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「未完成」の俳人(映画「ずぶぬれて犬ころ」感想)

久々の投稿でなんですがここくらいでしかかけないとおもったので。
映画「ずぶぬれて犬ころ」(http://www.zubuinu.com/)
みてきました。その感想です。まとまりはない。
あらすじやら細かいところまで多分書いちゃうので
まだ見てない人とかネタバレが嫌な人は一旦読むのを考えてください。

※以下の感想は私の個人的な考えや解釈なので
 真に受けないで下さい。

 

 

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映画の構成を簡単に言うと
中学校でいじめにあう少年「小堀明彦」が主人公の2017年パート 
彼に声をかけた教頭先生やその後住宅顕信の本などを読んで顕信の生涯を
追っていく顕信の人生(回想)パートがあって
それを交互に展開させて物語がすすんでいき
やがて史実どおり俳人・住宅顕信は25歳で病死、
明彦は彼の俳句にふれたことを経て中学校をやめ一人歩き出す・・・
みたいな感じです。
いじめられっこ明彦のいじめについてそれが解決することはなく
教頭先生や担任、母親もそのいじめを察しながらも具体的な介入は
ほぼしてきません。
その辺は最初やきもきしてたんですが全部終わったらこの辺は私の中では
解決しました。
これは「彼(小堀明彦)一人」の物語であって誰かに介入されてしまうと
その人と彼の話になってしまう。
この物語、というかこの時の彼の人生に介入していいのは
「住宅顕信」だけにしたかったのかな~


顕信パートの話は本を読んでなぞればああ~~~ここ~~~と
わかる+彼の故郷岡山で撮影された日の光にあてられた
岡山で生きた彼らが表現されててとてもよかったです。
すごく繊細な映像美でもなくかといって抽象的な心象を描くわけでなく
ちょっと薄いガラス隔てたような、しかしぬくもりは感じられるような
そんな顕信の世界がありました。
(大して映像などに気の利いた言葉を残せるほど語彙力も知識もないので
私はすき!という程度に思って下さいまじで)

それにしてもなぜわざわざ2017年の少年をもう一人の主人公に 
つれてきたんだろうとずっと思ってました。
だって顕信の句と彼自身を描きたいなら顕信自身か、
誰かからみた(ご家族でも友人でも)顕信の生涯を描けばいいだけの話。
正直かったりいな2017年パートいらんやろ顕信だけみせてくれればいいよと思いながら見てましたね最初は……ええ最初は……
 
余談ですが私は放哉や山頭火などの層雲から住宅顕信の句をしって句集を買い彼の表現する世界観に惚れた人間の一人なんで基本的にそういう目線で
見てきたんですけどこれはね、俳人好きな人に刺さる。
未完成で力尽きたまま完成された俳人達が好きな辺りの諸氏~~~~
絶対すきでしょ、そう思います私。

 
映画の中で明彦は句集などを読みながら顕信を知っていく
このとき顕信は彼にとって羨ましい綺麗に死んだ人なんですよね。
「顕信はいいなぁ、心配してくれる人が沢山いて」とまでいうし。
その直後心配そうに「学校で何かあったんじゃない?」と母親が聞いて
きたのに明彦には届いてない。
心配してくれる人や力になってくれる人はそこにいるはずなのに見えない。
 
このとき、羨みながらも明彦の心はどんどん顕信に近づいてるような気がします。シンクロというか、投影というか。
その生きた背中を追ってると彼がとても輝いているように見える。
たとえ25歳で死んだとしても彼は人に愛され綺麗な句を作り
「俳人」として死んだ。私たちが知ってる「住宅顕信」の姿で。
 
故に彼は史実どおり病室で家族がいる中しんでしまう。
句をまとめたり、俳人仲間に会ったり、句会を開いたりしながらも。
しかしその前後、2017年パートでおこなわれていることは
いじめっこたちが明彦のノート(気に入った顕信の俳句を書き取ったもの)をみつけ「ポエム?」「キモ」などといって破いて捨ててしまうシーン。

このシーンは、多分なんですけど明彦の中の「羨ましい偶像」が壊れた瞬間で、それは顕信の死は全く羨んでよいものではない。といういじめっこにうけた否定が明彦の中で顕信の死、ひいては現状の自分へようやくむいたものなのかなと。
確かに彼は愛されていたし作品も残した。
でもだからそれがなんだっていうんだ?
顕信は「まだ俳句を作りたい」「死にたくない」といいながら死んだ。
彼はまだ生きたかった。何もそこに美しさはない。
ただ途中で力尽きてしまった未完成があるだけだ。
その先があったはずのものが摘み取られただけのことだ。
その死に見出すものなんて何もない。
そういうことを漸く明彦は理解し、同時にそんなまやかしを羨んでいた
自分の情けなさにどうしようもなくなってしまった。
破かれたノートも雨でぬれてしまった。
ただずぶぬれの情けない自分がそこにいるだけ。
(ここでタイトルをだす演出がよ~~~~~~~~~~~~ずるいんだよなぁ~~~~~~~~~~~~~~~)

