見出し画像

15年前に思いついたのも、きっとお風呂だった

 いつから創作を始めたか、皆さん覚えているものでしょうか。
 私は、覚えているような覚えていないような。小学生対象の童話コンクールに応募しようと一本仕上げた記憶があるので、おそらくそれが最初のオリジナル完結作品だと思われます。

 幼い頃から、物語は身近な存在で。
 そんな私が衝撃的体験に襲われたのは、小学五年生のとき。生まれて初めて、本を読んで泣きました。ぼやける文字を必死で追おうとするも、涙が止まらない。読了後も泣きじゃくり、感動に打ち震えた空想大好き小学生が、次にすることと言えば。当然、その物語から影響受けまくりの長編執筆に取りかかります。
 中学でも書き続け、登場人物に愛着が湧き、本編そっちのけで彼らの何気ないエピソードを量産する日々……あるあるですよね。
 そして高校生にもなれば、昔の自分が書いた文章の粗に耐えきれず、ちょっとやそっとの修正でどうにかなるレベルじゃないと頭を抱え、一から書き直し始めるという万人が陥りがちな暴挙に出る。あるあるですよねぇ。ですよね???

 もちろん、このファンタジー長編以外にも色々と書いていました。部誌に掲載する話や友人とのリレー小説、二次創作まで。
 あの頃と比べると、執筆ペースは格段に落ちてしまった。妄想力が枯渇の一途を辿っていると言っても過言ではありません。
 無理に書く必要はないと思っているけど、やっぱり創作していない期間が長くなると少しだけ焦る。そんなときに、考えるわけです。
 これまでに作った話を、書き直して出せないかと。
 え? 万人が陥りがちな暴挙? 何を仰る。創作したいという意欲、かつての作品をより良い形でお届けしたいという向上心、そこから導き出される素晴らしい案じゃないか。

 ほら、例えばあの話なんてどうだろう。
 奇跡は起きるという救いを描きたかったのだと、今でも覚えている。
 病弱な少女と、紫陽花の話だ。太陽の下で遊べない少女の孤独を癒したのは、美しい紫陽花だった。紫陽花も少女の来訪を心待ちにしていたが、やがて少女は亡くなってしまう。自分が人間だったら良かったのに。口惜しさと悲しみで、涙に暮れる紫陽花。時は流れ、とある病室。難病に侵された少女の母親へ、美しい紫の瞳を持った医師は語る。その不思議な話は、こう締めくくられた。大丈夫です、奇跡は起こりますよ、と。

 ……駄目ですね。全然だいじょばないです。解釈違いです。
 もう、少女が亡くなってる時点で限りなくアウトに近いですね。救われてないじゃん! 遅いんだよ、奇跡起きるの遅すぎるんだよ。
 何が「救いを描きたかった」だ。信じられん。だったら、なんでこんな展開にしちゃったのよ。思春期特有の感性にやられてたのかな?
 うん、でもまあ、仕方ない。
 だって、成長しちゃってるもの。体験した出来事、読んだ本、書いた話、年の分だけ経験値が上がってることは否めない。やっぱり、出ちゃうんだな、そういうのって。

 であれば、考えてやりましょうよ。大人の私にしか書けない話ってやつを。
 紫陽花、花束、花。
 湯船の中で、ほろほろと連想していきます。お風呂って、油断すると恐怖が滑り込んでくるじゃないですか。だから入り込む余地がないように、だいたいいつも空想で頭をいっぱいにしておくんですよね。
 湯の花。泡の花。波の花。
 これだと300字くらいまでしか広がる気がしないし。こっちは140字で終わりそう。長いおはなし、むずかしいです。
 単語だけじゃなくて、設定を考えていった方がいいのかも。花占い、恋愛、告白。焦がれ焦がれて、思いが叶う。あ。花が人間に恋をする、とか。萎れていたのを助けてもらった花が恋をして、人間になって猛アタック。とくれば、花の恋が実ってハッピーエンド。

 それだ!!!!!


 いえ、違います。
 よし、その方向でいこうという「それだ!!!!!」ではなく、15年前に考えた話も「それだ!!!!!」です。

 思い出した。ぶわっと風が吹き抜けるように、当時の感覚が脳内を巡っていきました。そうそう、そうだったわ。
 人間だったら、できることがあったかもしれないのに。嘆きは届いて、紫陽花は人として動けるようになった。見ていることしかできなかった、あの頃とは違う。彼女は亡くなってしまったけど、彼女と同じように苦しむ人を今の自分なら助けることができる。自分の望みを叶えるために行動することができる、それが紫陽花への救いだった……のだと、思う。確か、そんな感じだったはず。

 なんということだ。発想が15年前と一緒!!
 大人の私はどうした。使い回すつもりなんて微塵もない状態で、さも今思いついたって顔しているのが余計に恐いわ。
 成長、してなかったねぇ。
 考えてみれば、ついのべなんかも書く度に似たようなの作ったことある気がするなってなりますしね。根本的なところは、そうそう変わらない。
 だけど、15年前経つと、少女が亡くなる話は、ハッピーエンドの恋愛ものになってしまうんですよ。おもしろいなぁ。紫陽花の話、今の私じゃ絶対に浮かばない。
 どうにも稚拙に思えて筆が止まっている話だって、数年後の自分にはもう書けないのだろう。だったらやっぱり、今できることをできるだけ、積み重ねていくしかなくて。今できないものは、きっと未来の自分が何とかしてくれるものなのだ。

 だから焦ることないよ! 大丈夫大丈夫。締め切りだってまだ先だしさ。びびっときて、もりもりっとやる気が出て、みるみる進む瞬間が未来の自分に訪れるって!!

 などと自分を宥めすかしながら、原稿と向き合う今日この頃です。
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?