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書物の転形期01 はじめに:和本から洋装本へ

 日本の印刷・出版は、19世紀の後半に大きな変革の時期を迎えた。活版・銅版・石版といった印刷技術が登場し、その技術が新聞・雑誌といった新たなメディアを可能にし、新たなメディアの登場に合わせて出版のシステムや法律も大きく変わった。そして印刷物のパッケージとしての書物も、19世紀前半までの和本を中心とした製本様式から、それ以後現代まで続く洋装本を中心とした製本様式へと大きく転換した。文字通り「書物の転形期」である。

 この外形も構造もあまりに異なる二つの製本様式間の移行には、複雑な力学がはたらいていた。そこでは、技術者の水準や在来技術とのすり合わせ、製本材の入手難度と代用素材、製作におけるコストなどといった技術的要因と、書物の用途やイメージに関わる文化的要因が複雑にからみあい、書物というメディアの転換期に固有の様式を形作っていたのである。過渡期の多様な製本技術とそれによって生み出された書物の様式は、それを売り、買い、読んだ人々の書物に対する意識といかに交差するのだろうか。はじめて洋装本を目にし手に取った人々はそれをどのように認識し、在来の様式との間にどのような認識地図を描いていたのであろうか。

 江戸時代は大本・中本といった書物の大きさ=書型によって、書物のジャンルや内容=「格」が決まっていた。近代に入って生じた旧来の書物の「格」の解体は、同時に洋装本による新たな「格」の成立と踵を接してはいなかったのだろうか。それは和本と洋装本の間の価値の差異として、また洋装本の諸様式間の差異として表れているのではないだろうか。そして、そのような洋装本の諸様式によって成立する「格」は、江戸期のような強固なものではなく、製本技術の進歩や普及の様態によって目まぐるしく変化するものでもあろう。洋装本が普及していない時期と、普及した時期との価値意識は無論異なるし、製本技術の進歩によってそれまで高級な様式と考えられていたものが、廉価版に転落することもある。洋装本の登場によって生じた日本の書物の転換期には、従来の強固な書物の「格」が解体されつつも、一方で新たに、あるいは過去を引きずる形で各々の分野やジャンルに相応した書物の形が成立していたのではないだろうか。それらの分類と体系化が進めば、書物の形態と内容との関係の分析や、書物の形態と読者の関係の分析へと進むことができるかもしれない。

 しかし、書物の技術的な変化と、書物についての人々の認識はかならずしも不即不離の関係にあったわけではない。人々は書物に対して技術的な変化を認知するときもあればしないときもある。

 一例を挙げよう。尾崎紅葉が装幀にこだわった『金色夜叉』前編(春陽堂、1903)は、それまでの紅葉本の体裁を一新し、総クロス装丸背にしたものであった。斎藤昌三は『金色夜叉』の装幀を「平々凡々」としながらも、「この種の装釘界の先達となりリーダーともなつて、この年以降の文芸出版物の多くは大体この装釘に慣ふやうになつたのであつた」(「紅葉山人と装釘」『書物と装釘』1930.8、山口昌男監修『少雨荘書物随筆』国書刊行会、2006所収)と、その後の文芸書の装幀への影響を指摘している。春陽堂がそれまで得意としていた製本様式は、菊判紙くるみ表紙仮綴じ本である。平綴じによって本体用紙をまとめる簡易な製本であり、『金色夜叉』前編の登場は、春陽堂の製本技術をかがり綴じ上製本へと一気に引き上げたように見える。

 ところが、『金色夜叉』前編の製本は、かがり綴じ上製本のように見えながら、実は本体用紙を三点の平綴じでまとめ、板紙二枚に総クロスを貼ったくるみ表紙をかぶせて貼り見返しでつないだものであった。しかも通常、本体とくるみ表紙の接続部は寒冷紗を貼って補強するが、『金色夜叉』は洋紙で代用している。さらに花布も省略されていた。この厚いクロス表紙をかぶせて貼り見返しにする製本は、薄表紙に貼り見返しを貼る春陽堂本のそれまでの製本との技術的な差異は小さい。要するに『金色夜叉』前編は、春陽堂仮綴じ本の紙くるみ表紙を総クロス厚表紙に置き換えた間に合わせのものだった。ここからは当時の文芸書製本の技術的、そしておそらくは経済的な制約の一端が垣間見えるだろう。『金色夜叉』前編の製本様式は、本体用紙をかがる本式の上製本をする際に必要な訓練や工程、そして製作期間を節約できたはずである。そしてこれ以後、『金色夜叉』にならった明治期の総クロス装文芸書は、平綴じとかがり綴じが混在することになった。

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※『金色夜叉』前編のノド。三点の糸綴じが確認できる。架蔵本。

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※同裏見返し接続部。寒冷紗やフィッセル(麻を用いた支持体)の使用は見られず、見返し裏から背にかけて洋紙が補強として貼り込まれている。

 しかし、この簡易な製本とかがり上製本の技術的な差異は、それを手に取る人々の意識にはのぼらない。技術史だけを記述しても当時の書物の半身をとらえるにすぎない。書物の歴史とは、書物製作の技術という技術的レベルと、書肆および読者の書物についての認識という文化的レベルを慎重に区別しながら、なお互いに関係するものとして叙述するという困難な作業を強いられるものである。このエッセイでは日本で洋装本が登場してから定着するまでの時期、すなわち十九世紀後半から二十世紀初頭までを対象として、書物の技術と当時の新聞広告や目録の記述などとを照らし合わせつつその変遷と展開を跡付けてみたい。ただし、実際の読者の認識については有効な資料が少なく現在のところ分析が十分に及ばない。とりあえずは限られた資料を用いて「書物の転形期」の素描をこころみることにする。

 なお、手持ちの画像や画像リンクによってなるべく実際の形を見てもらいたいが、所蔵機関の閉鎖等によって画像の入手や閲覧が思うにまかせないことをお断りしておく。疫病終熄後の補填を期す。

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