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オシャレに批判的な人もいますが、オシャレな人がやっていることはDJと同じですよね?

2020/10/1

「オシャレな人がやってることって、結局はDJと同じですよね?」

なんつって、ネット界隈の有名人であるひろゆきという人が討論相手を論破するときみたいな口調になってしまったが、近頃音楽シーンではDJがリスペストを集めているのだから、ありものの服を組み合わせてコーデやスタイルを作ったりしてそれがカッコいい感じで表現できてる人も評価されていいじゃないか。というハナシ。

どういう理屈やねん。と心の中で関西人でもないのに関西弁でつっこんだアナタ。ご一読いただけますでしょうか。


オードリー若林の持つ、オリラジ藤森のオシャレに対する違和感

俺はレディオが好きで、特にオードリーという人の深夜番組を以前よく拝聴していたのだが、アルカイデ、、、じゃない。アルカイダみたいになってしまった。
ある回で、オードリーの若林という人が、よく飲みにいく友人ということでオリエンタルラジオという人たちの内の藤森慎吾という人の名前を挙げていた。


で、若林という人は藤森という人を指して、「コミュニケーション能力がイカツイ」、「飲みに言った先の店員や他の客とすぐに打ち解けて、時には俺が所在なくなるほど」というように彼を称賛。なおかつ彼の服装がいつも流行の最先端トレンドを反映した派手な身なりで、とてもオシャレである旨を報告していた。

しかし、例えば二人で飲みに行って熱くお笑い談義をしたエピソードの最後に、「藤森くんはすごいねえ。〇〇と言っていたよ。……人が作った服を着て(笑)」というオチをつけ、藤森という人の、どこか表面的で薄っぺらい感じをイジるのが定番だった。


俺はこのくだりが極めて好きで、考えすぎる嫌いがあっていちいち各種の行動を躊躇する若林が、いつも軽いノリで色んな人や場所に躊躇なく飛び込んでいける藤森を称揚しつつ、レディオでは藤森の言動の浅はかな点を詳らかにするという構図が、多くの人間が持つ“凡庸な人の、ブッとんだ人への羨望”のようなものへの共感を、笑いとして具現化させているように思えた。


藤森からすれば恥ずかしい点を指摘されているようなものであるが、当時としては画期的な“笑えるチャラさ”を武器としていた藤森からしても、自分のキャラクターの面白い部分を具体的に明示してくれるイジりであったためメリットがある。

自分に自信がないから「人が作った服」で武装する

上記のレディオでの話、当時は特に疑問を持たずにただ笑って聴いていたが、よくよく考えるとかなり辛辣な意見でもあり、なおかつファッション好きとしては少し気になる意見でもある。


つまり、熱いお笑い論を聴いた後、熱く語った人に対して感心しつつも「人が作った服を着て」いることが気になるというのは、
超悪い見方で意訳すると「ごちゃごちゃ偉そうなことを言ったりオシャレを気取ってるけど、その服あんたが作ったわけじゃないだろ」、「才能のあるデザイナーが作った服を着て、才能まで身につけたつもりか?」というような、かなり厳しい指摘が含まれているのではないかと感じるのだ。


この「人が作った服を着ているだけ」という考え方は、オシャレであろうとするファッション好きや、もっというとブランドを持とうと思ったことのある人間の、行動原理を揺すぶる意見ではないだろうか。

俺が他の記事でも散々書いていることだが、オシャレをしようとか、ファッションブランドを買おうとかいうことの最初の純粋な動機は、他の人との差別化だと思う。


NEW ERAの4000円のキャップは万人に愛されているが、それと似たような形で品質にもそれほど差はないが、値段が10倍ぐらいするBALENCIAGA や VETEMENTS のキャップを買う人がいるのは、「俺はわかってるぜ感」を出すことや、「他のダサいキャップと一緒にしてくれるなよ」と思えることが、少なからず買い手にとって心地いいというのが一つの理由だろう。


だが、機能性や見た目にそれほど差異はないのに、なぜ10倍も値段がするものを買うのか、と問われて誰もが納得する回答ができた人はファッション史上いまだ現れていない。


いくら、ファッションに金をかける側が「俺はわかってるぜ」感を出して「他と一緒にするな」と言っても、受け手に「あなたは自分に何も誇れることがないから、高い服を着ることですごい人のように見せたいのですね」と言われると、ちょっと俺は反論し難い。


まあそんなことを正面から言ってくる人がいたらその人は結構なサイコ野郎だと思うが。


DJをリスペクトするならオシャレな人も評価してください(されてるけどね)

ところで2010年代以降の日本の音楽シーンに目を向けてみると、各種クラブミュージックが市民権を獲得し、ヒップホップがリバイバルしたのが特徴的だった。

クラブ系フェスの ULTRA JAPAN は’14年に、 EDC は’17年に日本上陸。今や国内主要ロックフェスにも、海外の有名DJが目玉としてラインナップされる。

