見出し画像

【グレショー】5回目の放送の感想

※「100円」と設定されているけど、最後まで読めます。文中でこの件について書いてます。よく読んで、課金してくださいね~!

×××加筆×××
と、いう設定をしてしまいましたが、こちら「番組の商用利用にあたる」ということが発覚してしまい、大急ぎで削除いたしました。
すでに課金いただいた方は、とりあえず読んでしまったということになりますが、一旦該当箇所を削除し、すべて無料で公開いたします。
その後、該当箇所をどう取り扱うかは追って検討します!
×××加筆終わり×××

×××重要再加筆(2022/05/24/AM9時30分)×××
こちらの記事について、一部有料に設定しましたが、番組の商業利用にあたることが発覚したため、該当箇所を削除し、無料に再設定いたしました。
予告なく急遽削除したため、「購入したが読めなかった」という方がいらっしゃいましたら、返金致します。ご面倒ですが、購入済がわかるスクリーンショットとアカウント名を合わせてご連絡くださいませ。
(noteでの返金処理をオフに設定してしまっていたため、個別に対応させていただきます。)

https://twitter.com/fuku_tokumei

×××加筆終わり×××

担当した『THE GREATEST SHOW-NEN』の第5回を見ました。
今週で終わると思ったけど、来週まで続きましたね。
好評によるものなのか、単に枠内に収まりきらなかったのか。
まあいずれにせよ、もう一回遊べるドンって感じで、嬉しいですね。

こちらで見逃し配信を見ることができます。

5月29日(日)1:00 までです。

さて、今回も感想や思い出を振り返ります。
これまでの感想記事はこちら。

視聴者に向けて書くので、ネタバレします。
また、裏側の種明かしや作品の解釈も含むため、根本的に「ヤボ」なnoteです。
気にされる方はご注意くださいませ。

さて、まずはいろんな言い訳や、今週感じたことから書き始めてみます。
放送の内容についてだけ読みたい人は、テキトーにスクロールしてください。

***

1、「グレショーはディレクターの作品」

前回のnoteで、「グレショーはあくまでディレクターの作品。『大暴力』はその素材に過ぎない」というようなことを書きました。
そのあとエゴサーチしていたら、「作品にはプライドを持って欲しい…。例えば脚本家の意に沿わない撮り方を監督がしていたら、脚本家はそれが本意でないことをきちんと明らかにしてほしい。“あくまで監督の作品なんで~”と投げ出さないでほしい(意訳)」みたいなことを書いているのを目にしました。
 
いやはや。こうしてイチ意見をピックアップして何かを書くと、やり玉にあげてしまっているようなニュアンスが出てしまいますが…。「やり玉にあげて、全否定したい!」というような気持ちではなく、書いてくれた言葉で僕の心が動いたので、モノ書きとしてはその記録を残したくなる・伝えたくなる、という気持ちで書いているつもりです。
前に何かツイートをピックアップして書いたのもそういう気持ち。
 
なので決して「こういうこと書くな!」とか、そういうことじゃないですからね。
なんでも書いてくださいね。僕は、嬉しかったり悲しかったりムカついたり、心が動く「方向」にあまり頓着がなくて、「動くことそのもの」を愛しているタイプなので。
(だからこそ、「一部のファンの言動で不快にさせてごめんなさい」みたいなメッセージが質問箱に届いているのを見ると、心の底から「へっ!?」と思うんですよね)
(不快?…ああ、不快だったっけか…?そんなことどうでもよかったな…。心が動いたということしか気にしてなかったわ…。快とか不快とか、どっちでもええわ…)
(っていうかゴリゴリにエゴサして自分の心動かしに行ってんのは俺やし…)
(みたいな)
 
さて、上記のようなコメントを読んで、下記のように思いました。
僕は『大暴力』の作・演出だし、この作品に関する言及のすべてを食らいつくして、落ち込んだり、喜んだりできる。心を動かせる。それは「自分の作品」だと思っているから。批判を受け入れる責任も、賞賛を受け取る権利も、いずれも等しく持っているつもり。
 
ところが、これまで書いてきたように、今回の『大暴力』は、編集が入っている。
登場人物の名前を冠した作品がカットになって、放送されていない。
そこは自分が関与できる領域ではなかった。
だが、作品性には確実に影響を及ぼしている…。
 
