見出し画像

劇場祭ふりかえり②

参加者=綾門優季、額田大志、福井裕孝、山下恵実
    吉祥寺シアター制作(大川、吉田)

「使い倒す」というコンセプトについて

大川:前回のふりかえりに続いて、今回はアーティストのお三方と、キュレーターの綾門さんを交えて、改めて劇場祭についてお話いただければと思います。
綾門:まず、福井さんが振り返りの文章で言及されていた、ステイトメントによる「劇場を使い倒す」という表現の違和感について、広げていければと思います。
 他の劇場、フェスティバルでもそうだと思うんですが、今はシンプルに劇場で公演が出来ない、公演の中止が相次いでいて、通常営業ができない状態で、新しい作品の作りかたを劇場もアーティストも考えていかないといけない、という状況です。「使い倒す」という表現についてはステイトメントを書いた緊急事態宣言明けの6月の段階ではまだちょっとふわふわした文章だなと自分でも不安に思っていたのですが、読み返してみて、スタンスとしては今もあまりかわらないかな、というのが正直な感想です。福井さんの作品について実現できなかったことについてはキュレーターとして忸怩たるものがあるんですけれど……ただ、フェスティバル「これは演劇ではない」の企画の時もそうでしたが、フェスティバルには多くの人間が関わるので、全体でやりたいことと、各作家のやりたいことについては、それぞれでずれがあってもいいと個人的には思っています。

福井:綾門さんとやり取りをしている段階から感じていた違和感というか、自分の考えとは違うなという部分は、なんというかもうそういうものとして自分の内で処理してしまっていたので、それは素直に問いとして共有するべきだったと、今回反省として感じています。特にその「劇場を使い倒す」というのは、個々のクリエーション単位ではなく、まずはフェスティバルの大きな縦軸で考えられるべきだったと思っています。今改めて、このフェスティバルでやろうとしていた当初のイメージをもう少し具体的に聞きたいです。

綾門:昨年度、最初に吉祥寺シアターからをオファーを受けた段階では、通常に近い形の、舞台面を使っていくつかの団体が入れ替わり作品を上演するような、ショーケース公演を想定していました。四月の段階でもう作品を入れ替えながら上演ができない、という状況になって、通常の公演ができなくなったところで「からっぽの劇場祭」の方向になりました。
 コンセプトの設定については難しくて、まだこうあるべきだ、という解決ができないんですけど……四月以降、この企画に限らず、お客さんを客席に入れることが十全にできない状況でどう作品を作るか、ということは色々なところで試されていて、4月から6月の段階ではオンライン演劇が流行ったり、今はもう少し実際の場所をつかった作品が戻ってきたり、色々な取り組みのなかでまだ全体を精査して語れない状況なのではないか、と。

7.26小屋設営


2020年の記録として

綾門:山下さんの作品については、Twitterの投稿を集めるというコンセプトで、最初なかなか集まらなかったですが、こういうものは土壇場で伸びる場合も多く、最終的に100件近くの投稿が集まりました。結果的にかなり今の時代を反映したものになったと思っているんですけれど、山下さんにとってはどう想定していたか、実際にクリエーションしてみてどうだったのかお伺いしたいです。

山下:元々Twitterの投稿を集めようと思っていた段階で、方向性を一つに決めて、こういう回答を集めよう、という意識はそこまでしていたわけではないんですけど……どのテーマについても、今の(コロナの)状況下での気持ち、みたいなものは多分どこかしらで出てくるとは思っていたので、予想通りという部分もありました。「より良い未来」については集まる言葉は想像よりだいぶ暗かったんですが、本当に遠い未来の想像、みたいな投稿はあまりなくて、今の状況がどうにかマシになる、という意味での「良い未来」という使われ方が多かったです。これは少し想定外だったんですけど、面白い結果だったなと思っています。