彼の作品を追い彼とシンクロした少年が見たものは
どうしようもないずぶぬれた犬ころ。 
それは自分自身であり死んでしまった顕信。
「未完成」のままの人。
 

私達は「住宅顕信」だけじゃなくそうやってまだ生きたくても
死んでしまった人が残したものを沢山見てますね。
このノートで主に取り扱ってる宮沢賢治しかり、同じ俳人でいうならば正岡子規、種田山頭火、尾崎放哉(彼の場合かなり死にたがってたけど)とか河本緑石もそうです。
住宅顕信知ってる人なら河本緑石もしってるんじゃないかなと思うんですが
宮沢賢治の友達で層雲俳人の人です。放哉・山頭火と同じ時代に井師に師事し多くの作品を残してます。
(詳しくは鳥取県倉吉市の河本緑石記念館にGOだ~~~~~)
 
彼らは死んでしまった後、残された人々によって句集や全集などに
まとめられ生涯を記され世に出て行きました。
私達が触れるのはそんな残された人たちが「完成」させた作品です。
しかし当の本人達にしてみればどうでしょう。
 
彼ら本人があの世からみて「そうだね、私はこれで完成です」と
いうだろうか?

放哉レベルで「もーーーあとは死ぬだけですよ~~~」みたいな域にいかないと中々そうは言えないんじゃないかと思います私。
(映画本編でも顕信が放哉の幻覚を見て「あんたの句に参ってる」
「どうしたらあんな句がかける!?死ぬのを畏れてないから?」的な
問いかけをしてたりします) 
 
故に彼らはどうしたって「未完成」でしかない。
打ち切られた漫画を無理やり単行本にするように形づくられ世に出された
俳人達を我々は勝手に「完成した姿」としてみる。
だって死んでしまっているから。その続きはどうやったって見れない。
  
それでも映画の中で、顕信は死ぬ直前やつれた姿で
「それでも作るしかない」という。
幻覚の尾崎放哉も黙って書けといわんばかりにノートを出した。
それと同じものを、明彦は顕信から句を通して受け取ったのかなと思います。

最後彼は教頭先生に「僕もまた未完成です」と書き残します。
情けなく生きている自分が一人いる。それに気づいた彼は
学校をやめて歩き出します。
「未完成」でしかないけれど、彼は生きている。この2017年に。

このラストで私はようやく小堀明彦がいきる2017年がいる意味と
彼と顕信の人生を交互に描くことで
顕信の句集「未完成」を描きたかったのかなと解釈できました。
 
別にその死を惜しんで悲しい~~~~~~><ってしてほしいだけじゃ
ないなと。
 
未完成という意味をわかったようでわかっていなかった感じがします。
顕信の人生を描くだけでは決して描けないかなと。
小堀明彦という現代を未完成のまま生きようとする少年を出すことで
未完成と知りながら歩いくしかない彼の心に一石を投じた、
未完成のまま終わってしまった彼の人生と彼が残した句が
住宅顕信という人間に受肉できたんだと思います。

岡山の町で一瞬すれ違う明彦と僧侶(顕信のメタファーやろ…?そうといってくれ)のシーンはこの映画を一番端的に描いているんじゃないかな
もう明彦は顕信の人生を羨んだりはしないでしょう
その俳句を心に住まわせて未完成の顕信を心の何処かにあるかせはしても。
 
ただ志半ばに死んだ人だけを描いてもここまで未完成を出せないと思う。
未完成の儘死にましたおわりっていう物語を読んだだけになる。
それでは未完成にならないんですよね。
その人の未完成を未完成なのだ知って、受けとってほしい
そんな意図を感じました。
 
だからこその明彦で、2017年で、彼の物語は顕信の句に出会い
学校を去る事以外動かない。彼は問題を解決できる力を持たぬまま
ただ独り街に一歩ふみだしただけにすぎない。でもそれでいいんです。
必要だったパーツだったと納得できて私はとても満足。
 
 
さっきからちょいちょいいってるんですけど層雲あたりから好きになった
クチで河本緑石推しなのでとっっってもそういう読み方をしてしまう。
カムパネルラのモデル説があれど、悲劇的な最期ではあったけど
河本緑石という俳人はこれからまだ活躍してほしかった人だったし
河本緑石という人は「死」だけで語られてはいけない。
(もう河本緑石を語るときに必ずカムパネルラ説がセットになっちゃってるのではぁーどっこい彼の句や詩や作品や死ぬまでの人生をみてくれべいべー)
そう私は限界オタク。推しの解釈にはうるさいオタク。
だからこそこの話はとても心に刺さった……。
 
そういう解釈なので私と同じように未完成のまま完成として世に出された人たちが好きな諸氏にはぜひともみてほしいな~~~~と思うので
もしまだ見れてないのにここまでよんだ人は是非みてほしいですね…
「未完成」の意味を受け取れるのは未完成のまま生きてる私たちだけなんですよ。当たり前だけど。
円盤でますか?映画館ほぼおわっちゃってますけどまだ
リクエストとかしてくれればやるらしいので………
 
おもったままにかきなぐりましたので記憶違いとか
これ感想か???みたいな感じになった気がします。
そう私は読書感想文がどへたくそなオタク。
 
実は家に顕信の句集未完成(彌生書房のやつ)があることがひそかに
自慢なので今日はこれよんで寝ようと思います。
層雲俳人もっとはやってくれないかな~~~~~~~~~~~
 
 
余談ですがamazarashiの「季節は次々死んでいく」がほんとに
こういう人たちのことなのかなと思うくらいに心にクる…
わかるやろ…?
「苦悩にまみれて 嘆き悲しみ それでも途絶えぬ歌に 陽は射さずとも」

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