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「自分のことってよくわからんから妹に聞いてみて」

妹とは、わたしが実家を出る18歳までひとつ屋根の下で暮らしたわけで、歳の差を引くと16年の同居生活、今年で46年のお付き合い、という歴史と実績がある。
(多動で不埒な)ティーンエイジャー時代をよく知っている妹からすれば、「おねーちゃん、すっかり丸くなったよねー」。
きっとそう言うに違いない。

それにしても、兄弟姉妹(親も然り)は、どういうマッチングでいっしょに住んでいるかといえば、「だって家族だから」という、マッチもなにもこちらの意思は全無視である。おまけにふたり姉妹であいだに挟むものがまるでない。
たったひとりの妹とマッチするために、なんとか擦り合わせるために、それはもう苛烈な喧嘩をちいさい頃から血気盛んに繰り返してきた。
二十歳過ぎてもなおだったので、丸っとひと時代は、「妹」というひとりのにんげんとガチで向き合ったことになる。

わたしも妹も「自己」を示す太陽星座は獅子座、「喧嘩」を表す火星は乙女座で被っているので相手としては申し分なく、強過ぎず&弱過ぎず、お互いの弱点を熟知しているからこその心理戦が存分に出来た。

あの頃、妹以外にいったい誰がわたしの沼と向き合ってくれただろうか。
ほんとうに感謝でしかない。その千本ノックのような練習試合を通して、自分を少しは知ることができたかなって。

というのは、自分の姿を「この目」で直に見ることはできない。鏡に映った姿なら見れるけど、実際自分の肉体の目で見れない。
ううう、なんとももどかしい話であるが、それが真理である。
「自分と向き合う」という方便があるが、それも他者を通してでしか成し得ない。

先日、手相を観てもらった。

「では、見せてください」
ワクワクドキドキで両の手のひらを差し出すと、10秒も見たかどうか、「なーるほど」と、じゅんこさんはたちまちわたしと潤ちゃんの手を解説し出した。
矢継ぎ早に、そして流暢に。

「あなたは壊し屋です。破壊の王です。破壊というとこわいように感じるけど、壊さなきゃあたらしいものはうまれない。そこに面白さを感じる人、もうすでに個として立っている人が周りに集まります。依存しているような人はバサバサ切ってください。『かわいそう』とか気を遣っている場合じゃないです。その気は自分に使ってください。これからは特に。」

どよめき。
自分の手にアジられてしまった。

その内容はまったく腑に落ちることばかりだと思う反面、「個性」というものをあながち「短所」と見誤ることもあるな、と感じた。

なぜ「短所」と捉えてしまうのかといえば、出せば叩かれるからである。
でも「個性」というものは、自然にごぼごぼ湧き出てくるフリーエネルギー、すなわちポテンシャル。そこに気づいてあげてのびのび育めば、完全に「(オリジナルの)長所」と昇華するのだろう。

わたしが壊し屋だとしたら、潤ちゃんはバランサーだという。
「みんなの前で、凶器(わたしの本質)が下手にバレないように、『さっと布巾をかぶせる』みたいな」と。
ここで潤ちゃんすかさず「わかるー」と言ったけど、わたしとしてみれば、「そ、そ、そうなの?」と身も蓋もない。

これは「パームリーディング」(手相)からの観点だが、実はホロスコープでもかなりシンクロしており、ようは「あの手この手」(手相だけに)で見せてくれているのだな、とちょっと感動した。

手相も「他者」からの視点である。

自分のことをいちばんわかっていないのは自分。
ぜひ、あの手この手で知りたいものです。






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