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「怖い」と思うことって、ただ「知らない」だけかもしれない

フェミニストって言葉が苦手だった。フェミニストが苦手という意味ではなくて、「○○ニスト」の響きに、横文字が苦手なわたしは、ただなんとなく怖さを感じていた。

ピアニストだってアルピニストだって○○ニストだけど。ピアノ弾いて、登山して、ちっとも怖くないのに。なんでだろう……。

なんてことをフェミニストのパレードをぼーっと眺め、わたしは考えていた。

去る3月8日の国際女性デー。わたしの住む北スペインでは、毎年この日になると「自由と尊厳」の象徴であるムラサキ色に身を包んだ女性たちのパレードが街を練り歩く。ソーシャルディスタンスに敏感な今年は、ムラサキ色のマスクをつけ、自転車に乗った女性たちが大通りを駈けめぐった。

忘れもしない。3年前の2018年3月8日。スペインで、女性530万人による異例のストライキが起きた。

「女性が止まれば世界は止まる」

このスローガンを叫び、スペインの女性たちは立ち上がった。わたしの住む小さな街でも、ムラサキ戦士たちがあちらこちらで叫んでいた。「女性が苦しみ続ける時代が終わる」と、目に涙をため喜んでいる人もいた。

それだけ「生きづらさを感じている女性が多いのだ」と知った出来事でもあった。

歴史に残るであろうストライキが起こった1カ月前。

わたしは舞台に立っていた。600人を目の前に、女性器について語っていた。

というのは女性器の専門家でも、何かのプレゼンテーションをしているわけでも、舞台女優などでもなく、ただ、趣味で通っていた演劇クラスのスペイン人であるイサベラに「ねぇ。舞台に出てみない?」と誘われたからだ。

『ヴァギナ・モノローグス』

イサベラに誘われた舞台とは、女性器をテーマにした有名なフェミニズムを代表する演劇だった。出演者は29人。監督と脚本、照明、そのすべてが女性で行われた。フェミニストであるアメリカ人の原作者が、20年以上前に200人の女性に取材し書き上げたものだ。

この舞台を公演するにあたりルールがあった。

・女性のみで行うこと
・半分以上はアマチュアの演者を起用すること

それは、多くの女性がこの作品を知り「生きやすくなる未来を築いていってほしい」という原作者の願いが込められているんだと教えてもらった。未来を少しでもよくするために、先人たちがわたしたちにくれたメッセージ。言語をかえ、時代を超え、伝える。それがこの舞台の役割だった。

作品の中の言葉はすべて、地球上のどこかに存在した女性のリアルな声。リアルな叫びだった。

参加した半数の人は、フェミニストとして活動している女性たち。LGBTの女性も数人いた。

舞台はナレーションから始まる。全部で19の物語が語られた。

「性癖が問題で離婚した妻」の声を、いつも薄紫のくたびれたトレーナーを着ていたマリアンがコミカルに演じ観客を笑わせていたし。
唯一のトランスジェンダーでモデルのようなマリアは、「もし女性器に衣類を着せるなら何を着せようかしらね?」という奇妙な物語をうっとりするほどセクシーに演じていた。
中には涙を誘うものもあった。「ボスニア戦争でレイプキャンプに送られ生還した女性」が語り出したのは悲惨な体験談ではなく、生まれ育った村のきれいな風景についてだった、から始まる物語。白髪交じりの短い髪をしたレヒーナが言葉を発するたび、会場からすすりなく声が聞こえていた。

わたしはというと、物語と物語の間に出てくる女性器を説明する人。舞台に一人でたち、スポットライトに照らされ、ただただ女性器の説明をする。日本語だったら恥ずかしくなる「ピー」が入るであろう生々しい言葉も、スペイン語という膜がかかっていたからか、何の抵抗もなかった。

というか、むしろうれしかった。先人たちが残したメッセージを、言語をかえ、時代を超え、伝えている。そう思うと「ピー」の入る言葉を大声で連発することにも誇らしい気持ちになった。

すべての演技が終わり、最後に演者29人全員で舞台に立つ。

今まで生きてきた中で経験したことないほどの拍手のシャワーを浴びた。メッシがゴールを決めた瞬間のような歓声が起こっていた。人生のやりたいことリストのひとつ、「スタンディングオベーションを経験したい」が叶った瞬間でもあった。わたしはヘラつきながら、眩しくて見えない観客席をただただ眺めていた。

横でイザベラがわたしを見てヘヘっと笑った。

そして毎年3月8日になると、見慣れた顔がムラサキ戦士となり街中を巡り歩く。

わたしはもう、フェミニストの言葉を聞いても「怖い」とは思わなくなっていた。

「同じ思いをしないように」と、生きずらさを感じている女性たちが必死に生きやすい未来にするためにがんばっているんだ、と知ったから。

過去に、勇気を出し拳を掲げ沈黙を破ってきた女性たちがいたように。

今思うと、わたしは無知だったな。

自分の知らないことや理解できないことに人は、恐怖心や嫌悪感を抱くものだ。幽霊を見たことのない人が「おばけが怖い」というのと同じで。まさにわたしがそうだった。

何で苦手なの?どうして怖いの?
なんかよく分からないから……響きがただなんとなく怖いから……。

「怖い」と思うことって、ただ「知らない」だけかもしれない。
無知な自分を知られたくないから、知ったかぶりをする。
結果「怖い」だけが取り残される。
ちょっと前のわたしが「フェミニスト」の言葉を聞いて怖いと思っていたように。

わたしは、あの舞台に出会って、一緒に過ごしたムラサキ戦士たちに出会って、世界がひとつ広がった。

「怖い」を知っていくって世界が広がることなのかもしれないな。

「じゃあ幽霊をみたら世界が広がるね」って言われたとしても、見たくないなと思っちゃうんだけども。

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