綾門:確かに、空飛ぶ車に乗ってみたい、みたいな現実から離れた楽しい投稿はほぼ無かったですね。今の山下さんの指摘は結構重要だと思っていて、みんなやっぱり目の前だけ見てしまっているというか、道を歩いていても俯いていて10メートル先しか見えていない、みたいなところがあって。自分が転ばないように、目の前の石とかにはすごく気を付けるんだけど、何百メートル先の未来のことには注意できないというか。特にTwitterだと話題がふわっと出てきてはふわっと消えていく、という難しさはありますね。芸能人の自殺したニュースとか、政治とかもそうなんですけど、つい先週のトピックなんてどんどん忘れ去られてしまう。良い意味でも悪い意味でも瞬間的な記録として、100件集めてこういう感じになった、というのは、勿論主な集団の世代的なバイアスや地域性もあるんですけど、後世には結構重要な記録になるんじゃないかと思いました。

画像2

「開かれた場所を作る」こと

綾門:振り返りに書かれていた「開かれた場所を作る」ということについては僕も悔いが残っていて、これをオンラインって難しいよね、と切ってしまうと話が終わってしまうんですけど……山下さんの視点からもこのことについてお伺いできますでしょうか。

山下:そうですね......状況が状況だったので、オンラインでどうやって開かれた場を設計するのか、っていうのは私もまだなんとも言えないなと思っているところではあるのですが、それにしても結構クローズドなフェスティバルになってしまったという印象 はどうしてもありますね。参加 アーティストだけじゃなくて、作品の 観賞後 の観客との交流とか、意見 交換的なこととか、もう少し劇場の中で起こっていることが受け手側に届くような仕組みをみんなで考えらていたら、ということは感じています。会期中は、この状況下でフェスティバルをなんとかやりきるために、それぞれが何をするか、みたいな部分にどうしても集中してしまって、それ以外の全体の設計の部分をみんなで話したりする機会があればもう少しちがったやり方が見つかっていたかもしれません

綾門:ありがとうございます。これについては難しくて、今振り返っても開幕前に想定外の方向から様々なトラブルが毎日のように舞い込むフェスティバルもそうそうないぞ、っていうぐらいに当時の東京の状況は目まぐるしく変化していました。そこでかなり振り回された部分はあったにせよ……言い訳にはならないですね。目の前の事態に対して、何とか中止にしないように、という気持ちが先行して作品を届ける最適な形に頭が回らなかった部分はあると思います。悲しいことですが、第二波をくぐり抜けるだけで当時の自分のキャパは限界に近かったです。

山下:さっきの話とも少し重なるんですけど、結局この劇場祭が(コロナの)状況下をどうにか乗り切って開催していこう、という方向で個々の制作が進んでしまったと思うんですけど、その前に、劇場祭の当初の方向性として綾門さんがイメージしていたものとか、アーティストをキュレーションしたときのテーマみたいなものがもう少し伺えたら嬉しいです。

綾門:最初に「劇場を使い倒す」ということを考えたときに、三人それぞれに全く違う空間へのアプローチをしていただけるのではないかと考えていました。少なくとも作品の方向性は全く違ってくる3名の方だろうと。額田さんは音楽、山下さんは身体、福井さんは空間、という風に、すごく乱暴に切り分けてしまいましたが、それぞれの作品で多層的な空間となった劇場を、来場したお客さんが目撃する、ということを元々は想定していました。
 誤算としては、ここまでオンラインに振り切ることを企画切り直しの時点では想定していなかったことが一番大きかったです。オンラインとオフラインのコンテンツを同時に走らせる、ということは最初から考えてはいたのですが、作品の制作も、発信も含め、こらえきれない現実の流れもあり、想定よりオンライン寄りになってしまった。 
 観客とのコミュニケーションについては、緊急事態宣言明けで、ある程度お客さんを入れられた6月の想定を引きずってしまった部分があって、ラジオやシンポジウムをしたり、クロージングパーティーをしたり、色々とやれることはやってみましたけど、やはりオンラインのみだと不十分な感触もありました。額田さんが(コンサートの際に)YoutubeLiveでリアルタイムでコメントを入れていたようなことは良かったのですが、上演中や終演後の交流については今後も課題になるのかなと思います。

