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“一九八四年”読んでみた  希望はプロレの中に!       

こんにちは、エエメエです(^^)

「ジョージ・オーウェルの“一九八四年”が
今世界中でベストセラーになっているんです」
という一人の政治系インフルエンサーの言葉を
きっかけに、この本の中に入っていく覚悟を
決めた。

なんて、大げさに聞こえるかもしれない。

 この本は、3年ほど前の例のパンデミックの時
にも話題になり、書店でも目立つところに置かれ
ていたのを憶えている。

 その時手に取って中身をパラパラと見てみた
が、あまりにも字がぎっしりなのと 、
目に飛び込んでくる文字の恐ろしい雰囲気に怖気
づき、数十秒迷った挙句元の位置に戻して、
そそくさとその場を去った私だった。

 本は大好きだが、もっぱら人文系、自己啓発、
実用書の類を好んで読む。
小説にはあまり手を出さない。
 他の本はそうでもないのになぜか小説だけは、
不発だった時にものすごく時間を無駄にした
感覚が生まれてしまうのだ。

 なので私にとっては、特に大作の小説は、よ
ほど覚悟を決めないと入って行くことができ
ない。

 ということで“一九八四年”も、読み切れないと
不安なので、まずは朗読をイヤフォンで聴くとこ
ろから始めることにした。
 それなら他のことをやりながらで良いので、
時間返せとはならない。
面白くて物語に入って行けそうだったら本を買え
ばいい。

・・・数日後、私は“一九八四年”の世界にすっか
り魅了されていた。
勿論本も買った。

これは、素晴らしい!

 魅力が伝わるかどうかは自信が無いがここで
紹介しようと思う。

 ネタバレも含むので、これから本を読もうとし
ている人は気を付けて欲しいけど、全文読み進め
ていく中での情景や心理描写、構成、展開が凄す
ぎるので多少のネタバレで本が面白くなくなるも
のではない。

 そして実はこの本は巻末の“附録”と文庫本に
掲載されたトマス・ピンチョン氏による解説に
よって救われるということが分かり、読後の
モヤモヤ感が晴れたことも後半で記しておき
たい。


◎あらすじ<ネタバレあり>


舞台は一九八四年のオセアニアのロンドン。
(大戦争のあと世界の覇権地図が大幅に変わって
おり“オセアニア”にある“ロンドン”と言う奇妙
な設定)

 主人公のウィンストンは「真理省」 “記録局”
で働く党外局に属する中年男。

 この社会では、テレスクリーンと呼ばれるテレ
ビモニターがいたるところに設置されており、
そこから四六時中党の指導者ビッグ・ブラザーの
大きな顔の映像が流れている。
そしてそのモニターは双方向になっていて、こち
ら側の情報も全て筒抜けになっている。
常に一挙手一投足監視され、党の意に反すること
は何一つ許されない全体主義の国家。
町のあちこちにもビッグ・ブラザーの顔のポス
ターが貼られている。
 
「真理省」 “記録局”での仕事はもっぱら、党の都
合のいいように記録を改ざんすること。
 例えば「飛行機を発明したのは党の功績であ
る」といった明らかな嘘の歴史修正。
それに伴った齟齬さえも全て注意深く変更する
ため人々はそのことを信じこまされてしまう仕組
みになっている。
「真理省」とは、全くの嘘を真理かのように作り
変え、人々に信じ込ませるための省である。

 ちなみに他の「潤沢省」「平和省」「愛情省」
も、実際とは相反する二重思考でつけられた名前。

 そんな仕事を日々やっているウインストンだった
が、自分自身は真実への渇望を抑えることが出来な
くなり、危険なことと知りつつも、徐々に党に反す
る行動を起こしていく。
その手始めが日記を書くことだった。
(この世界では、内心の自由さえも許されていな
いため日記もNG)

 ある日、虚構局で働く27歳の美しいジュリア
からラブレターをもらい、二人は惹かれ合った。
党では自由恋愛はきつく禁止されていたが、
隠れて逢瀬を繰り返すようになっていった。

 並行してウィンストンの中では、党中枢にいる
雲の上の存在のオブライエンという男の存在が
大きくなっていく。
 彼からは政治的に完全に正統ではないという自
分と同じ匂いを嗅ぎとったからだ。
 機会を見てウィンストンはオブライエンと接触
した。
 そして彼が党の敵の勢力であるブラザー同盟の
一員であることを確認し、そちら側につくことを
心の底から愛するジュリアと共に表明した。

ところが...、
 敵側に所属しながらこの狂った世界をひっく
り返す目的で党の中枢に入り込んでいたと信じ
ていたオブライエンは、紛れもなく党のど真ん
中に君臨し、党への裏切りは絶対に許さない人
物だった。

 ウィンストンはジュリアと共に思想警察に捕
まり、別々の場所で“再教育”と言う名の激しい
拷問を受けることになる。
(2+2=5であると党が言えば、
それをそのまま受け入れる人間が正常であると
いう教育、あるいは治療。)

