西日本豪雨から4年の真備町へ再び
KidsJazzのお母さん百本マイです。
トップの写真は、4年前の7月。真備町の叔父の家であり、父の実家で泥水に浸かってしまった、いとこのピアノの最後の姿。
この後、解体されてしまいました。弦は錆び、鍵盤何もかもが水を吸ってしまって、どうしようも救ってあげられなかった。
岡山県、倉敷の真備町。父が生まれ育った町で、私も幼い頃から祖父母に手を引かれて吉備様をお参りした思い出の故郷です。
父はことあることに気候が穏やかな岡山を「ハレの国」と自慢していました。
誰もが災害、しかも水害にこの地が見舞われるなんて思いも寄らなかった。
川の近くではあったけれど少し高いところに建つ家だからと電話で父と話していたものの、報道される事態の深刻さからひたすら祈るしかない時間が過ぎていきました。
当時、従姉妹が出産後まもなくて。なんとか赤ちゃんも従姉妹も無事であったのが本当に奇跡でした。
高速道路が通れるようになって「何か出来ることを」と父、弟、私の3人で車に乗り込んで現地に向かいました。
電気も水もまだ通っていない。トイレも使えないだろうと、災害用の組み立てトイレや水、何が役に立つかと思案して色んなものを車に積み込んだ記憶があります。
玉島インターを降りて、父の実家に向かうと見慣れた道の両側にたくさんの水に浸かった家具や電化製品、剥がした畳や壁やとにかく色々なものが壁のように積み上げられて何キロも何キロも続いていました。
既に水害から数日経っていて、現地の方とたくさんのボランティアの方が必死で作業をされていましたが、どこの家もコレでもかコレでもかとやる事が山積。
泥を掻き出し、土壁を剥がし、水に浸かった畳を運び、また使えるものは洗い…
あの時は大雨の後なのに信じられないほど暑い日が続いて。クーラーはもちろん扇風機もほとんどの家で使えない中での作業。熱中症に倒れた方も少なくなく、ひっきりなしに救急車の音が響いていました。
見るだけでも気が滅入る状況の中、被災した当事者の叔父叔母がひたすらパワフルに片付けを。二人の人柄から、沢山の方が助っ人や差し入れを持って来てくださいました。
こんな時。
抗えない力に本当に何もかも変わってしまう時に救われるものはやはり「人の絆」なのだと、心の底からそう思いました。
当時はまだ小さかったウチノコ達を預けていた事もあって、ほんの少ししかお手伝い出来なかったのが心残りでした。
あれから岡山のパワフルな皆さんのチカラで、復興している真備町。その直後のコロナ禍。おそらく苦しい日々が続いたことでしょう。
私なりに、自分を育ててもらったこの町に何か恩返しが出来ないかと。それで今年、初めて真備町でKidsJazzコンサートを開催させていただきます!
森の仲間たちと、小さな家族が育ちあって行く物語「うまれてこい太郎」をお届けします。
真備町の皆さん!お近くの皆さん!どうぞ親子でステキな夏の思い出をKidsJazzと一緒に作りましょう!皆さんのお越しをお待ちしています!
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