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きっと

きっと僕は人じゃない。
僕は変に人より強くなってしまったし、きっと人より脆い。
毒されにきた東京にはさらに過酷な猛毒があって、真っ暗なワンルームでiPhoneの光に照らされて生きている。
朝と共に、これが社会だ、これが人間だ、これが世界だ、こんな生物だとでも言うように電車は下向く人を乗せて運ぶ。
人が集まる街、人が夢見る街、東京。
どこかで見た歌詞に「夢の屍」と言う表現があった。
得てして東京という言葉は人の夢の果て、成功の果てというイメージがある。
かとなく人が集まるとやはりそれ相応に希望と絶望を鍋でぐつぐつと煮詰めたような臭いが生活に漂う。年と共に比例する頭蓋の角度はきっと退勤の地下鉄と同じだ。

きっと人は無責任だ。
新天地には、首都には希望があると、自分を鍛えようと、やりたいことをやるのだと決めてここに来た。
だけど、そこで打ちのめされた。
途端に土地のせいにする。
泣く。打ちひしがれる。この世の悲しみすべてを背負ったようにまた歩く。歩いた先に何があろうと知ったことではない。歩くか立ち止まるしかない。
きっとそれは強さであるし、きっとそれは強さじゃない。

いつから人の強さというのは社会の成功へ強く結び付けられるようになったのだろうか。
仕事は成果や数字を求める。
それはそうだ。金あってこその人だ。
いかに金を産むかがイコール直結シンプルかつダイレクトに人の価値になる。
そしていつしか金は人の価値を凌駕してしまった。いつかあった縁側の会話と忘れられないひとこと、吹けば飛ぶような青春は黒のスーツに閉じ込められた。

この世には色々な人がいる。

何を大切にするか、大切にしたいかは人それぞれだと思う。それらを迫害する権利と気概なんて、人は赤子の頃から持ち合わせなんていない。
様々人の形はあれど、僕は汚くても薄汚れていても愛のある人でありたい。

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