 そして最終的には2人とも、お互いのことを
裏切ってしまう。わが身を守るために。
2人の関係は完全に終わった。

 ウィンストンはほぼ全てを失ったが、それで
も尚幼い頃からいつも自分を監視し恐怖を与え
続けてきた指導者ビッグ・ブラザーに対しての
憎悪が消えたとは言えなかった。

 釈放されしばらく経ったある日の15時頃
ウィンストンは、ガラガラに空いているカフェの
隅の席にいつものように座った。
 頼んでもいないのにウエイターがやってき
て、空のグラスにまずいジンを注ぐ。
 ジンの力を借りて幼い頃に別れた母との幸
せな妄想にふけっていると、突然トランペット
の鋭い音が鳴り、テレスクリーンから興奮した
声でこの国と敵国の戦況が伝えらる。
 それは、敵に勝ったという勝利の報せだっ
た。
外の群衆から歓声があがる。
ウィンストンは頭の中で、飛ぶように駆け出し
群衆と共に歓声を上げていた。

 店の壁にかかるビッグ・ブラザーの肖像画
を見上げると、ジンの香りのする涙が流れ、
40年間彼に抱き続けてきた憎悪が愛情に変わ
っていった。
<終わり>

・・・何とも言えないラストシーンだった。
現代社会にも通ずる部分が多々あり、知らな
いうちに何らかのヒントを探していただけに、
救いのない最悪の結末に梯子を外された気持
ちになってしまった。
 でも、著者のジョージ・オーウェルは、75
年後の読者の心理さえ手に取るように分かって
いたかのように、すがりつくことのできる一筋
の希望の光を用意しておいてくれていた。
 取り急ぎ2つを取り上げて考察したい。

◎希望があるとするなら、それはプロール達の中にある


実は、物語の中でのこの国全体の人口比率は、
・党内局 人口の約2%
・党外局 人口の約13%
・プロール人口の約85%
となっている。

 このうち最も厳しい監視下にあるのは
党外局の13%の人達。
自由度もないし贅沢も出来ない。

 2%の上層部は、監視のテレスクリーンを自
ら切ることもでき、自由度が高く贅沢に暮らし
ている。

 一番多い労働者層のプロール達は、思考力が
育たないようにシステム化されているので、
そもそも監視する価値さえないと思われている。
自由度はある代わりに常に貧しい。

 主人公のウィンストンは13%の党外局に属
する。
 その彼が物語の中で、
「もし希望があるのなら、プロールたちの中に
あるに違いない」
と日記に記している。
「なぜならかれらの中にのみ、あのうようよと
溢れかえるほどの無視された大衆の中にのみ、
党を打倒するだけの力が生み出されるからだ。」

と。

 私達が生きる現代社会に引き付けて考えると、
人口の85%のプロールとは我々大衆に置き換
えられるだろう。
 日本的に言うと“名もなき草の根の人達”

 閉塞感のある昨今だが、
“陰極まりて陽に転ず”
陰が極まった時に草の根達の中から希望の光が
放たれる日が来ることを信じたい。

◎この物語の希望は附録の中にある

 あれほど真実を探求しようと燃えていた主人
公が、反逆の意志を見抜かれ拷問され、心の奥
で守りぬくはずだった一番大切なものさえも打
ち砕かれしまった。

 だとしても、もしかしたら最後に大どんでん
返しがあるのかもしれないと淡い期待を持って
いたが、見事に絶望的なラストに向き合わさ
れることになった。

 あの無慈悲で残酷な思想統制の世界は終わる
ことがないのか。

 私は読み終わった後しばらくの間モヤモヤ
感を引きずっていたが、アサヒさんという
Youtuberさんの解説動画を見つけて一気に復活
した。 笑

 それは「一九八四年」文庫版に掲載されて
いるトマス・ピンチョン氏の解説に書かれて
いることに注目すべきということ。

~以下、ピンチョン氏の解説より~
・・・しかし、奇妙なことに、それは本当の
終わではない。
ページをめくると、ある種の批評的エッセイと
思われる「ニュースピークの諸原理」が付加
されている。
・・・それは、第一文から一貫して過去形で
書かれているのだ。
まるで、この附録が一九八四年よりずっと後
の、ニュースピークが文字通り過去の遺物と
なった時代に書かれたものであり、また、この
匿名の著者はどうしたものか、今では表現の自
由が許されて、ニュースピークを基礎としてい
た時代の政治体制について自由に批評的、客観
的な議論をしているかのようである。
・・・標準英語に息づく昔ながらのヒューマニ
ズムの思考様式は消えることなく生き残り、最
終的には勝利したらしい
のだ。・・・

 物語のラストで主人公のウィンストンは
指導者ビッグ・ブラザーに挑んだ闘いに完全に
負けてしまった。
 しかし巻末の附録には「ニュースピーク」に
ついての匿名の批評記事がくっついている。
 そこには、党が統制を強化するために考え出
した、語彙を最小限にして人々に複雑なことを
考えさせないようにする「ニュースピーク」の
説明と、これを国民に浸透させる試みが過去に
あったが失敗に終わったと読める内容が書かれ
ている。
 附録として書いてあるので読み飛ばす人も
多いはずなのに、全て合わせて一九八四年の
物語となっているというのだ。
 意地悪というか、これぞ天才の発想というか…。

 文字としては書かれていないが、主人公の
完全なる降伏という悲しい結末の後の時代に、
おそらく85%の貧しいプロール達の中から湧き
上がった凄まじい力が、恐ろしく強固な全体主義
体制を崩壊に追いやったのだろうと想像する。
 ウィンストンが日記に書いた通りに。


アサヒさんの“1984”解説動画 ↓↓














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