見出し画像

追悼

*今回は私的なコラムとして失礼いたします。

それは、剣と言うにはあまりにも大きすぎた
大きく、ぶ厚く、重く、そして大雑把すぎた
それは、正に鉄塊だった

その漫画と出会ったのは確か予備校へ通っていた頃だったと思います。
電車で横に座っていたとき、横の人が読んでいる漫画雑誌をちらとのぞいた時にその印象的な表紙絵が目に飛び込んできました。

その時は何の漫画であるのか見当もつかず、ただ
面白そうだな
…と言う印象だったのですが、不思議なものでその出会いから間も無くその漫画のタイトルを知り、単行本を手に入れると言う運びになりました。

その漫画のタイトル、それは

ベルセルク(BERSERK)

でした。

最高の漫画

ちょうど私が読み始めた頃は主人公のガッツという登場人物と、「不死の(ノスフェラトゥ)ゾッド」という登場人物が出会った頃でしたからだいぶ序盤の頃でしょう。

中世的な舞台に加え独特の世界観、そして因果因縁の複雑に絡み合う謎の多い物語に私が魅了されるまで時間はかかりませんでした。
また、圧倒的な画力で描かれるその漫画は、昨今の小綺麗なだけの漫画とは違ってとても重厚で、読み応えも充分なものでした。

単行本が出れば購入するのはもちろん、これが掲載されていた白泉社の「ヤングアニマル」という雑誌の購入は当時は週のノルマでした。

この漫画、華やかで楽しいというものではありません。
「ダークファンタジー」という言い方がございますが、ベルセルクこそ本当のダークファンタジーであろうと思います。

そのダークファンタジーの中に、

生きること
人間の強さ
人間の弱さ

などといった作者の人生観なども複雑に絡まってとても深い物語になっています。

名言と呼ばれるものも多いと思います。

いくつかこの漫画のセリフで好きなものもございますが、
そんな中で生き方を考えさせられるこの台詞は今読んでも心が熱くなります。

劇中に登場するグリフィスという主要人物のセリフです。
「殿方にとって夢とは?」
と聞かれて、それに答えた内容なのですが印象的なシーンですのでグリフィスのセリフ全文を載せてみます。

それは

誰のためでもない
自分が、
自分自身のために成す夢です。

世界の覇者を夢見る者
ただ一本の剣を鍛え上げることに
一生を捧げる者。

一人で一生をかけて探求して行く夢もあれば
嵐のように他の何千何万の夢を
喰らい潰す夢もあります。

身分や階級、
生い立ちに係わりなく
それが叶おうと叶うまいと
人は夢に恋焦がれます。

夢に支えられ
夢に苦しみ
夢に生かされ
夢に殺される

そして夢に見捨てられた後でも
それは心の奥でくすぶり続ける、、、
たぶん死の間際まで。

そんな一生を男なら
一度は思い描くはずです。
“夢”という名の神の
殉教者としての一生を

生まれてしまったから
しかたなく
ただ生きる、

そんな生き方
俺には耐えられない。


彼ら(鷹の団=グリフィスの率いる傭兵団)は、、優秀な部下です
何度も一緒に死線を超えてきた
私の思い描く夢のために
その身をゆだねてくれる大切な仲間、

でも、私にとって友とは違います
決して人の夢にすがったりはしない
誰に強いられることもなく
自分の生きるわけは自らが定め
進んでいく者
そしてその夢を踏みにじるものがあれば
全身全霊をかけて立ち向かう、、、
たとえそれが私自身であっても、、、

私にとっては、
“友”とはそんな
“対等の者”だと
思っています。

作画、物語、思想、舞台設計、登場人物、およそ漫画に関する全ての要素が最高な作品、それが「ベルセルク」です。


これまでテレビでは2度ほどアニメ化もされていますし、三部作の映画にもなっています。登場人物のフィギュアも出たりしております。
普段そういうものにはあまり興味はありませんが、ベルセルクの限定フィギュアは流石に欲しいと思ったこともあります。
また、ドリームキャストではゲームになったこともあり、最近耳にしたところでは

「大ベルセルク展」というものが開催予定だそうです。

社会人、特に会社を辞めて以降はなかなかメディアに追いつけず時折情報を目にするぐらいですが、ドリームキャスト以外にもゲーム化されたりいろいろしているようです。

唯一の欠点

ただ、このベルセルクという作品にもただ一つ欠点がありました。

それは

ものすごく描きこまれた作品であるためか、掲載頻度が異様に低いこと

です。

昔はそれほどでもなかったかとも思うのですが、「週刊誌」のヤングアニマルであるにも関わらず、ベルセルクが掲載されるのは月に1度などというペースになっていきました。
下手をすると2月に1度などということもあったかもしれません。

このために、毎週買っていたヤングアニマルの購入が、ベルセルク連載の時だけの購入になり、気がつけば雑誌の購入はやめて単行本になるのを待つというスタイルになっていきました。