ので、こういう表現だとどうでしょう?
「僕は、本編がカットされたものを“完全に僕の作品です!”と宣言できるほどオトナじゃないし、“これは僕の作品じゃない!”と否定するほどガキじゃない」。
 
そういう気持ちが、「グレショーはあくまでディレクターの作品。『大暴力』はその素材に過ぎない」という表現に、込められていたんじゃないかなと思いました。
プライドがあるからこそというか…。
決して「これは自分の作品じゃありまっせーん!知りまっせーん!」みたいなことを言いたいわけではなく、ちゃんとそこの葛藤はあって、とはいえ僕はプロで…みたいな。
『大暴力』は、誇らしく、恥ずかしく、ひとえに、僕の作品ですからね。
 
ま、黙ってりゃ関係ないし、こうして書くこと自体、キモイんですけどね。
助けて?
 
さて、もう一つ、上記に関連するようなことを書きます。
 

2、『Singin`in the rain』のブロック

先日、番組公式ツイッターで、劇中で末澤さんが破壊し、福本さんが回収するブロックを、実は佐野さんが組み立てていたことが明らかになりました。
 

 これ、僕、もちろん知ってました。
さて、ちょっと思うところがありまして。

***
以下、一度書きましたが、あまりにも物語の核心に触れ過ぎているので、思い直して、放送終了後に掲載することにしました。なんなら有料にしておいたほうがいいレベルの、裏側の種明かしになってしまったので、一旦非公開にしますね。思わせぶりですいません。
あ、そうだな。早く知りたい人向けに、100円で設置しておきます。どうせ来週には公開すると思うので、電子漫画における「先読み」みたいなものとご理解ください。気になってイライラしてしまう人向けのケアとしての設置なので、イライラじゃなくてワクワクできる人は、待ってもらえればOKです。
***

×××
↑上記は冒頭の通り、削除しております
×××

3、「皆さんアイドルなので、ギアを入れて仲良くすることに慣れている」

エゴサして、この発言がまあまあ物議をかもしているのを見つけました。
冷静に考えると、たしかにアイドルが偶像・虚像なのだとすれば、それをわかって楽しんでいる・あるいはあえて無視して楽しんでいる方々に冷や水をぶっかけるというか、ディズニーランドで「時給いくらですか?」みたいなことを言い出す暴挙でしかないと思いました。
Aぇ! groupの全員、エグいリアクションしてたな。マジ怖かった。
たぶんテレビの前でファンの方々もエグいリアクションしてたんだろうな。
僕だけなんか、マジで軽い気持ちで喋っちゃってる感じだった。

一旦むちゃくちゃ話変えますけど、僕、芸能人とかタレントが、結構好きで。
そういう生き方を選んだ人たちのことを、わりと心から愛しているんですよね。

だから、そういう人たちが苦しんでいたことを知ると、かなり辛いんです。
お笑い芸人が道化を演じて弱音を吐けずに苦しんだり、俳優がキャラクターを演じるうちに自分を見せられなくなってしまうのが、僕、結構悲しくてたまらないんですよね。

なので、基本的に人を「あなた嘘ついてますよね。大丈夫。僕はわかってますから」的な視点で見る癖がついてしまっているというか。
さすがにディズニーランドで「時給いくらですか?」とか聞くことはないですけど、「(夏やのに…大変やね…)」とか思ってしまう性格ではあるんですよね。

だけど、「そんなふうに思われることを望んでいない」というタレントがほとんどだと思います。というか、望んでないからこそ、最後まで演じ切る。あるいは、演技なんてレベルを超えて、それが自分になる。虚像が実体になる。
(そしてそれによって何かを損った芸能人たちを、僕たちは知っている)

んで、この辺で話を戻してみますが、僕にとってグレショーの稽古の時間は、うっかり「裏側」の意識だったんだと思います。カメラが回ってることは当然わかっていたが。
あれはさすがに、オンで言うことじゃなかったなと反省。人生ムズいねー。

