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女川三十三観音碑を訪ねて

宮城県牡鹿郡女川町に三十三観音碑があると聞き、行ってきました女川町。

今回は女川三十三観音碑についてご紹介したい。

三十三観音碑は、文政7(1824)年に女川出身の僧・独国和尚の「女川の人たちが平穏で豊かな生活を送れるように」という願いに賛同した人々が寄進し合って建立された。

独国和尚は、宝暦12(1762)年の生まれで、出羽国高畠(山形県高畠町)で修業を積み、現在の福島県福島市といわき市を拠点に布教活動を行い、文政13(1830)年に亡くなる。女川以外に、福島市といわき市にも独国和尚が建立した三十三観音がある。

ちなみに、独国和尚が修行した山形県高畠町にある亀岡文殊(大聖寺)には、独国和尚の石像がある。

1~32番碑は町役場近くの通称「女川山」にある遊歩道沿いにある。33番碑は、今年3月に完成した「指定文化財保存展示施設」にある。

三十三観音碑がある遊歩道へはいくつか上り口があるが、今回は指定文化財保存展示施設側から登る。

指定文化財保存展示施設へは、女川町役場近くの「三十三観音橋」の下を通っていく。

施設の前には、独国和尚が建立した石碑が並び、町指定有形文化財の石碑の前には説明板が建てられている。

施設には鍵がかかっていたが、扉から中の様子が覗ける。中央にあるのが独国和尚の墓碑、向かって右が33番碑、向かって左が子孫長久一尊像碑である。

遊歩道へは、施設横の道から行く。

少し歩くと、波切不動尊碑(女川町指定有形文化財)がある。

波切不動尊は、文政7(1824)年三月銘を持つ線刻の不動尊で、村民12名が海の安全を祈願して造営し、願えば一度沈んだ船も浮き上がると言い伝えられてきたという。

不動尊をとおり、いよいよ遊歩道へ。

思ったより勾配が急で、足元は悪い。

階段を登り切ったところに、1番碑がある。(遊歩道にある観音碑については、記事後半に1番~32番をまとめている)
1番碑を過ぎてすぐのところに倒木があった。遊歩道はところどころ倒木があり、倒木を乗り越えながらの散策。

1番碑を過ぎてしばらく登っていくと、展望台に着く。Googleマップによると、「堀切山展望台」というそうだ。

展望台からは女川の町が一望できる。

展望台を降り、さらに倒木を越えて進む。

しばらく遊歩道沿いにある観音碑を見物しながら進んでいくと、ひらけた場所にでる。

この広場から下り坂になり、少し下ると大杉がある。

この杉は「三十三観音の大杉」と呼ばれており、樹齢は推定300年以上とされ、女川町の天然記念物に指定されている。

大杉からまたしばらく下っていくと白山神社にでる。以上が三十三観音碑のあるルートとなる。

遊歩道にはいくつかコースがあるようだが、今回は波切不動尊から入山し、白山神社に抜けるコースをとった。

最後に、遊歩道にある観音碑(1番碑から32番碑)の写真を掲載したい。

女川三十三観音碑に刻まれている観音は、観世音菩薩が衆生済度のためにこの世に三十三の姿で示現するという『観音経』に説かれた説に基づいて、近世に流布した種々の観音を三十三集めたもので、江戸時代に土佐秀信が著した『仏像図彙(ぶつぞうずい)』に所載されている観音と同様のものである。

上記の写真にはないが、文化財保存展示施設内に第33番の灑水観音がある。

観音碑は観音像が彫り出されているものではなく、丸みのある自然石に線刻の観音さまが彫られている。

写真だと見づらいが、碑の状態は比較的良好で、彫られている観音さまをはっきり見ることができる碑が多かった。

【所在地】宮城県牡鹿郡女川町女川浜女川(遊歩道入口の位置を表示)

【駐車場】あり(遊歩道入口から徒歩約5分のところに、町営の無料駐車場がある)

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