「激動の日」に思う

2023年3月24日は「VRChat激動の日」として語り継がれるんじゃないか。そう思うぐらい大きなことが色々あった。

これに加え、(VRChatには直接関係ないながらも)もう一つの衝撃的な出来事が夕方にあった。

これらの出来事について、僕は深く解説したり語ることができるほどのかかわりを持っていないのでその辺の説明や感想を述べるのはやめておく。
(ぽこピーランドについては一人で入って「あ、これ気合い入れて向かい合わなきゃダメな奴だ」と直感して5分ほどで退散してきたけど。あの規模と作りこみはやばい…)

ただ、バーチャルライフマガジンに寄稿するための記事を書いていて寝不足の頭でtwitterを眺めながら「ああ、本当に時代が終わって始まってるんだなあ」とは感じた。この記事はその辺を掘り下げた、ただの個人的な日記であり記録だ。

これを書いてるとき、キヌさんの「はじまりのおわり」のライブでの言葉が脳内で何度も再生されていた。

はじまりの時はおわり/それでもわたしたちは続いていく/続いていきたいから/今ここがどんな場所なのか/もう一度わたしたちが定義しよう

上記ライブダイジェスト動画より、筆者による書き起こし

「激動の日」のそれぞれの出来事に関連性は無い、という事を理解している一方、大きな出来事がいっぺんに起こった結果自分たちの周りの世界が(もう戻れないぐらいに)大きく変わってしまった、とも感じている。

「世界のはじまりが終わりつつある今、自分たちはどう生きるのか。どう生きていけばいいのか」

キヌさんのライブを観た時に感じた問いを再び突き付けられてる。そう感じていた。


以前noteに書いた記事がバーチャルライフマガジンの編集長(代理)に評価され、ライターとして誘われて既に二か月近く経つ。
記事を書くきっかけを作ってくれた人にそこまで高く評価されることは本当に光栄なことであり、実際に記事を書いたり記事の素材探しをしたりする日々を送ってる(と言っても、自分の記事のうち二本目は編集部に依頼されて取材したもので自分で探してきたわけではないのだが)

その中で感じるのは、「バーチャルライフマガジン」には優秀なライターが本当にたくさんいるという事だ。

例えば冒頭で挙げた記事。「激動の日」当日の午後6時頃に公開されているのだけど、あれだけまとまった記事を事件発生から7~4時間半で書き上げる事は自分にはちょっとできない、と感じている(特に「VRChatの日本語公式twitterアカウント登場」のニュースは事前告知等が一切なかった出来事のはずで。あの内容の記事を短時間で構成し、しかも記事公開一時間前のツイートにも対応しながら書き上げたことになる)

片や自分はというと、記事執筆作業の開始から記事の公開までに大体一週間ほど要している(このnoteを執筆している時点で3本目記事の執筆が最終段階にあるのだけど、やはり対象イベントの開催一週間後に記事が公開されるペースで進んでいる)

「記事執筆の速さ=ライターとしての優秀さ」ではないという事は自分でも承知しているが、それでも人気になりそうなイベントやワールドの情報を見たときに
「これ、僕よりももっと優秀なライターさんに書いてもらった方が良いのでは…」
としり込みしちゃう感じになってしまうのは否めない。

じゃあどうすればいいのか。どんな立ち位置で記事執筆に臨めばいいのか。そういうことを3本目の記事を執筆してる最中にも考えていた。

考えた末にたどり着いたのは、
「メインストリームを無理して狙うな。少数でいいから心に響いてくれる読者が出るような内容の記事を書いていこう」
という事だった。
メインストリームとなる出来事を紹介するのなら、僕よりも適任な人がいっぱいいる。僕は「数が少なくて目立たないけど魅力的な人や物事」を紹介する方向で行こう。それは「メタバース」の名の下で人がどんどん増えていく今後のVRSNSの世界を紹介するにあたって意義のある事でもあるだろう、と。

そういう風に考えが落ち着いた数日後に「激動の日」が来て、改めて「はじまりのおわり」に直面する羽目になったので今こうしてnoteの画面を開いて書いている(まあ、ghostclubのjoin戦争に又負けたというのも理由の一つなんですけど)

要するにこの文章は僕なりの「定義」なのです。はじまりの次に来る世界にどう立ち向かっていくのか、の。

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