見出し画像

昨日と今日は別の自分

幸せなはずなのに、毎日の同じことの連続に飽きてしまう。


そんな違和感を長いこと抱えて生きていた。


仏教に触れるようになって、ここ最近その感覚が変わってきた。


「諸行無常」という言葉との出会いが大きかったと思う。

しょぎょうむじょう【諸行無常】
世のすべてのものは、移り変わり、また生まれては消滅する運命を繰り返し、永遠に変わらないものはないということ

つまり、同じに見えるものも、そう見えるだけで実際には変化しているということ。


自分も、あなたも、体の中の物質や、心の状態が一秒前のそれとは同じではない。


そう考え始めるようになってから、これまで何度も耳にしてきた“何事も当たり前じゃない”という言葉の意味が腑に落ちた。ふんわりとした理解から、ずっしりとした質量のある体感を伴った理解に変わった、そんな気がしたのだ。


そしてその言葉が最強だと感じるのは、無意識に感謝と希望を引き寄せる考え方である点においてだ。

意識的に、感謝しよう、希望を持とう、と思っても実際に心が伴わないときがある。


しかし、「諸行無常」の考え方を取り入れれば、幸せなときには“この状態は決して当たり前ではない”という感謝を呼ぶ言葉として機能し、そうでないときは“きっと状況は好転する”という希望として機能することに気がついた。


かと言って、一瞬一瞬意識し続けるわけにも行かないから、毎朝、「昨日とは別の新しい自分」として新鮮な気持ちで自分に出会うように意識している。


なんとも不思議な話だが、そうしていたら、毎日同じことをしていても、妙な新鮮さがある。繰り返しの毎日を、退屈とは決して思わなくなった。


私は、自分の捉え方が少し変わるだけで世界が変わって見えるような体験が大好きだ。無意識にそういう物をずっと探している気がする。


だからこの感覚出会ったときも大事な探しものが見つかったような感覚で、“これこれ”とニヤニヤしていたと思う。いや、実は今もしている(笑)。


人にとってすごい発見でも自分にとってはしっくりこないこともたくさんある。その逆も。

でも、こんな不安定な時代だからこそ、地球の何処かに、私と同とじように「諸行無常」がど真ん中にヒットする人も少なくないだろうと思う。

聞こえはいいけど、どこか虚しい感謝や希望じゃなくて、体感を伴って内側から満たされるような感謝や希望をいま、初体験している。


自分を変える、というよりは気がついたら新しい世界に足を踏み入れていた感じだ。


普段は飽きやすい私だが、「昨日と今日は別の自分」を意識し始めて早2ヶ月、今のところ飽きるどころか、日々その威力に驚いている。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?