僕としては、「保健所の監査が入るときって、ギアを入れてキレイにするでしょ」とか、「恋人のご両親に挨拶に行くとき、ギアを入れて礼儀正しくするでしょ」とか、そういうレベル感の前振りのつもりでした。
伝えたかったのは、「今回はその逆で、ギアを入れて汚く・無礼にしたい」という前提。
あれ、多分稽古初日の映像です。
「もともとキレイ」「もともと礼儀正しい」とか、Aぇ! groupに関して言えば「もともと仲がいい」みたいな事実は、伝えたかったこととは全く関係ない、ってことです。

4、ガラスの水族館

さて、やっと中身の話です。
前回質問箱で書いた福本さんのお気に入り芝居は、この語りのシーンでした。
ここ、当時むちゃくちゃ褒め忘れちゃってたんですよね。
演出をやっていると、どうしても直したいところを中心に伝えちゃうので、「ここ良かった!」という褒めが手薄になりがちなんですよ。
それでも意識して伝えるようにしてますが、この福本さんのシーン、熱演しているのに、僕うっかりして多分一回も触れてないんです。ダメ出しもしてないと思う。
「(ごっつええわぁ…)」と心の中で思ってるだけになっちゃってたので、ここに書いておきます。皆さんの力で福本さんに届けておいてください。

タイトル、『ガラスの水族館』は、『ガラスの動物園』のオマージュです。
演劇の名作、戯曲の教科書とも言えるような作品なんですが、やはり視聴者の畑が大きく違うのか、気づいている人は見つけられなかったですね。

テネシー・ウィリアムズの『ガラスの動物園』は、思い出を振り返る構成の演劇です。
何もかもすべて終わった出来事、何も変わらない、変えられない「思い出」が、今まさに起こっているドラマとして、眼前にありありと立ち上がる、という名作です。
この時間軸の取り扱い方を、僕なりに表現してみた、といった次第。

さて、この作品について話すうえで、まずは『タイムマシンで来た二人』を。
『タイムマシンで来た二人』は、実際にタイムトラベルしたという話ではありません。
「今現在痛みを抱えている男の元に、それを過去として取り扱う二人がやってくる。男には、まるで彼らが未来人であるかのようにしか見えない」という話でした。

これ、実際のタイムトラベルとして考察している人もいましたね。
とりあえず作者としては、そのつもりじゃなかったです。

そして、男が「今現在抱えている痛み」をやっと語るのが、『ガラスの水族館』です。
末澤さんと小島さんの衣装が『タイムマシンで来た二人』と同じですが、「同じ世界観の二人」というつもりはありません。
なんなら、まったく違う世界観の、無関係な二人です。
『タイムマシンで来た二人』はチンピラとその友達のような関係で、『ガラスの水族館』ではDVを行う同性カップルのような関係になっています。

ではなぜ同じ衣装なのか。
このあとすぐ、『これはまだ本番ではない』の稽古シークエンスに突入するわけですので、もしかしたら『タイムマシンで来た二人』のあとに『ガラスの水族館』を稽古していて、たまたま同じ衣装をまとっていただけ、かもしれないです。

あるいは、三城平(福本さん)にとって、まったく違う世界にいるはずあの二人が、あの衣装をまとう二人、自分に加害行為をした二人に見えた、のかもしれません。

少なくとも、公野(小島さん)には、三城平のことが見えていない様子。
それは、世界が異なるキャラクターの呼び声、だからかもしれません。
あるいは、榊(末澤さん)の病気による幻覚、だからかもしれません。

他にも可能性はあります。
もしかすると、『ガラスの水族館』はもともとまったく違う話だったにも関わらず、それを稽古している間に、突如三城平が介入してきたので、進行不可能になった、という話かもしれません。公野は、元の話に戻そうと、榊に対して、同じセリフを繰り返したのかもしれません。

三城平がカメラに向かって話しますが、舞台上に設置された稽古場の定点カメラではなく、客席側のカメラに向かって話し出したことに、違和感がなくもないです。
実際には、稽古場に設置されたカメラに向かって話したのかもしれません。
それを「演出家」が採用し、異なる舞台演出が施されたのかもしれません。

このシーンは、そういった種類の演劇の魔法、ロジックの飛躍で作られています。
破綻しているとサジを投げるもヨシ。ありのまま受け止めるもヨシ。こんなふうに、限りなく可能性を追求するのもヨシ。そんな作品です。

