこそ
「Covid-19という恐ろしいウイルスから身を守るため」
ということで私たちは学校を休校にしたり、リモートワークを導入したりなど試行錯誤しながら身の振り方を変えてきました。

そして、こうした生活が長く続いた先で私たちは自分自身が、旧い思い込みに囚われすぎていたことに気付きつつあるのではないでしょうか。

会社には月に数度足を運べば良いため、
大好きな島暮らしを始めて魚をつりながら悠々自適に毎日を過ごすサラリーマンがいらっしゃいます。
あるいは、田舎の自然の中で森の恵みを楽しみながら生活をする設計職の方もいらっしゃいます。

日々の変化の先、私たちの生き方も変化しようとしているように思えます。

Allegoria del trionfo di Venere

今回のコラムを書くにあたり、どうもこの絵のイメージが出てまいります。
イタリア語で書いたタイトルは日本語にすると「愛の寓意」となりますが、こちらはイタリアの画家、ブロンズィーノの作品です。

皆さんの中には何かの機会でこの絵をご覧になったことがある方もおられることでしょう。
その画像を下にあげてみます。

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この絵に描かれているのは愛に関するものですが、画面のヴィーナスを含めその左右に描かれているものは、背徳・欺瞞・嫉妬・不誠実・偽りの象徴です。

つまり、「愛」とはいうものの、そこには「愛」に関連こそすれ、実は「愛」とはいえない「愛」の付帯物である様々なものが存在することをこの絵は示しています。

そして画面の上方、少しライトが暗めのところに目をやりますとそこには絵の背景にあるベールを剥ぎ取ろうとする老人が描かれています。

よく見るとこの老人の肩(画面ではその顔の向かって左)には横に砂時計が描かれております。
このことから、この老人は「時の神」あるいは「時」が擬人化された姿とわかります。
そして、その「時」がベールを剥いだ向こう(画面左上)に現れている女性が「真実」の擬人像となっています。

つまり、この絵においては、

愛には嫉妬・欺瞞・背徳・悦楽・偽り・不誠実さ…などといった「愛ならざるもの」がつきまとい、こうしたものにまどわされるものかもしれないが、そうした中で「時」こそが愛の真実の姿をあらわにする

というコンセプトが込められているわけです。

一枚の絵の中に多くの含みを持たせるこのやり方は、少し日本の和歌と似て面白いですね。

コロナウイルスは「Heel」なのか

「愛の寓意」では「時」によって明かされる「愛」の真の姿が示されました。

この図式は今コロナによって変化してゆく社会の構図に似ているように思えます。

これまでのある意味平和な時代にあっては、わたしたちは既存の価値観・行動様式に一定の不満を抱きつつも、これまで「それをつかうことでうまくいってきた」その価値観を多くの人が「善し」とし、それにならって動いていました。

もちろん、その価値観などが完璧であったわけではありません。
現代社会に適応できず、忸怩たる思いでいた人たちも多いはずです。
しかし現実問題として既存の行動様式で動いていればなんとかやっていけていたため、多数決的に社会は大きく変わることもなく進んできていました。

つまり、「働く」ことをはじめとして私たちの生活には既存の価値観・行動様式によって導かれた、ある意味不要なものがつきまとっていたわけです。

そしてそこにコロナウイルスというものが現れ、
「とりあえずうまくいっていた」
社会のあり方を一変させてしまいました。

つまり、コロナウイルスが「既存の価値観」というベールを剥ぎ取ってしまったのです。

そして私たちは今、少しずつ気づいています。

やはり既存の価値観などには問題があり、一部は不要であることに。
コロナがやってきた今、既存の価値観を覆す新しい動きができるようになってきたことに。

コロナウイルスはこれまで世界で大きな被害を出してきました。
病で亡くなった方々もたくさんいらっしゃいます。

この点において、手放しでコロナを「変革の立役者」として歓迎することはでようはずもありません。

ですが、コロナウイルスは世界を席巻しその脅威を示したことで大きな変革をもたらし、新しい時代を開いてゆこうとしてもいます。

コロナウイルスという大きな脅威はいずれワクチンなどが開発されて勢力を失ってゆくことでしょう。
ですがコロナウイルスはそうして消えゆく前に私たちに様々な気づきを与え、新しい時代の扉を開ける一つの要素にもなっています。

プロレスのシナリオにおいても、ヒールはいずれ撃退されてゆきます。
ですが、そのヒールが悪役を大いに演じる中で新しい正義のスター選手が生まれるなどしてプロレスの興行はより盛り上がりを見せてゆきます。

改めて、これまでコロナウイルスによってもたらされた被害は悲しむべきものです。これは揺るぎません。
しかし、コロナウイルスの大きな脅威があるからこそ、今年の「庚」から、その後に来たる「辛」への道筋がよりはっきり示されているように感じます。

前回もお伝えいたしましたように、2021年の宇宙の気の流れを表す十干は「辛」です。

そしてその辛の年にあっては

古い枝・余計な枝を払うような、一種の痛みを伴いつつ変わってゆくこと

を求められます。

ヒールが正義のレスラーを手ひどい目に遭わせるが如く、変化とは時に苦痛を伴うものです。
生活がさらに変わってゆくことはやはりストレスになるでしょうし、会社にとっても体制の変革はコストや「変わりたくない」人員の調整というストレスがあります。

そういう意味合いでは、変化という言葉をキーワードに、紛糾する組織も出てくるでしょう。

ですが、この変化を乗り越えた先にはきっと、私たちにとって新しい世界が待っています。
ある意味、この形の変化に乗れるかどうかが今後どうなってゆくかの分かれ目になるとも言えるでしょう。


…このように考えてまいりますと、いわゆる「ヒール」とは少し性質は違うものの、コロナウイルスは非常に「ヒール」的だと思います。

まもなく2021年。
変化を恐れず、不安定を楽しみながら進んでゆきたいと思います。


次回の投稿は11月29日です。



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