実は奇跡の邂逅だったと思っている①
思えば不思議なことだ。
整理すればするほど不思議なことである。
猪瀬直樹が石原慎太郎について書く。
石原さんがこの世を去って1年が経った。
石原さんが亡くなったのは昨年の2月1日。
石原さんは自分の思想史において大きな幹となっている人物だ。
石原慎太郎とは。
文学者。
行政の長。
国会議員。
評論家。
私が石原さんのことを人物としてちゃんと捉えたのは大学生の時。
時は東京都知事選挙。
「石原裕次郎の兄」と自己紹介をしていた“すでに老人”。
そう、私が石原さんを知ったのは文学者でもなく、国会議員でもなく、東京都知事になろうとしている“昭和の大スターの兄”としてであったのだ。
後から振り返ると石原さんの長い人生にとって本当に末期だ。
知らぬが仏とはこのことなのか・・・私は家族の知名度で知事になろうとしている老人として石原さんに出会ったのだ。実は石原慎太郎こそがスーパースターだったのだと知るのはこの後のことである。
保守思想にかぶれていた学生の自分が石原さんの虜になるのはさほど難しいことではなかった。
とにかく石原さんの作品を読み漁った。
この年代で石原さんの作品をこれほどコレクションしている人間はいないだろうと今でも思っている。
なにしろ石原さんの作品・・・とりわけ文学者としての作品は書店にほぼ残っていない。デビュー作にして代表作である『太陽の季節』はおおよその本屋にはある。2000年代初頭に滝沢秀明主演でドラマ化された時は新装版も出版され、そのバージョンも持っている。
しかしながら石原さんのその他の作品は本屋にはほぼ残っていない。
要は評価されていないのである。
三島由紀夫や太宰治や川端康成などの大文学者の作品はどこの本屋にもそれなりに作品が並んでいる。教養っぽい話。
石原作品を現代人が読むことはなかなかに困難だ。
それは2000年代初頭にはすでにそうなっていて、私は古本屋に行けば石原作品を買いまくって収集していたのである。だからこそこれほど石原作品を読んでいる人間はいないと自負しているのである。
『わが人生の時の時』。
この作品は自分の読書人生の中でトップだと言い切れるほどの愛読書だ。
しかし写真を見てわかるようにこれも“復刊”されたもので、ほんの短期間だけ書店に復活したもの。もちろん今では手に入らないのだ。
まあそれはいい。
つまり私は石原慎太郎の作品を相当数読んでいるということなのだ。
一方、猪瀬直樹さんの作品もほぼ全部読んでいるだろうというほど漁りまくっている。
猪瀬さんとの出会いは社会人になっていたので2010年代。
東浩紀さんが責任編集していた『思想地図β』での鼎談を読んだ時。
東浩紀×猪瀬直樹×村上隆の鼎談。
今考えたらどれだけ豪華なんだというメンツ。
そう、この頃はネトウヨ的な保守思想からは離脱し、新たな思想に出会ったのがこの頃。学生時代の自分ならきっと読まなかったメンツ。
つまり石原慎太郎に心酔していたあの頃の自分と、新たな思想に出会ったあの頃の自分。
これは実は別人だと自分では思っている。
石原慎太郎的な思想と猪瀬直樹的な思想。
自分の読書遍歴からは出会うことがないはずのものなのだ。
それが現実世界ではあり得たのだ。
石原都知事に猪瀬副都知事。
こんな時代があった。
実は案外これって謎が多いと思っていたのだ。
保守のタカ派の代表格であった石原慎太郎。
どちかというとリベラルで改革派だった猪瀬直樹。
自分史ではこの組み合わせは奇跡的だったのである。
別々の思想的文脈だったものが東京都の行政で出会った。
今回の本はその文学的な回答に思えた。
猪瀬さんが書く石原さんの姿。
作品論であるのも秀逸であるし、石原慎太郎という人間の姿も垣間見れて他の石原論とは一銭を画している。
本書の最後に描かれている石原さんの人間としての姿は今それを知ることができて心が温かくしてくれている。猪瀬さんのこの文章が好きだ。
この本の凄さはそれだけにとどまらない。
今まで石原さんについて疑問に思ってきたことが実はあって、この本はその疑問を紐解いているのだ。もう叶わないだろうと思っていた“答え合わせ”がこの本にはあった。
それは次回に記そうと思う。
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