「実際にタイムトラベルをしていた」という説の追究も、おそらく可能です。
話がズレますが、本作における榊遊詩は「アロマンティック(他人に恋愛感情を感じない・恋愛指向が他人に向かない)なのではないか」という、すごい熱量で考察するブログを目にしました。
僕はそのつもりで書いていませんでしたが、そのように読み解くことが可能になっていて、まさに解釈の醍醐味を味わえるいいブログでしたね。

5、これはまだ本番ではない④

舞台に嫌な空気が蔓延しています。

ここで三城平がインスタをやっているということが判明しますが、これはもちろん鍵垢・裏垢の類いであり、オフィシャルなものではありません。
グループ内でも、その存在を知る者は限られていると思います。ここで登場する「花畑さん」という人物は、「テレビ業界や芸能業界の人物ではないが、そことのコネクションがある。アパレル業界の人とか」という感じ。
暴露芸に至る前の「ガーシーchのガーシー」のようなイメージですね。

僕はメタフィクション構造の作品を好んで作ってきたので、頭の中にこの種の架空の存在が何人かいます。音響スタッフのガンマさん、照明スタッフの垂木(タルキ)さんなど、異なる作品において、架空のスタッフとして何度か登場しています。
今回の花畑さんも、「無関係と関係のはざまにいる人」としてたまに登場します。「○○から聞いた」と登場人物が話すとき、大体「花畑さん」が出てきます。
大体「花畑さんが言ってた」り、「花畑さんからもらった」りしています。
「どこでスターシステム採用しとんねん」と、自分で笑えるので好きです。

ここ、安堂のセリフ、「スクショ撮りました」が、稽古当初は悪意に満ちていて、マウントを取っている感が強すぎたので、「あくまで報告や情報共有のスタンスに留めてください」とオーダーしました。
そっちのほうが、嫌な感じがすると思ってそうしました。狙い通りになったと思います。

そろそろ各自のスタンスというか、個性みたいなものが固まってきていて、この架空のアイドルグループのリアリティが異常に高まってきている頃合いかと思います。
本当に「居そう」で、すごいなと思います。演技力◎。
 

6、これはまだ本番ではない⑤

さて、またそろそろ『これはまだ本番ではない』という強調表現も、胃もたれしてきた頃合いですね。だって、本番なわけですから。
今まさに舞台上で、上演・放送されているにも関わらず、『これはまだ本番ではない』と何度も何度も示される。本番なのに。一体なんだというのか、という感じですね。
 
転換音が鳴ったのも関わらず、状況が何も変わらない。同じタイトルのシーンが継続することによって、閉塞感を演出しています。
ジングル中、ゆっくりと正門さんに近づくリチャードさん、怖かったですね。
 
ここの福本さんは、怒りが完全に振り切れていましたね。
が、僕としては、ちょっと一手早いです。
演劇にはゲネプロという、本番さながらに行うリハーサルがあるのですが、そのときの演技のバランスがとても良かったので、ちょっと悔しかったです。ここまで言葉につっかえたり、身体をくねらせたりして怒りを露わにするのは、迫力があっていいですけど、僕としてはもう少し耐えてもらうのが理想でした。
ゲネプロでは、ここまで振り切れてしまう感情を、「ギリギリ我慢してそこにいた」という感じだったんですよね。が、本番で、おそらく福本さんは我慢を放棄した。発散した。もう我慢ならなかった、ということだと思います。
 
本番を見て、これほどまでに追い詰められていたんだな、と僕は思いました。
が、「それを我慢してこそ」という、悪魔的な考えも消せませんでしたね。
 
もう2ステージ目があったなら、僕は「それを我慢してこそですよ」と言ったと思います。
 
ここからクライマックスに至るまでの演技はすべて非常に繊細で、綱渡りのようにセリフを吐き、鉄塔の上に佇むように立つことを求めました。
 
ナットの「俺も?…あ、でも俺は別に、殺される理由ないか」ってセリフ、誰も笑ってないし、視聴者も笑ってないと思いますけど、あれ、本当は面白いと思うんです。
誰かがあのセリフで笑ってしまうのは違うと思う。だけど、「誰ひとり、まったく面白いと思わない」というのも、違うと思うんですよね。
面白くない、じゃなくて、「笑えない」を実現したかった。
「笑えない」というのは、「笑える」の否定形なので、「笑えそうなナニカ」がそこにあって、結果としての「笑えない」でありたいわけです。
 
