天台寺(奥州三十三観音第33番札所)
奥州三十三観音の結びとなる第33番札所八葉山天台寺(はちようざんてんだいじ)は、岩手県の北端に位置する二戸市浄法寺町にある、1200年余りの歴史を誇る東北有数の古刹です。瀬戸内寂聴師が名誉住職を務める寺でもあります。
開山は、神亀5(728)年に聖武天皇の勅願により行基が自作の木造聖観音立像を安置、天皇御真筆の勅額を掲げたことによると伝えられています。
山号の八葉山は、この山の八つの峰と八つの谷からなる、蓮の花が開いたような地形から名付けられ、寺号の天台寺は唐の天台山にあやかったといいます。
大同2(807)年、坂上田村麻呂が奥州平定にあたり、この寺に戦勝祈願し、その際に本堂及び末社を再建しました。その後、嘉祥年間(834~851)には慈覚大師円仁が奥州巡錫の折、しばらくこの地に逗留し、毘沙門天、阿弥陀如来像などたくさんの仏像を自ら刻んで安置したと伝わります。
天台寺の駐車場は、細い道を進んだ先にあります。駐車場への道中に浄法寺歴史民俗資料館があり、参道入口もそこにあります。天台寺が「桂泉観音」と呼ばれるゆえんとなっている桂の老木の根元から湧く泉があり、必見です。
また、天台寺は奥州三十三観音のほかに糠部三十三観音の結びの霊場になっています。
駐車場からは、参道の途中に合流できます。
参道には赤い頭巾とよだれかけを身につけたお地蔵さまが並び、所々に祠が祀られていました。
参道をしばらく歩くと仁王門が見えてきます。こちらの仁王門は国指定重要文化財で、安置されている仁王像は運慶作と言われています。
仁王門をくぐり、石段を数段上ると授与所を兼ねた売店があります。
御朱印もこちらで拝受します。文化財保護協力金として300円を売店で支払い参拝します。
現在の本堂は、万治元(1658)年に南部重直が建立した、五間(9m)四面に欄干のある一間(1.8m)の濡れ縁をめぐらした美しいお堂で、国指定重要文化財になっています。
本堂内には、本尊である鉈彫りの聖観世音菩薩立像のレプリカが安置されています。
本堂の裏手に耐火収蔵庫があります。
そこには、本尊の聖観世音菩薩立像(像高116.5㎝)と十一面観音菩薩立像(像高174㎝)が安置されています。どちらも桂材の一木造で、鉈彫りという像の表面にノミ痕を残す技法で彫られています。また、どちらも行基一刀三礼の作と伝えられ、国指定重要文化財となっています。
収蔵庫内は聖観世音菩薩と十一面観音菩薩立像以外にも数体の仏像が祀られており、大変充実した空間です。また、本尊の前に座って参拝することもできます。
かつて天台寺は奥州における天台宗の拠点として栄えましたが、明治維新の廃仏毀釈により多くの貴重な仏像や宝物が失われ、残された寺宝は収蔵庫や桂泉蔵に保管されています。
本堂の後ろには、桂泉蔵と護摩堂があります。桂泉蔵には、廃仏毀釈で焼かれた姿の仏像や観音菩薩の丈六仏など、見るべき逸品がたくさんあります。
こちらは護摩堂です。中には不動明王が祀られています。
桂泉蔵の右手に参道が続いています。
こちらに進むと、月山神社や薬師如来堂、毘沙門堂などがあります。
かつて八葉山には直径2m前後の杉が約1200本あったといいます。その中でもひときわ大きな姥杉があり、直径約5m、周囲約15mにも及び、根元が空洞で大人が7,8人は入れたことから八帖敷と言われていました。しかし、明治36(1903)年に火の不始末により焼失してしまったそうです。
現在は焼跡が残っているだけとなっており、当時の記録や測量結果をもとに復元がなされています。
天台寺は見るものがありすぎるので、奥州三十三観音の記事とは別に、ご紹介したいと思います。
令和元年夏から始めた奥州三十三観音巡礼も特別霊場を残すのみとなりました。そちらもいずれ記事にします。
【御詠歌】ごくらくの あづまにきたよ にしのかど つきのかつらも きよきみづなみ
【宗派】天台宗
【本尊】聖観世音菩薩
【住所】岩手県二戸市浄法寺町御山久保33
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