こうしたペースでの連載ですから、単行本が出るのも下手をすれば(感覚的に)年に1・2度などということも当たり前です。最近は2年に1度などもあったかもしれません。

こうした連載をされておりますので、私が連載をキャッチしてから現在まで作品とはおよそ30年近い付き合いになりますが、これだけの期間を経て出ている単行本はいまだもって40巻までという有様です。
(しかも確認しましたところ、40巻が出たのは2018年です)

最近人気の漫画「進撃の巨人」も週刊連載ものでしたが、これが始まったのが10年前の2010年。
現在物語は完結し単行本は34巻まで出るとのことですが、ベルセルクの「30年40巻」と比べますといかにベルセルクの進行ペースがゆっくりであるかわかると思います。

このスピードからして、ネットなどの書評では

「読んでいる自分が生きているうちに完結しないのではないか」

など冗談めかして書かれたりすることもありました。

実際のところベルセルクはその物語、40巻目をして

「いよいよこれから物語が中核に入りますね!」

という頃合いです。

しかし、いかに単行本が2年に1度の刊行になっても、それが心待ちで仕方ない…それがベルセルクなのです。

ただただひたすらに物語の続きを心待ちにし、やっと続きが出れば飛びついて購入する。そしてまた1年(下手をすれば2年)待ちわびる。

大いに結構です。
「ベルセルク」なら平気です。いくらでも待てます。

この物語の続きが、終わりが、どのようになるか心から見てみたい。
物語に散りばめられた謎はどういうものであったのか、この世界はどういう世界であったのかを心から知りたい。

途中で投げないでください・頑張って終わりまでなんとか続けてください
…そんなふうに作者の方にも祈るような心待ちで待つ作品

…それが私にとっての「ベルセルク」という漫画です。

永遠の未完

5月20日。

飛び込んだ突然の知らせに目を疑った人は多かっただろうと思います。

ベルセルク作者 三浦健太郎氏が急性大動解離で没。54歳。


…最近、「〜〜ロス」という言葉をよく目にします。

例えばドラマで視聴者から愛されていた役どころの方がいて、ドラマが終わると同時にそれが見られなくなって寂しい
…といった形で、生活の中からそれがなくなってしまうことへの喪失感をしてロスと言うようです。

しかしながら、ペットなどならばともかく、ドラマであれば再放送を見ることもできます。続編が制作されるかもしれません。
バラエティ番組など何かの特別な機会で目にすることもあるでしょう。

この訃報に比べてこうした「ロス」は一体如何程のものかと思います。

作者が、

夜逃げした
疲れて断筆した

などならまだ良かったのです。

なぜなら、その物語はひょっとしたら時をおいて再開されることもあるかもしれないからです。
少なくとも、私たちは「続き」を期待できるのです。

もしくは、物語の続きを作者が直接書かなくても他の方が内容を聞いて漫画として発表してくれるかもしれないのです。
その時たとえ「これじゃない感」があったとしても、その物語は続いてゆきそれを読むことができるのです。

ですが、今回のニュースはそうではなかった。

作者がお亡くなりになってしまわれた。

三浦健太郎氏の頭の中に広がっていた広大な世界は、氏と共にこの世からなくなってしまったのです。

素晴らしい物語の続きは永遠に失われてしまったのです。
だれもその続きを描くことはできません。

およそ30年という付き合いの中、ベルセルクという作品は「年に1度の楽しみ」という人生のピースの一つとなっていました。

「好きな漫画は?」と問われたら、おそらく私は「ベルセルク」と答えるであろう、そんな漫画でした。
先のセリフなどもそうですが読み返して考えさせられることも多く、また時にはそうした言葉に学び自身への檄とすることもありました。

その物語がもう続かなくなったということ…今のところまだ感覚的には私の中で実感も言葉も湧きません。ただただ、様々な意味で「残念」の2文字があるだけです。

三浦健太郎氏もまだまだ描きたいことは山ほどあったでしょう。
氏はベルセルクという作品に自分の全てを込めて、物語として紡いでいたと思います。

想い半ば、そして物語もまだま半ばのうちに逝去された三浦健太郎氏。
氏の素晴らしい作品を今ここで改めて心から称賛し、心から敬意をあらわしたく存じます。

そして何より、30年にわたって、その作品を人生の一部として楽しませていただいたことへ、本当に心より感謝いたしたく思います。


今はただ、感謝と共に三浦健太郎氏のご冥福を心よりお祈り申し上げます。



…物語の続きを次に知ることができるのは、きっと私が寿命であの世に行ってご本人から聞いた時ですね。

だいぶ先のことかもしれませんが、また待つしかありませんね。


そして、今回の件にあって改めて
頭の中にあるものはアウトプットできるうちにアウトプットし切らなければならない…と自分自身、不思議と噛み締めた感もございます。

三浦健太郎氏、そしてベルセルク、本当に素晴らしかったです。
私も負けないように頑張らなければ。


次回の投稿は5月28日です。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?