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他人にはさまざまな事情があってな

手相を見てもらったことは一度もないのだが、
頭脳線と生命線の始点が離れている“KY線”=空気読めない人というのに当てはまることはうっすら知っている。

自己中心的で他人の気持ちが分からない。
話の途中でふいに違うことを考え始めて上の空になる。
余計なことを口走る。

“KY”と言われて思い当たる節が多くあり、その後猛烈に反省したりする(思い出しアー)。

今から20年くらい前、学生だった頃。
たまたま父と駅まで歩くことになった。
駅のコンコースに上るエスカレーターはひとりの幅しかない狭いタイプ。
立ち止まる人がいると追い越せない。

私「ひとり幅のエスカレーターで立ち止まるって、後ろの人に迷惑じゃない? 急いでるのにイラッとするわー。私は絶対上るのに」

父「世の中の人みんなが急いでるわけじゃない。足が悪く上れない人もいる。全員がおまえと同じじゃない。こんなことで遅刻するならあと数分早く出ればいい」

私「…(ぐうの音も出ない)」

いつもせっかちな父にゆっくりした口調で諭されてびっくりしたのと、
(何を隠そう同調してくれると思っていたのだ)
自分の身勝手さに恥ずかしくなったのとで、その後の会話は覚えていない。

それから家を出るのを5分早めた。

また今から10年くらい前のこと。
春だったか初夏だったか暖かな日。
6歳下の友人とライブに行く道すがら、

私「こんなにあったかくなってきたのに、あの人黒いタイツ履いてるの、暑くないのかねぇ」

友人「足を見せたくない事情があるんじゃないの? ケガしてるとか、アザがあるとかいろいろ理由はあるんじゃない」

私「…そうだね(ごめんなさい)」

そのまま話題は流れていったし、
友人は何にも気にしてなかったけれど、
他人には他人のさまざまな事情があるっていう
当たり前過ぎることを忘れて、
自分が“正”と思っているこの最低なところを猛烈に反省した。
あのエスカレーターの時と同じだと思った。

2回もやらかしたので、その後は、
「気にしない気にしない、みんなそれぞれ事情がある」を合言葉に過ごしている。

今あのエスカレーターは、立ち止まって乗っています。

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