見出し画像

先人に学べ!Made in Japanの本質

ウズベキスタン共和国のナヴォイ・オペラ・バレエ劇場建設に携わった日本人のお話です。

1945年終戦
60万人がシベリアへ強制連行

ウズベキスタン(91年独立)へ2.5万人の日本人捕虜

1945年ナヴォイ劇場の建設開始
革命30周年迄に完成せよ!

永田行夫元陸軍技術大尉率いる日本人捕虜457名が従事
マイナス30度の極寒、粗末な食べ物

決められたノルマを果たさなければ食べ物を与えられない劣悪な労働環境
長時間労働と飢えとの戦い

79名もの日本人捕虜が亡くなった
「日本に必ず帰ってもう一度桜を見よう」

過酷な労働環境にも関わらず手を抜かず仕事を全う
真面目に働く日本人捕虜の姿に現地の人々は次第に心を惹かれていった

子供たちが食べ物を差し入れると律儀な日本人はお礼に精巧に作られた玩具を置く

1947年 完成

クレーンなどなく手作業
3年の計画を2年弱で完成させた

与えられた仕事をやればいいという強制労働であったにも関わらず細部の彫刻に至るまで丁寧な仕事

日本人としての誇りを持った完璧な仕上がり

それから20年後の1966年
タシュケント大地震発生

78,000棟が倒壊
しかしナヴォイ劇場は無傷

市民の避難場所として多くの人命を救った

日本人の真面目な仕事ぶりはウズベキスタン国民の心を打った
日本人捕虜は混成部隊

全ての若者がそうなのだ
「日本人のように真面目な子になりなさい」と、子供に教えた

1996年
カリモフ大統領が劇場建設に関わった日本人を称えるプレート設置

「彼らは恩人だ、間違っても捕虜と書くんじゃないぞ」と指示
「日本国民」と刻まれた

「人が見ていなくてもきちんと働く、お前もそういう人間になりなさい」
と母親に言われて大統領になったカリモフ氏

捕虜という立場から恩人と言わしめるまでになった

現地の墓地の周りには1900本の桜の木が植えられ、春には満開になるそうだ

嶌信彦著「日本兵捕虜はシルクロードにオペラハウスを建てた」より

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?