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書物の転形期05 洋式製本の移入2:幕末の洋装本

蕃書調所・洋書調所・開成所の洋装本

 1856年、蕃書調所は江戸幕府によって「西洋情報や技術の翻訳・移植直轄機関」( 宮地正人「混沌の中の開成所」『学問のアルケオロジー』東京大学出版会、1997)として設立された。蕃書調所は数多くの洋書を備えるとともに、「活字所」を調所内に開設し、スタンホープ印刷機を使った活版印刷で教本や辞書を翻刻していた。蕃書調所とその後継機関である洋書調所(1862)・開成所(1863)の出版物の多くが洋装本である。福井保『江戸幕府刊行物』雄松堂、二版1987、によるとそれらの洋装本は以下の通りである(なお、各本の版と所在については、櫻井豪人「「開成所刊行」の朱印と開成所刊行物」『汲古』35号、1999、が詳しい)。

Leesboek voor de scholen van het Nederlandsche leger, bevattende korte verhalen uit de krijgeschiedenis, bijzonder die van het vaterland. 1858
※蕃書調所。題簽『西洋武功美談』。「レースブック」の名で知られる。「蕃書調所が洋式活版印刷によって刊行した最初の欧文図書」。
②Fossé, M. Verklaarde vragen over de veldverschansing, den vestingbouw en den aanval en verdediging van vestingen voor jonge offisieren. 1858
※蕃書調所。「活字・版式・装訂等は『西洋武功美談』とよく似て」いるという。川田久長は「Nagedrukt te Jedo, Anno Ansei 5.」の刊記があると指摘しているが、同様の刊記が早稲田大学蔵『西洋武功美談』にも認められる。
Familiar method, for those, who begin to learn the English language. 1860
※蕃書調所。再版1861、三・四版1862、四版は「洋書調所と改称した後の刊行であろう」。
④英吉利文典 1861頃
※蕃書調所。原書はThe elementary catechisms, English grammar. 1850, London。通称「木の葉文典」。石原千里「The Elementary Catechisms, EnglishGrammar, 1850:『伊吉利文典』、『英吉利文典』(「木の葉文典」)の原本」『英学史研究』40号、 2007、によると初版1861頃。同じく石原「『英吉利文典』(木の葉文典)各版について」『英学史研究』41号、2008、によると再版1862、三版1864、四版1865五版1866六版1867、二版は洋書調所。三版以降は開成所。また明治期以降に万屋兵四郎版1870蔵田屋清右衛門版1871がある。
英和対訳袖珍辞書 1862
※洋書調所。「厚手の斐紙、両面刷り、洋装」。
Leitfaden zum Unterricht in der deutschen Sprache und Literatur. 1863
※洋書調所。静岡県立中央図書館葵文庫蔵本は厚表紙を欠くため、福井は「〔独逸語文典〕」と仮に題す。原書は1853オランダ刊で葵文庫が所蔵している。
博物通論 1866
※開成所。原書はOlmsted, Denison. Rudiments of natural philosophy and astronomy. Vol. 1. 1858。
改正増補 英和対訳袖珍辞書 1866
※開成所。整版和本1867もある。
英語訓蒙 1866
※開成所。和紙、活版。
法朗西単語篇 1866
※開成所。洋紙、活版。
英吉利単語篇 1866
※開成所。和紙、活版。「内容、形式共に『法朗西単語篇』の姉妹篇である」「本書には右のほかに、印刷がやや不鮮明な再版本や、明治三年蔵田屋清右衛門刊本、標題紙の出版地をAT SAIKIOと改めた、いわゆる西京版が明治四年に覆刻、出版されているという」。西京版1871は丁子屋版のほか、版元不明1版元不明2がある。
Noel, M. Nouvelle grammaire française, sur un plan très-mèthodique. Par M. Noel et M. Chapsal. 刊年不明
※開成所。葵文庫蔵本には「仏蘭西文典」の題簽あり。原書の刊記はGrammaire. Paris 1862と思われる。

 これらは、厚冊の辞書である『英和対訳袖珍辞書』『改正増補 英和対訳袖珍辞書』を除いて、すべて薄冊の教本類である。

 蕃書調所最初の活版洋装本である『西洋武功美談』の底本と思われる蕃書調所旧蔵の原書(国会図書館蔵、蘭-2601)は、白地に青をちらし黒を添えたトルコマーブル紙をボードに貼って表紙にした厚表紙背クロス装。溝付きの角背だが背芯は入っていない。本紙は折丁6つで八丁立て、最後の第6折のみ四丁立てである。綴じ糸は四点で綴じられた二丁抜き綴じで支持体はない。ただし、補強のために最初の第1・2折と最後の第5・6折は総綴じとなっており、薄冊であるため結果的に総綴じ部分が大半を占めている。後ろ見返しが剥離しており最も可動する部分で洋式製本の要ともいえる見返しの構造が確認できる。1折分に巻いた紙とボードの間に綴じ糸の先端を挟み込んで貼り合わせることで表紙と本体を接続した巻き見返しの構造である。巻いている紙は無造作に破り取られた1ページ分の巾がない反古紙が使われている。そして巻いた紙と第1折外側の紙葉の間にさらに見返し紙を貼り込んでいる。

