キャプチャ

プロ野球選手を引退しようと思ったきっかけ!!

今回は、10年間プレーしたプロ野球の戦力外を感じたタイミング、現役引退のきっかけについて書いていきたいと思います。

最初に感じた違和感

2010年5月に広島東洋カープからオリックスバファローズへトレードになった。
当時のオリックスは岡田彰布監督

岡田監督は、2002年タイガースに入団したときの2軍監督、その後1軍監督になり、トータルで6年間お世話になった監督なので、オリックスに入団したときは「岡田監督のために」という思いが強かった!

トレード直後、すぐに1軍に合流

チームはセパ交流戦真っただ中で、交流戦優勝争いをしていた。
最初に感じた違和感はこのころ、、、

何かというと、『バッティングがわからなくなっていた』

この年、オープン戦は調子がよかったものの、開幕から思ったようなバッティングができていなかった。その感覚のままオリックスへトレードになり、「結果を出したい」「チャンスをくれた監督のために」「カープの仲間のため」などいろいろな思いがあり焦りもあった。

また、もう1つバッティングがわからなくなった原因は、

バッティングコーチとのコミュニケーションがうまく図れなかったこともある。

当時のオリックスのバッティングの方針は、

今ではよく聞く「フライ革命」

極端に言えば、アッパースイングでカチ上げていくという教えだった。

これまでプロで8年間、もっとさかのぼれば野球をはじめた10歳のころから『バットは最短距離で振る』という考えでやってきたため、この初めて聞く「もっとアッパーで振っていけ」という指導にかなりの違和感を感じていた。

今の時代、今の自分の知識からすると、『アッパーでカチ上げていく』というバッティングは当たり前というか、普通の考え方だが、当時の自分には理解できなかった。

1軍に残りたい気持ちが強く、コーチの言われるがまま振り続けた。「どうしてこういう打ち方が必要なんですか?」という一言がいえず、このバッティング理論がしっかりと理解できていないまま取り組んだ結果、頭と体がバラバラになり、最終的には振ることができなくなった。

その後、2軍に降格したが、この年最後の最後まで迷走していた。

最後の1年

キャプチャ

2010年の11月にオリックスバファローズから横浜ベイスターズにトレードとなる。

このときは、不安でしかなかった、、、
なにせバッティングがわからなくなってままだったから、、、

ベイスターズでは春季キャンプ2軍スタート!2軍は白井監督、波留バッティングコーチだった。

前年、バッティングがわからなくなっていたので、オフシーズンに再度「最短距離打法」に取り組んでいた。しかしキャンプ初日に「最短でバットを出すと打てないよ」と白井監督から助言を受けた。

「またか」
と思った。

でも白井監督はこれまでお会いした指導者の方々と違って、理論的に、そして積極的にコミュニケーションを図ってくれた。

『理論的に』は自分の中で大きかった。

「バッティングとは前に飛ばすスポーツだよ」「ヒットを打つスポーツじゃない」だからミートポイントを増やさないといけない。「カットボールやツーシームみたいに小さな変化が多くなってくる中で、上から最短で打つミートポイントが少なくなる打ち方はこれからの時代難しくなる」など、書き出すときりがないくらい、いろいろなことをわかりやすく教えてくれた。プロでここまで9年間、固くなっていた頭を少しずつ柔らかくしてくれた。

このキャンプの一か月は、本当に濃い内容だった。

しかしこの頃から、なんとなく最後の年になるんじゃないかと感じていた。

もし最後の年になるなら、白井監督によってスッキリした頭、そしてまだまだ元気な身体があったので、戦力外覚悟でこの「アッパースイング打法」に取り組んでやろうという考えになった。

腹をくくれた!!!

結論から言うと
この年、一度も1軍に上がることもなく戦力外になったが、スッキリしていた。なぜかと言うと『ブレることなく、最後まで取り組めた』からである。

いい時も、わるい時も、一喜一憂することなくやり切れた。

いま、思うこと

今の現役選手、そして野球をやっているすべての方々には『しっかりコミュニケーションを図ってほしい』と思う。

コーチとの会話は大切!!

一方的な指導を受けるのでなく、自分の考えを言える信頼関係を築いてほしいと思う。

自分の主張だけだと、嫌われちゃうのでバランスよくやってくださいね!!!

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