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君たちはどう生きるか

2023年は宮崎駿監督の映画『君たちはどう生きるか』が上映されました。
さて。
私たちはどう生きるか?
私は母としてどう生きるか?
いま5歳のこの子はどう生きていくのか?
この子が15歳になる時、どう生きていこうと思うのか?
いま私の暮らしの周りにいる仕事で関わる子供、友人たちの子供、我が子の友人達など、いま子供の人たちはどう生きるのか?

そして、
「そうだね、うん。」
とうなづいて、力強く選んだドアを開けていく。
その責任も寂しさも苦しさも含めて生きる世界を選んでより良い世界を作っていくのだ!という思いに駆られる映画でした。


100年前、1923年、大正12年、関東大震災があった年。
映画のタイトルの元となった吉田源三郎氏の小説『君たちはどう生きるか』の初版は1937年。15歳の主人公コペル君が生まれたのは単純計算すると1922年。
私の祖母が生まれたのは1921年。
身近な祖母の存在が、100年前を現実味のある時間に感じさせてくれます。
そして、阪神大震災や東日本大震災を経てもなお、いまだに過去最大マグニチュード7.9を記録している100年前の関東大震災。
これだけ進化進歩した100年後の今も、大きな地震が起きれば、私たちの生活は一変し、不安に怯え、明日を心配し、政治に文句を言い、隣近所の人に文句を言い、それでも隣近所の人たちと手を取り合って生きていこうとするでしょう。

そうなんです。
私は東京に長く暮らしていても、隣近所の人たちの人間らしさを信じているのです。
東京は近所付き合いがない、周りのことを知りもしない、怖い街だ、というのが一般的なものの見方かもしれません。
確かに挨拶すらしないご近所さんもたくさんいます。
しかし、毎回来てくれる配送業者の方や、いつも美味しいコーヒーを淹れてくれるバリスタさんは、路上で会っても挨拶するんです。彼らは通勤して我が家の近くで働いているだけかもしれませんが、同じこの町内で昼間は暮らしているんです。
同じ路地のおうちの人たちもだんだん言葉を交わすようになり、少し話したりするようになりました。
以前住んでいた家の大家さんは庭で採れるミョウガを分けてくれたり、お鍋にカレーをたっぷり作ってくれたりしました。
いい人ばかりでもなくて、いつも怒鳴って電話して部下を恫喝しているらしき怖い人や、ポストにあるチラシを丸めて他人のポストの上に置いていく輩や、ドアの隙間から古着をため込んだ悪臭がする家や、「足音がうるさい」と苦情の手紙を寄越した階下の人(手紙の2日間、旅行中で誰もいなかった我が家)など、いろんな人がいます。
でも、こんな人たちとも、地震が起きたらとにかく協力する体制を組もう!と心に決めているのです。

いろんな人がいます。
人にはいろんな事情があり、体調の良し悪しや、体力の有無の違いがあり、心の調子もある。そして能力や才能の違いが発揮される場面があると私は信じています。
ここ数年、疫病や薬害などで分断された私たちの暮らしですが、そんな中でも好きなことを見つけて楽しみ、本来の自分が望む生き方なバージョンアップしていく子供達や大人達もいて、そのことは、どんな状況になっても生きていく力をつけていくことがますます大切であると想わせます。
生きていく力とは、お金を稼ぐという狭い意味だけではなく、日々の暮らしを楽しみ、幸せな気持ちをどれだけたくさん感じられるかという広い意味です。

地震があっても隕石が落ちても、家族バラバラになっても、生き延びる。どんなことがあっても必ず生き延びていくこと、これが私の家族との約束です。
そのための体力や気力は日頃から意識していなければいけません。
緊急事態に使える技、テクニック、知恵を錆びないように磨き続ける必要があります。

そして、毎日幸せを感じられる健全な心でいること。

マーティン・ルーサー・キング・ジュニアの「私には夢がある」(1963年)の演説に触れて、「100年」という時間に想像力が羽ばたき、こんな長い文章になってしまいました。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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