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「性的マイノリティがフィクションに登場するとき、そこに意味とか意義を求めるのはおかしい」という話

「性的マイノリティがフィクションに登場するとき、そこに意味とか意義を求めるのはおかしい」、という意見がある。

「意味や意義がなくちゃ登場しちゃいけないのか!」って話だ。
おっしゃる通りだと思う。その通りだと感じていた。

たとえば社会には、車椅子で生活する人がいる。その人は別に意味とか意義とか関係なく、そうせざるを得ないからそうして生きている。

が、フィクションに登場させるにあたっては、「車椅子のその人だからこその役割」を求められる傾向がある。たしかにある。そこに異を唱えたのが冒頭の意見だ。
「何?エキストラの中に車椅子がいちゃいけないの?世の中には普通にいるのに?ちょっと待ってよ。車椅子がノイズになるっていう見方とか、認識とか、社会のほうがおかしくない?」というような。
まったく、その通りだと思う。

でも、一人のクリエイターとしては、「……っていうか逆じゃね?」と考えるようになった。
「逆」というのは、「マイノリティだろうがマジョリティだろうが、そもそも”意味なく登場する”こと自体が、フィクションとして不出来って話じゃないの?」ということだ。

フィクションっていうのは、意味とか意義で満たされるべきものだと思う。
すべてに意味があるべきだと思う。
何の意味もなく30代男性とか、何の意味もなくカワイイ子とか、そんなふうに作られているほうが、「フィクションとして出来が悪い」ものになると考えている。

今どきイチ視聴者でもわかると思うが、セリフはもちろん、小道具も衣装も、ロケーションも、キャスティングも、全部「意味」がある。
「意味」がなきゃいけない。「意味」で満たせば満たすほど、面白い。
「これ意味なくない?」は排除される。普通に。意味ないから。
そういう会議をしている。そういう作業をしている。みんなで。
(「意味のなさに意味がある」系の作品を除いて)

意味のないシーンを描いても意味がないし、キャラクターに意味がないステータスを担わせても、意味がない。意味がないと、意味がないんですよ。

「性的マイノリティや車椅子の方を、意味を持たせなきゃ登場させられない」っていうことが問題なのではなくて。「異性愛者でスタスタ歩く人が、何の意味もなく登場する」ことが、すでに低品質なのです。

そこがあまりに「そういうもの」すぎるから、「なんで意味なく健常者は登場するのに、意味なく障害者は登場できないの?」とか、「意味なく異性愛者には設定されるのに、意味なく同性愛者には設定されないの?」っていう話になる。

そうじゃない。「意味なく健常者が登場する」「意味なく異性愛者に設定される」っていう、その地点がすでに浅はかなんですよ。そっちを許すから、おかしなことになる。

そいつの髪型も、肌の色も、職業も、健康状態も、性的なアレも、「フィクションにおいて」は、「意味で満たされるべき」なんです。
(あくまで「フィクションにおいて」は)

男性主人公の友達が、同性愛者の男性だったとき、主人公に恋するわけでもなく、そいつの恋愛話を取り上げるわけでもなく、同性愛者として生きた知見を主人公に与えるわけでもなかったら、「なんでこの人、同性愛者なの?」とはなりますよ。

もちろん、「なに?意味がなかったら、同性愛者じゃダメなの?」という意見はわかる。
ものすごくそれはそれで腹落ちするんだけれども、それを突き詰めると、あらゆるキャラクターが意味なく登場するという、「我々が生きる、このノンフィクションの世界」との違いが、ほとんどなくなりますよね。作りごとの価値がなくなる。

だから、「なんでこの人、異性愛者なの?」も、同じ態度でつつくべきなんです。
なんか意味あんの?と。
その異性愛者という特性が、物語のどこに機能しているんですか?と。

で、「いや、別に機能とかはないですけど…。だって普通に、異性愛者のほうが多いし…」とかモニョモニョ言い出したら、「はいドーン!!はいしょーもないー!!!大した意味もない設定おつかれ~ィ!!俺ならこうするゥ~!!!」と言うべきなんですよね。

たとえば男性主人公が、別に女性主人公でも機能するような挙動ばかりしていたら、「なんでこの人、男性なの?」って話になったりします。
「この主人公って別に女性でも良くない?」という指摘って、結構できたりする。

そんでさ、「女性でもいいなら、じゃあ今キテるこの女優にしましょうよ」とかなって、その抜群のルックスが別に物語上で機能しないようなキャストに決まったりもする。
そして「フィクションとして出来が悪い」、「意味に乏しい」ものが画面に収まる。

そんなふうに、「意味なく登場できる」のが、マジョリティの特権になっていることが問題だと思う。

で、この問題への向き合い方として、「マイノリティも意味なく登場させよう」っていうことではなくて、「てかマジョリティも意味なく登場しないほうがいい」という態度が望ましいんじゃないだろうか。

***

俺たちは意味なんてあるわけがないこの世界の中から、いくつかをピックアップして集めて、意味を編んで、意味のある面白い世界をつくるんですよ。

そういう作業をしてるんですから。
フィクションをつくってるんですから。

***

「意味」は、「意味なく出す、という意味」も含む。
性的マイノリティも車椅子も黒人も、意味なく出す作品においては、そこには「実社会に彼らは意味などなく存在しているのだから、というメッセージ」が込められているはず。

だから、そういう作品を批判する意図は全くなくて、とても意味があるなと思う。
そういうことが言いたいんじゃない。伝わるかな。

いろんな人がいろんなふうに出るフィクションを、いろいろ見たいのは僕も同じ。

***

僕はほんとに、テレビで見る「意味のない美貌」が苦手だ。
役者がカッコ良すぎるし、キレイすぎる。意味なく。
劇中でモテもしないし。じゃあなんなんだそのルックスは。

これを、「だったら意味なくブサイクも出す」っていう方向性じゃなくて、「美男美女なんだから、そこには意味を持たせません?」っていう方向性で、クリエイトしていきたいということだ。

何もかもを、意味にしたい。

だってどう考えても意味ないもん。この世界。だから。

(了)


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