 一方、蕃書調所版の『西洋武功美談』(早稲田大学蔵)は、前掲櫻井論によれば1863年8月から1865年までに印刷された後印本である可能性があるということだが、原書よりも簡略化された製本になっている。折丁5つの八丁立て、第5折のみ四丁立てで構成されており、綴じ方は二点で綴じられたかがり綴じで支持体はない。見返しも巾のない紙を巻き見返しのごとくに1折分に巻き、ボードに貼り付けた上から、さらに和紙を1ページ分貼付している。貼り見返しのような遊び紙はなく、表紙を開くと本紙が現れる。背もクロスが使われておらず紙くるみであり、表紙の芯も画像からは和本の表紙の芯に使う漉き返しのように見える。

西洋武功美談の構造

 このような二点かがり綴じは蕃書調所・洋書調所・開成所刊行の薄冊洋装本に共通する綴じ方であり、四点以上の綴じ穴を空ける総綴じや抜き綴じに比べて簡易な「仮綴じ」と言える。国会図書館や葵文庫のデジタル画像などで蕃書調所等が所蔵していた洋書を見ると、このような製本は薄冊の蘭書に多い。例えば蕃書調所旧蔵の"Verklaarde vragen over de veldverschansing, den vestingbouw en den aanval en verdediging van vestingen voor jonge offisieren"の原書(国会図書館蔵、蘭-3476)は、縦13.7㎝×横8.8㎝の小さな判型であるためか、二点のかがり綴じを採用している。ただし、見返し部分はボードを巻見返しにした上から紙でくるんで表紙にしている。折丁は六丁立てという変則的な構成である。綴じ糸は第4折のノドで結んでまとめている。前掲の鈴木英治・切坂美子による長崎版和刻洋書に関する報告でも、『レグレメント』の原書はすべて「綴じ穴が二つの仮綴じ」であり、「仮綴じは単純な綴じであり2丁重ね抜き綴じの方法が理解できていれば十分に可能である」としている。

 見返しに関しては、初期の蕃書調所版の洋装本は曲がりなりにも見返しの可動部を補強すべく見返しを本紙と区別していた。しかし、後になるとこの見返しの構造はより単純になっていく。1865年の『英吉利文典』四版では貼り見返しが用いられ、続いて本紙を直接表紙に貼り付けたものが現れる。

 架蔵本『英吉利単語篇』(初版、1866)は背布が失われており、本の構造を確認できる。本紙は和紙による6つの折丁である。八丁立て16ページの折丁5つと四丁立て8ページの第6折で構成されている。第1丁と第6丁の外側紙葉が表紙・後表紙にそれぞれ貼付されており、第1折第2~3ページと、第6折第6~7ページが見返しになっている。つまり見返しを別に用意せず、本紙の折丁外側の紙葉をそのまま表紙に貼り付けた単純な構造である。綴じは二点のかがり綴じで支持体はない。背にはすべての折丁を包み込むように和紙の背貼りがされており、その上から表紙の芯が貼り付けられている。表紙・後表紙は共に漉き返しを芯にして鳥の子色の紙を貼っている。中央に英文題・題・刊年・「開成所」が記された題簽がある。芯と表紙の糊付けは全体ではなく要所のみに行われており、これは岡本幸治が『独々涅烏斯草木譜』で指摘した和本の技法である。

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『英吉利単語篇』木戸架蔵

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同 二点かがり綴じ

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同 後ろ見返し

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同 背

 この『英吉利単語篇』に見られる本紙の最初と最後のページをそのまま表紙・後表紙に貼り付ける方法は、1866年以後の開成所版に共通する。中には『博物通論』のように第1丁と第2丁の間にタイトルページを挿入したものもあるが、折丁最初のページを表紙に貼り付ける方法は変わらない。複雑な見返しの工程を省略するこのような方法は、開成所の本の需要の高まりと関係があるのではないだろうか。宮地正人は「調所・開成所刊行の活字本を中心とする辞書・教本出版事業は所内の需要をまかなうだけではなく、広く国内の学習需要全体に対応したものであった」と述べ、箱館奉行所から1866年に『英吉利文典』『英吉利単語会話篇』のまとまった注文が行われたことを紹介している(「混沌の中の開成所」)。

 また和本の技法が見られることも、開成所の製本需要に対応するために和本職人の参加や増員があった可能性を示唆している。岡本幸治は「「中身」を構成している一番外側の折丁のうち表紙に隣接する外側紙葉が見返しに転化されている場合」を「未分化な見返し」と呼び、「表紙を開閉することで生じる負荷は見返しノド部にかかるので、この「未分化な見返し」である折丁は負荷を直接に受け取ることになる」(岡本幸治「保存情報としての製本構造(3):西洋古典資料の保存のために」『一橋大学社会学古典資料センター年報』23号、2003)とするが、開成所版の場合、本紙は和紙を使用する場合が多く、和紙特有の柔軟さと丈夫さに頼れば「未分化な見返し」でも耐久性を保つことができる。ここには和紙という素材に対する和本職人の見極めがあったのかもしれない。ただし、姉妹篇ともいえる『法朗西単語篇』は本紙が洋紙でありながら同様の製本である。こちらはむしろ洋紙の性質に対する理解度の低さによるのかもしれない。

 幕府洋学機関の簡易な洋装本からは、蘭書をモデルとした二点かがり綴じの仮綴じ本が、和本の素材や技術を流用しながらさらに簡略化されていく過程の一端が垣間見える。このような日本固有の技術的素材的条件による簡略化は、「ボール表紙本」などさまざまな洋装本にも引き続き見られる。そして二点かがり綴じの仮綴じ本は、明治期に入ると平綴じの仮綴じ本に取って代わられることになる。これには簡易な製本様式のモデルとなる西洋教本類の輸入元の変化が関係していた。(この章つづく)


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