やる気のある先生にはなれなかった
僕は塾講師のバイトをしている。
大学2年生から始めて、長過ぎたモラトリアム期間もずっと続けて、そして司法試験浪人に成り果てた今もみっともなく続けている。
どれくらい長いかというと、教え子(中学生)が高校を卒業して大学に合格し、そして同じ塾で働く同僚になるくらいには長い。教え子の成長っぷりと自分の停滞具合に涙と震えが止まらない。
長く続けているのは、月並みだが子どもに勉強を教えるのが好きだからだ。子どものしかめっ面(あるいは泣きっ面)を少し晴れやかにできた時、他では得られない満足感を覚える。
しかし、間違えてはいけないのは、子どもが好きというわけではないということだ。だから、やる気のない、つまり勉強を教えられるような状態にない子どもが相手だと、途端にこちらもやる気がなくなってしまう。
そんな子にもやる気を出させようと志高くがんばっていた時期もあったが、割と早々に諦めてしまった。理由は色々あるが、一番大きいのは、自分もやる気のない子どもだったからだ。
さらに言えば、僕は今もやる気のない大人だ。
「僕はね やる気のない生徒にやる気を出させるほどやる気のある先生じゃないんだよ。」
『のだめカンタービレ』の谷岡先生の台詞だ。
僕はこの台詞が好きだ。谷岡先生は、やる気のない生徒にやる気を出させるのが先生の仕事だと分かっている。分かった上で、自分にはその仕事をするやる気がないと宣言している。そして、やる気のない生徒(のだめ)のことを一切悪く言っていない。
生徒に対する誠実さと潔いまでの開き直りが同居したこの台詞が好きだ。僕もずいぶん長いことやる気のない先生をしているが、やるからにはこれくらい正直でありたいものだ。
第一、仕事だからといって生徒の前でだけ立派な人間を装うのは良くない。図書館に勉強しに行ったのにラジオを楽しく聴いただけで帰ってきちゃうようなやつが、塾では「せっかく来たんだからがんばろうよ」なんて言うのは卑怯だ。
あっちは面と向かって正直に「やる気がありません」と言ってきているのだ。こちらも腹を割って「先生もです」と告白するのが筋だろう。
そんな体たらくなので、生徒からはずいぶん舐められてしまっている。
中3の子から唐突に「先生ってボスゴドラに似てますよね」と言われた時は、「先生もなみのり覚えるしね」と言うしかなかった。あの時の正解を今もまだ探し続けている。
中1の時担当していた子たちと夏期講習で半年ぶりに再会したら「誰ですか?」とシラを切られた。仕方なく初めましての体で授業をしていたら、夏期講習最終日に「思い出したわ、中1の時の先生や」と言ってチロルチョコをくれた。なんだかやたらと甘く感じた。
同僚になった教え子からは、「先生って授業中怒るんですか?」聞かれ、うるさかったりしたら全然怒るよと答えたら、「怒るイメージができないんですよね…」とまで言われてしまった。
自分で言うのもなんだが、ロクという人間は些細なことでモヤっとしてしまう面倒くさい性格をしていて、自分でも呆れるほどの数の地雷を踏み抜かないように、あるいは他人に踏まれないように気をつけて生きている。
そんな僕が、塾では人畜無害な生き物として認識され、時には舐められ、時には生徒にイジってもらえるのは、ひとえにやる気のなさのおかげかもしれない。
とか言って、自分のやる気のなさを正当化してみたりする。
夏期講習が終わり、中学生の夏休みが明ける。「夏休み残り1日しかないのに、日記が2日分残っている」と言っていたあの子は、無事に宿題を終えられただろうか。
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