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引っ越しとお隣さんのおやつのこと

 昨夜、新しく住むマンションの契約を済ませてきた。まあ契約者は夫だから、私は特に何もしていない。夫の隣に座り、一緒に不動産屋さんの説明を聞いたり、いくつか質問をしたり。人の話をちゃんと聞くという行為は、想像以上に体力を使う。夫はそれに加えて、氏名や生年月日や勤務先やらの個人情報を記入欄にどんどん書き込まなければならない。しかもその記入欄は小ぶりで、字が大きい夫は少々苦戦していた。
 すべて終わらせるのに、二時間かかった。最後に今住んでいるマンションの解約通知を書いて、私は、一つの時代が終わっていく感覚を味わった。
 夫は十八年、後から来た私は十五年、この2Kで暮らしてきた。住民も何度か入れ替わり、我が家のお隣さんは現在三人目。元気なおばあさんだ。料理がお好きで、日中家にいる私に、時々おやつやおかずをお裾分けして下さる。焼き芋、卯の花、余ったそうめんで作ったというピザ。どれも本当に美味しかった。ずっと昔、実家の台所で食べたごはんみたいで。お隣さんのおやつやおかずは、私に実家の大きなダイニングテーブルを思い出させた。
 今日のお昼前、玄関ドアがコンコンとノックされた。インターフォンはないから、私はハイハイと返事をしながらドアスコープを覗く。お隣さんの姿がちらちらと見えた。ドアを開けると、甘い匂いが鼻をくすぐった。
「今ホットケーキミックスで作ったから。揚げたてだからすぐ食べな」 
 砂糖がかかったドーナツが二つ、スーパーのトレーに乗せられていた。ドーナツはよく揚がって茶色いところと、裂けてふんわりとした黄色い生地が見えているところがあった。
「旦那さんの分もあるけど、冷めたら美味しくないからあんた食べちゃいなさい」
 確かにドーナツはほうほうと湯気が立って、これを冷ましてから食べるのでは作った人に悪いなぁと思った。もっともな言い訳のもと、私はお礼を言って、いそいそとドーナツを我が家に迎え入れた。
 ドーナツは手のひらくらいの大きさで、ずしりと重かった。かかっている砂糖の粒の大きさに、どことなく見覚えがある。あ、そうだスティックシュガーだ。実家でも粉糖がわりによくお菓子に振りかけていたな、なんて思い出す。ドーナツを手に取ってみると本当に熱々で、噛んだ瞬間、ふかふかの生地の中から湯気がふわりと立った。たまごと小麦の優しい味に、シュガーの甘い粒がパッパッと舌の上で溶けて混じっていく。頭の中で、実家の台所がいつもよりはっきり見えた気がした。
 美味しかった。本当に本当に美味しかった。あんまり美味しくて、私はすぐに玄関を出て、お隣さんのドアをノックした。そうして出てきたお隣さんへ、ただただ頭の中から噴き出してくる感想をそのまま贈った。
「美味しい。本当に美味しいですこれ!」
 美味しいものを作った人に、ちゃんと美味しいと伝えたかった。それが食べた人にできる、作った人への最大のお返しだと思ったから。
「良かったわぁ。一人暮らしだから、食べてくれる人がいると嬉しいんよ」
 お隣さんは嬉しそうで、でも私は途端に申し訳ない気持ちになった。だってあと一か月でお別れだから。お隣さんにはまだ引っ越しのことを話していなかった。話しておきたい気持ちはある。けれどこの関係の終わりを意識してしまうと、やっぱりなかなか言い出せない。わざわざ寂しいことを言うみたいで、でも言わないとそれはそれで薄情みたいで。さっき頂いたドーナツも、秋に頂いた柿も、夏のスイカも、まだ全然お返しできていない気がして。いつも挨拶して下さったことも、断水の時、まるで家族みたいに親切にして頂いたことも。私はそれらに対して、ちゃんとお返しが出来ていただろうか。
 挨拶は返していた。何か困ったことがあれば聞いて下さいと、一人前に胸を張った。帰省の度にお土産を買って持って行った。いつもありがとうございます、と言って渡した。それくらいしかできなかった。本当はもっとお返しできたかもしれない。一つの物事の終わりが見えた時、過去の自分を見返して、ああすればよかったこうすればよかったと悔やんでしまうのは避けられないことなんだろうと思う。でも自分の中でちゃんと終わりを迎えるためにはその壁を乗り越えなくてはいけなくて、昨夜私たちは新居を契約して、その終わりの道筋を決めてきたのだ。
 ……とまあ、ここで現実的な話をすると、近年我がマンションは住民の入れ替え時に部屋がリフォームされ、次の人へ貸し出されていく状態が続いている。周りがどんどん小ぎれいになっていく中、今年十八年目の我が部屋は名実ともに最古の物件状態。土壁も畳もいい加減くたびれつくし、エアコンの穴からは雨も蟻も入ってくる。ついでに夫婦ともに荷物も多くなってきた。そこで新居探しとなったわけで、お隣さんへの感情やその他諸々を考慮しても、引っ越しをやめる気はさらさらなかった。でもだからこそ、終わりは確定的で、絶対的なものだった。
 こんなに恵まれたお隣さんはいなかった。勿論、惜しい気持ちはある。美味しくて懐かしい味が食べられなくなるのも、気さくに話しかけてくれる間柄が終わることも。でも引っ越しの日を待ち望んでいる自分もいる。惜しい気持ちと、楽しみな気持ち。物事は簡単には終わらないけれど、でも自分がちゃんと納得できる終わらせ方はするべきだし、そうするように動くことも大事だ。たとえ結果は伴わなくても、行動をしなければ終わるものも終わらない。
 ドーナツは、本当に美味しかった。そして、ちゃんと美味しいと伝えられた。それでいいのだと思う。
 明日、菓子折りを持ってお隣さんへ挨拶へ行こう。そして、ちゃんとお礼を言おう。そうすれば、いつかまた過去を見返す時、このマンション時代がとても暖かい思い出になっているだろうから。

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