’10年以前はアンダーグラウンド扱いだったタイプのヒップホップ系アーティストの活躍も近年目覚ましい。

種類にもよるが、DJやヒップホップというのは、すでにある曲の一部や全部を切り取って、別の曲と貼り合わせたり繋げたり重ねたりして音楽を表現する手段だが、

これは、音楽か服かの違いなだけで、オシャレなファッショニスタも、やっていることはかなり近い。


一晩のパーティーやデートのために、カッコいい服や歴史のあるブランドなどを、自分のフィジカルやコンテクストに合わせたり、時には外したりして全身のコーディネートを構成していく作業は、
DJがオーディエンスに最高の一夜を過ごさせるためにプレイリストを検討する作業にも似たクリエイティビティが必要であるように思われてならない。


また、よく“古着を取り入れている人はオシャレ”みたいな言説があるが、ヒップホップでも、古いスタンダードナンバーをサンプリングして最新のトラップビートと上手にミックスした曲はカッコいい。

この音楽とファッションの共通性を踏まえれば、近年のDJやヒップホップアーティストに対する高評価のように、「人が作った服」をコーディネートするのが上手な人も、高く評価されてもおかしくないのではないか。


一時期、カニエ・ウエストやファレル・ウィリアムズといった、ステージにも立てるし裏方としても優れた才能を発揮するミュージシャンがファッションアイコンとして一種の信仰の対象となっていたのは、自ら楽曲を作り出せることに加え、すでにある曲を用いてトラックやプレイリストを作る“キュレーション”能力が高かったことも無関係ではないだろう。


また実際に、インスタやユーチューブといったメディアを通して、コーデ上手がインフルエンサーとしての活動するようになり、インフルエンサー出身者が海外ファッションウィークのランウェイを歩く例なども増えてきており、すでに一部では評価される流れがきてはいるようだ。

「人が作った服」で何が悪い

上述のレディオの話であるが、彼らはお笑い芸人という、身近に起こることの一部を切り取って極端に表現したり、抽象化して他の物事に当てはめることで笑いを作るプロフェッショナルである。なので、実際に若林という人物に人間が持つ性格の悪さの成分が多いのではなく、単にちょっとした心の違和感を放送用に商品化するのが上手なだけだと思う。

(※というか彼らを凡庸とか薄っぺらいとか説明してしまっているが、ゴリゴリの成功者同士のやり取りであることには留意されたい)


かつてオードリーのラジオには“「こいつやってんな」のコーナー”というコーナーが存在した。

それは、芸能人のテレビやSNSでの言動の内、さもナチュラルであると装っておいて実は自己プロデュースやある人を持ち上げるためにとったであろう行動をリスナーが見つけてきて「(演出を)やってんなあ!」と糾弾し、オードリーの二人がお茶を濁しつつ「やっている」かどうか判定するというコーナーだった。


例えば、テレビで大御所タレントが本番中にトイレに立ち、共演の芸人などが「この人アタマおかし過ぎますよー!」と殊更に強調して、大人物の感覚は凡人と違うということを説明することで持ち上げたり、ツイッターで「今朝寒いと思って仕事行ったら撮影中に雪が! “ってアレ?” 明後日の現場シンガポールぢゃん! 急いで水着買いに行かなきゃ!」と日常の呟きついでに海外で仕事するぐらい忙しいアピールしたりするモデルを指して「やってる」と指摘するのである。


はっきり言って性格の悪いコーナーだった。

しかし聴いている側としては、芸能人の“本当の意味で”恥ずかしい部分を暴露し、それをオードリーの二人が「“ってアレ?” ていうのは脳の反応であって、それを言葉にするならまだしもツイッター開いて文字にして打つのはそもそもおかしい」などと過剰な正論で批評したり、事務所の力関係などで攻めにくいタレントの「やってる」言動を、「いやこれはやってないでしょうw」、「純粋な人ですからw」と苦しみつつ擁護する様子が非常に面白かった。


が、このコーナーは、若林の心境の変化もあって終了。

人の悪意のない行動をあげつらってダサい部分をわざわざ指摘する方がダサいし、世界を悪くしていると考えたのだろうか。はたまた、海外で一人旅をするようになり、世界の人々の色んな考えに触れてもっと違う部分に目を向けるべきだと感じたのだろうか。

その辺りは彼の著書でそれらしき点について言及がある。

終了から数年、若林はラジオで、DJがやってみたくてターンテーブルを購入したと恥ずかしげに冗談交じりに報告していた。

人の行動へのうがった視点を捨て去って、自分も“やってみたい”と思ったことに積極的に飛び込んでみるようになった今なら、若林自ら「人が作った服着て何が悪い」と、オシャレする人を擁護する側に回ってくれるかもしれない。


彼は年齢的には40歳を過ぎていよいよ本格的におじさんに差しかかっているが、オシャレやファッションを楽しむ第一歩を踏み出した。

このロクでもなくやはりロクでもない世界の目を瞑ってはいけない部分を目を見開いて見た結果を記してゆきます。