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「あんでるせん」

長崎、「四次元パーラーあんでるせん」。
ここの評判は、ずっとずっと聞いていた。
「とにかくやばいよ」
「一度は行ったほうがいい」
「言葉では説明しきれない」
「面白いよ」
なかには具体的に、「彼氏の名前を当てられた」だの「100円玉が手のひらでぐにゃりと歪んだ」だの、当てた消えた飛んだ曲がった、とにかく枚挙にいとまがない。
まったく意味不明である。そんなん見ないとわかならいので、いつかは行ってみたいなあんでるせん。
とほんのり思いつつ、15年くらい月日が経っていた。

ある日、コトネちゃんとたまたまあんでるせんの話になった。
普通だったら、「行ってみたいよね」「ねー」くらいで会話は終わるのだが、そこはコトネちゃん、牡羊座的行動力で、「行こう!わたし予約するから!」と申し出てくれた。
あんでるせんは月初めに2ヶ月先の予約を取るシステム。9月に行きたいんだったら7月1日の朝8時に電話する。
その電話なのだが、毎月NTTから苦情がくるほど、回線がパンクする、とか。「1000回かけても繋がらなかった」「ようやく2000回で繋がった」という話はざら。

それから数ヶ月後、「取れたよ!」とコトネちゃんからの連絡を受けた。
つくづく、「自らとりにいくぜ」というコトネちゃんの攻めのエネルギーはすごく鮮やか。色にたとえるならスカーレットレッド。

と、ここまでがあんでるせんビフォアー。
で、あんでるせんアフターだが、ひとことでいうと「やばいが過ぎる」。
なんとか「やばい」を最大級にあらわしたつもり。
過去に、あんでるせんの感想を「やばいよ」とだけ、目をキラキラさせながら言った人の気持ちがいまならよーくわかる。当時は他になにか語彙はないのかと思ったけど、いまなら心底共感できる。
そして、これまでわたしが言い放ったどの「やばい」よりも果てしなくやばく、「やばい」を形成する「や」と「ば」と「い」の重みを今、改めて噛みしめている。

あきらかにタネありの手品もありつつ、どうあがいてもわたしの頭では理解できない現象もあり、てか、そっちがメイン。時空が自由自在な感じ。

四時間にわたるぶっ続けショー。概念ぶっ壊しショー。で、1000円ポッキリ。「金儲けに走ると能力がなくなる」らしい。

あんでるせんのマスターは、技をやりながら、ちょいちょい格言を飛ばす。
例えばマスターはこう言った。
「みなさんがここに来たのは宿命です。宿命とはおぎゃーと生まれたときから決まっていること。出来事はすべて宿命。そしておこったことをどう捉えるか、どう意識するかが運命。」

居合わせたお客さんがランダムに崩したルービックキューブを持たされたわたしは、「目をつむった」マスターの指示通りに「上の面を時計回りに一回転」、「次は右手前の面を向こう側に一回転」、「下の面を反時計回りに一回転」とキューブを延々回し続け、その日、うまれてはじめてルービックキューブ6面を揃えた。
もちろん、言われたままにカチャカチャやっただけであって、揃えちゃった!という達成感はまったくなし。
では、このことをどう捉えるか。
「そうだなーまずは自分で一面でもいいから揃えてみようかなー」って。

そんなふうに単純に思いながら、長崎をあとにした。

空港にとめていた車に乗り込むと、どういうわけかそこにルービックキューブがコロンと転がっていた。一瞬、「ついてきちゃった?!」と、ぎょっとしたが、「ああ、そういえば娘が車のなかでやってたんだっけ」と思い出した。
でもその因果こそが、運命の扉、オープン!

賽は投げられた。
レッツトライ、ルービックキューブ。笑








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