なので、リチャードさんには、「冗談とも皮肉とも、本気とも挑発とも、何ともジャンル分けできない言い方をしてほしい」とオーダーしました。
見事、それを実現してくれました。
 
またゲネプロの話をして恐縮ですが、ゲネプロでは、これを受けての公野のセリフ「ナット君…」に、もう少しだけ笑いをこらえているニュアンスが出ていました。
そのバランスが本当に絶妙で、僕は拍手を送りました。

7、質問コーナー

さて、現時点で約7000文字なので、1万文字に達するまで質問箱に回答します。


「某アイドルグループ」に名称をつけていないのは、Aぇ! groupを連想させ、イメージを切り離しにくくするためです。
一方で、登場人物には役名をつけ、Aぇ! groupの彼らの個人名にしていないのは、それはあまりに露骨で品がないからです。

あくまでフィクションであり、作りごとなわけですが、作り手としては「そうではないかのような手触り」を実現したい。しかしそれでいて「やはりあくまでもフィクション」という線引きを明確にしなければ、下品で露悪的なコンテンツになる。ドキュメンタリーを作ってるわけではない。

と、いうことで、こういうバランスにしています。

もともとは劇団で作ったものであり、劇団でさえ「当て書き(俳優を想定してセリフを書くこと)」をしていません。
なので、「まるで普段の彼らだ」や「彼らの悪いところを増幅しているようだ」と感じるのは、おおむね錯覚ですね。演技や演出の賜物であり、脚本によるものではないと思います。
実は脚本上で、あまりそういう作業はしていないのです。

心理テストみたい、という感想、なんだか嬉しいですね。
たしかに、リトマス試験紙みたいなところはあるような気がします。

ていうか、Aぇ! groupを大切にしないことにいい意味とかあんのか。
それほぼ「いい意味で犯罪者」とか言うてんのと同じちゃうか。
大切にしてるわい。

たしかに、「筆で書いた」って、なんでチラ見せしたんでしょうね…。
多分、本心は、見てほしいんだと思いますよ。
手紙も、渡したいんだと思います。

なんか、コケて青アザができたときとかに、「むっちゃアザできた」とチラ見せするときって、あるじゃないですか?
なかったらこの話終わりですけど。まああるとしましょうよ。
ほんでね、でもそれに食いつかれて「うわっ!やば!見せて!」って興味を持たれたら、「いや、大丈夫大丈夫。そんなにひどくないから。別に」みたいに、なんか引き返そうとしちゃうときってありません?

ああいうとき、たぶん、本心は「心配して欲しい」んだと思いますけど、同時に「心配されたくない」も、同じ熱量で本心として存在する気がするんです。
そういう感じじゃないでしょうか。

もしも仮に高本に「チラ見せしたってことは、見せたいってことやろ?見せたくないなら、そんなことせーへんかったらよかったやん」と言ったら、彼はどんな顔するでしょうね。
本心を見破られてドキッとするんでしょうか。それとも、決めつけられてムカッとするんでしょうか。あるいは、ズキッとするでしょうか。
僕はそこをおもんぱかりたい、という解釈をしています。

そうですね、小島が笑ったのか公野が笑ったのかはわかりませんが、少なくとも笑っていたことは事実だと思います。
まあでも、それも僕の解釈なので、質問者さんのおっしゃるように「口の体操」である可能性は全然ありますけどね。

若いと感じた瞬間か…。
もちろんずっと元気で、肉体的には躍動しまくっているのでずっと若いと感じますが、そんなこと書いてもしょうがないですしねぇ。

あ、そうだ。
たとえば僕はある意味で「老獪」というか、歳を重ねているからこその狡猾さ・ズルさみたいなものを持ち合わせていますけど、彼らにはそれを感じないというのが、ある意味「若いと感じた」ということかもしれませんね。
具体的に言うと、「台本を覚えたフリをしない」とか。
「何割くらい覚えられました?」と聞くと、「1割です!台本持ちます!」としっかり返ってくる感じが、若いなと思いましたね。

僕なら「まあ八割九割アタマ入ってますけど、稽古を止めちゃったら悪いんで、念のため台本持っときますわ」とか、コスいことを言います。
そういうのがなかったですね。

……年齢関係ないか?
俺が終わってるだけか?

