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今、フィリピンでキチママと暮らしてます。(11)

家族

「だったら、もう別れる」

そんなことを言うのは、1ヶ月に数回あり、自分の思い通りにできなかったり、ほしいものが手に入らななかったりするとすぐそう切り返してくるのがキチママなので、もう慣れてしまった。


そういう風に言えば、娘と離れたくない私はキチママの言うことを聞かないといけなくなると、思っているからだ。

彼女はよく、「金さえあれば、子供に父親はいらない」と言う。

なぜなら、キチママには、父親がいなかったから。

父親がいない辛さを知っているから、それを娘にはしないと思っていたが、逆だった。

父親がいなかったから、父親がいなくても生きていけることを知っている。お金さえあれば。

キチママだけでなく、彼女の親戚はほとんど、父親がいない。だから、父親がいない家族が彼女にとっての普通なんだと思う。

キチママとは逆で、私の人生にとって両親はなくてはならない存在だった。

私の家は両親共働きで、祖母に育てられた。父は単身赴任で週末しか帰ってこなかったし、毎週月曜日の朝、母が運転する車で駅まで父を見送りに行っていたのを覚えている。

寂しいと思っていたのは事実だが、父がいない間は長男として留守を任されていると責任感を持つことができたし、父も休みの日は食事や映画、キャンプなど家族との時間を優先していたように記憶している。

ほとんど家にいない父も、私がやりたいと思ったことをいつも全力でサポートしてくれた。それは他の弟たちへも同じだった。子供達の成長が何よりも生き甲斐で、母への深い愛情は今なお続いている。

またいつもすぐ怒って、たまに手も出る母親だったが、どんなときも子供たちの健康や将来のことを案じてくれていた。

昔、小学生低学年のころ、自宅前で軽トラックにはねられたことがあった。

幸いドライバーが気づいて早くブレーキを踏んだことと、田舎の住宅街でスピードが出ていなかったこともあり、私はほとんど無傷だった。

しかし、いつも「道を渡るときは左右を確認してから渡る」という母の言いつけを破ったことを怒られると思い、ドライバーに「ナイショにして」とお願いしたのだが、責任を感じたドライバーはその夜、親に謝罪するために訪れた。

そのとき、父は単身赴任でいなかったが、母にバレたと思い、私は怒られると思って風呂場に隠れてビクビクしていた。

そしたら、母がきて

「おめさ何があったらどうする。母さん、生きでけね。でも、ほんと無事でいがった〜(あんたに何かあったら、母さんは生きていけないよ。でも本当に無事でよかった)」

と風呂場で泣かれたのを覚えている。

それに、私はアトピー持ちで小さい時から腕や足など体中をかいて眠れないということがよくあったがその度に母は「全部、おらのせいだ。ごめんな。」と泣いて謝られた。

そんな母が5年ほど前に癌で他界したとき、母が私のために貯金をしていた通帳を見せてもらった。私が産まれる一年前から少額を毎週のようにコツコツと積み立て、しかも最近までお金を貯めていてくれたようだった。私は弟と違って、しっかりしていないから心配だったようだ。

母は職場から帰る時に通るお地蔵さんの前に来ると、「今日一日、家族みんなが無事であったこと」にお礼を言っていると言っていた。母は、私が生まれてから、死ぬ間際まで私たちの身を案じてくれていた。

だから私にとっては父親がいて、母親がいることが普通の家族であり、両親には返しきれない、恩と感謝がある。だから、自分の子供達にそう思ってもらえるような父親になりたいと思っている。

しかし一方で実の両親に捨てられ、親戚や祖父母に怒鳴られ、叩かれて育った。貧乏でつらい子供時代だったようだ。だから自分の母に対して「早く死ねば良いのに」とか、「金さえあれば、子供に父親なんていらない」と思っているキチママとは理解し合えないのかもしれない。



でも昔、まだ娘がお腹の中にいる時、「お前と同じような経験を子供にさせたくない。そのためになら、俺は何だってやるから頑張ろうよ」とキチママに言ったことがある。そのときは、涙を浮かべながら「わかった」と言ってくれたが、キチママはもう覚えていないとだろう。


キチママが別れると言う度に思うのが、「別れたい」というのは手段に過ぎず、「何かをしてほしい、何かがほしい、でもしてくれないなら別れる」という目的がはっきりしていることが多い。

簡単に言い換えれば、「駄々をこねている」が一番相応しいかもしれない。

父親がいなかったから、何でも叶えてくれる、買ってくれる理想の父親像を私に求めているんじゃないかと思っている。

おもちゃがほしくて、地べたに座って手足をバタバタさせる子供のように、別れると言って言うことを聞かせようとしている。

だから毎回キチママが「じゃあ別れる」と言っても、「そうか、じゃあ、しょうがないよな」と言って何日も放っておくと何事もなかったかのように日常生活に戻っている。

キチママは子供といっしょだ。

子供のときから、キチママの時計は止まってしまっているのかもしない。

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