専門学校時代

特殊メイクに憧れて、海外の特殊メイクの学校に行くお金も、勇気もない私はとりあえず大阪のメイクの学校、大阪モード学園の説明会に参加し、入学を
決めました!高校時代、ヤンキーでパンチパーマ的な私には別世界のようなファッションを売りにしている大手学校!今でこそ梅田の一等地に自社ビル
ドーン!のモード学園ですが、当時は梅田第一ビルの10階、11階、12階を間借りしていましたね。
毎日1時間かけて、田舎の阪南市から梅田に通いました!

最初の1年はベーシック学科で、ファッション
メイク、ヘアー、インテリアの全てのジャンルを
基礎程度習う学科。思いの外、ファッションデザインや縫製が楽しかったなぁ!この時にパターン制作やミシンを使えるようになった事が今も非常に役立っていることに感謝!動力ミシンもこなせます!
ベーシック学科は男女比でいうと男6割女4割程度やったかなぁ。シャツを作ったり、ジャケット作ったり、楽しかった!メイクの授業は肌の構成から
スキンケア、部分メイク、ヘアーの授業は髪の毛の
構造、薬学、スタイリング、こちらも今現在も役立ってますねー!そんでもって2年目進級!
やっと、メイクアップアーティスト学科1年に進級しました!


ここから本格的にメイクの授業!
特殊メイク(基本の基本)もあるぜ!
ここで男女比がガラッと変わり
男2割女8割の女子だらけのクラス!
女の子が多いのはやはり、なんか嬉しい!のですが
やたらとクラスリーダー、チームリーダーと
リーダーを男子にやらせるという卑怯なやり方に
正直嫌だったなぁ、、、
女子に囲まれ"仲谷くん、やって〜"
"うん、ええよ!"
嫌な仕事みんなやらされたなぁー!
メイクの講師、神田順子先生!
本当に素晴らしい先生でいつも、いつも
気にかけて頂き、モチベ下がってる時や悩んでる時などいつも親身になって対応して頂いた!
徐々に私のパンチパーマ的なヘアースタイルも
チェッカーズみたいな流行ヘアーへと変貌する!
彼女も出来、人生最大のモテ期もこの頃だったかなぁ、、、この頃のアルバイトは朝の新聞配達とディスコのウェイター!難波にあったNASA21という
ディスコ!懐かしい、みんな元気かなぁ?
そんな楽しい学生生活2年目が終わり
メイクアップアーティスト学科2年に進級する。


2年になったら卒業年度。
特殊メイクアップアーティストになりたい私は
卒業後は東京に行ってどこかの工房で働きたいと
東京の情報を入手することに専念!当時はまだ
ネットも携帯もSNSも無い時代!
都内のハローページ(電話帳)片手に電話したり
SFXの本から情報得たり、、、必死でした!
そんなこんなしているある日の事
いつも乗ってる電車の吊り広告にあるイベント情報
を見つけてしまったのです!
"特殊メイクの世界"難波シティ!
なんと!大阪で活躍されている神風太郎氏の
期間限定イベント!が難波で見れる!
これは行かねば!
2週間の開催期間、作品展示と土日には
先生のデモンストレーションが1日2回!
とりあえず毎日入場料払って観に行き、デモも
各回一番前の真ん中席に座って観る!
そしてイベント最終日、勇気を振り絞って先生に
声かけさせていただき、名刺を貰いました!
卒業後、特殊メイクの業界に行きたい!と話す私に
"今度、事務所に遊びにおいで"と言って下さり、
間に受けた私は数日後、先生の事務所工房を訪ねたのだった!色々見せて頂き、お話も一杯して頂き
思わず私は"ここで勉強させて下さい"と
後先考えず、誰にも相談することもなく直談判したのだった。今考えると、随分無茶というか
行き当たりばったりだというか、、、
しかしその時は必死だったですね。

じゃあ、まぁ、一回やってみたら?
との事で弟子入り決定!
その足で学校に行き、"自分学校辞めます!"と
担任の先生もビックリ、クリクリ!
"なんでやのん?あと3ヶ月で卒業やで、勿体無い"
"何考えてんの?"と怒られました!
私は事の経緯を説明し、明日から師匠のところで
弟子入りするから、、、

担任の先生、教務部長が色々考えてくれて
結局、卒業まで公欠扱いで、学校には週一回
作業報告を提出する事でクラスの皆んなと同じに
卒業という訳にはいきませんでしたが、無事に卒業
させて頂きました!^_^

そして専門学校の教員資格もとりましたよー

そして無事に弟子入り、専門学校卒業を
果たしたのでした!

今でも母校、大阪モード学園の授業を担当!
教える側で恩返しさせて頂いてます!

最後まで読んで頂き有難う御座います!
次回は弟子入り時代について書いていきます!

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