たしかに。劇団員はどう感じてるんでしょうかね。
でも、面白いと言って楽しんでいます。
上演(劇場での本編収録)も見に来てくれましたしね。

そうそう、こういうせっかくの機会をいただけたなら、やっぱりAぇ! groupと劇団員を絡ませたくなるし、匿名劇壇の役者を一人連れていって通訳に使おうかとか、名前が売れるような配役にしようかとか、もちろん考えました。
でも、「せっかくの機会だからこそ、Aぇ! groupだけでモノづくりしたい!」というワガママを貫き通しましたね。
まあ別に相談もしてないですけども。みんな出たかったと思います。

グレショー、ほんと放送時間短いですからねー。
こういうハプニングはあくまでおまけというか、補足情報なので、まあ本編では取り扱ってられないでしょうね。

僕が経験した最大のハプニングは、僕が作・演出・出演を務めた一人芝居『一人だけ芝居』という作品で、3回セリフを飛ばしたことです。
一人芝居なので、誰も助けられません。
いきなりセリフが頭から飛んで、進行不可能になったので、「アカン、セリフ忘れたわ」と言って、袖にハケました。
この間、舞台上は空っぽですよ?
そして、袖で台本を確認して、舞台上に戻りました。

が、このくだりが心に残したダメージはすさまじく、その後も立ち直れずに、このあと2回セリフを飛ばし、同じく袖にハケる事態になりました。
3回目に至っては、「うわ今日、アカンな」とか言ってハケました。
客席からは「ええ…?」と聞こえました。

関西弁のお芝居で、メタ構造の作品だったので、ウケていたし、多少ゴマカシが効くツクリではありましたが、とはいえ明らかな事故でした。
終演後、ものすごくお腹が痛くなりました。たぶん急性の胃潰瘍みたいなことになっていたと思います。
当時、ちょっと鬱っぽい中で無理してやっていたので、記憶力が低下していて、そもそもセリフもうろ覚えで舞台に立ってたんですよね。
あれは二度とごめんです。思い出させんな。

ははあ、舞台の演技、ドラマの演技かぁ…。
んー、特に「この人は明らかにこっち!」というのはないですね。

あえて書くとしたら、福本さんと末澤さんと小島さんは、カメラで抑えるべき微細な演技が上手なので、ドラマで見たいかなという気持ち。
逆に正門さんと佐野さんとリチャードさんは、身体まるごとのパフォーマンス力が高いので、舞台で見たいかなという気持ち。

そんな感じですかね。

いえいえ。フラッシュフィクションなんてのは別にメジャーでも何でもないので、みんな戸惑っていると思います。

好きな映画やドラマかー。何回か書いちゃったなー。
あ、でもドラマは答えてないか?
あれ面白かったですよ。netflixの『今、私たちの学校は…』。
ゾンビものですが、エンタメに振り切ってて、極上でした。
少々の矛盾もいい味出てるというか、「いやそうはならんやろ!」みたいなツッコミの余白も込みで、最後まで楽しみ切れるドラマでした。

万人にすすめられるものじゃないですが、『マルコヴィッチの穴』や『アダプテーション』とか、僕好みの作品という感じです。面白いかどうかといったら、激しく微妙ですけど。
むちゃくちゃ有名なの書いてもいいなら、みんなと同じように、今敏さんの『パプリカ』が大好きです。たぶんアマプラもネトフリもあったかと思います。

はて…?
なんですか…?
例の武道会って、天下一武道会のことですか?

え?
あれ、実際に開催されてるんですか?
どういうこと?
5月7日に?
開催されてんの?
に、日本で?

え、「例の武道会」って言葉が、俺の知らない隠語になってたりする?
なにか、秘密の会合を表す言葉?
それが、5月7日に行われていたの?

いやー…。
ちょっと……知らんっすわ……。

***

本日はこんなところで。
以下、有料記事にしておくと書いていた内容を記しておきます。

×××加筆×××
冒頭に加筆した通り、削除しております
×××加筆終わり×××

(了)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?