画像3


観客を待ち続けるために

綾門:額田さんの振り返りの「未来の観客を待ち続ける」ことについてもお話できればと思います。会期中も、振り返りの文章を読んでいても、僕と額田さんの最大の違いは、受け手の設定の部分で。実際に観客を動員するにあたってどうするか、という話し合いの時、人数は少なくても劇場に実際の観客を入れたい、と、と額田さんが一番強いこだわりを見せられていました。自分は東京都の第二波のピーク時に諦めようとしていましたが、額田さんの声に最終的には折れて、有観客にしたという経緯もあります。振り返りの文章では劇場について「人を待つ場所」というフレーズを使われていたのが印象的だったので、そのことをお伺いできれば。

額田:コロナの以前以降とはあまり関係ないのかもしれないですけど、最近改めて思ったことがあって、(映像と違って)劇場に実際に来ると、作品の全部を観ないといけないことがいいなと思ったんですよね。
それこそあいちトリエンナーレとか最近の作品とかでも、(ネット上で)一部が切り取られて炎上した、みたいなところがあったと思うんですね。でも、炎上のリスクのある過激な表現の作品でも、劇場で観ている分なら大丈夫なところがあって。劇場で二時間くらい上演作品を観るときって、その作品の文脈とか作家のやりたいことが、実際の劇場で観ることで伝わってくる部分がすごく大きいと思っていて。作品の一部だけを何となく見るのではなく、劇場という空間に拘束されて作品の全体を見る、ということができるのは今の時代である意味必要な要素かもしれないと思いました。
 待つこと、について言えば、今回難しかったのは、どういうお客さんを射程に捉えるか、ということでした。実際の劇場には限られた人数しかお客さんが呼べない中で、目の前にいない、今ここにいないお客さんに対してどうやって作品を届けるか、ということがポイントなると思っていて。
 作品としては、いまこの場にいない人だとか、もう少しあと、10年後とかにも作品を体験できるようなものがいいかなと思いました。コンセプトとなる「演奏」を、日常的な身振りだったりとか経験から持ってくることで、ウェブ上で公開した楽譜を見れば、似たような経験を持っている、みたいな。その時に作った公演の中身やパフォーマンスが、劇場にいるひと以外に向かって伝播していく、ということができないかなと思って作りました。そのことが観客を待つことにもつながるのではないかな、と思っています。

綾門:それについては自分も近いことを考えています。今後の上演作品について、必ず戯曲をネットで読めるように、公開して買えるようにしておこうと思っていて。戯曲を出すこともある意味「未来の観客を待つ」ことだと思うんですね。これまでは十分にできていたとは言い難かったんですけど、これまでなら戯曲って公演のあとにロビーで買えばいいもの、って気持ちがあったんですけど、最近はそうでもないので。今は自分の作品を届ける、ということを上演だけにこだわるとどうしても厳しい部分があるので、映像も戯曲も残す、そしてそれが公演が終わっても、未来の誰かのところに届いて、可能だったら何らかの形で上演されてほしいな、と。ちょっとしたことですけど、その方針で行きたいと個人的には考え始めています。

画像4

客席とこれからの動員

綾門:先日(9/11)客席を満員まで入れてもいい、ということになりましたよね。団体やアーティストにとっては経済的な活動として、観客を集められる、動員を増やすことができる、というのは勿論必要な話だと思うんですけど、ワクチンが普及したわけでもない今の状況で、観客を満員まで入れていいことになった、良かった、というのは率直に言って違和感があります。
 要はこの変化が可逆的か不可逆的か、ということですが、世間というか政治の上では、客席の制限が事実上撤廃された時点で、はやく客席を満員にして、コロナ前の状況に戻れるように頑張っていこうぜ、みたいに言われがちなのに違和感があって。自分は戻れないことを前提にやっぱり考えていきたい気持ちがあるし、今後の状況が分からない状況で、数年はこれまでのようには劇場に足を運べないだろうと思っています。劇場祭の時期よりお客さんを入れやすくなった今の状況を、額田さんがどう捉えているか、っていうことを伺ってみたいと思います。

額田:非常に難しい話ですが……戻る、戻らない、というのは観客の数で演劇業界が勝負する、みたいな話ですか?
綾門:2019年以前の状態に戻るか、どうかみたいな意味合いです。
額田:綾門さんとしては戻れない?戻らないほうがいい?
綾門:戻らないほうがいい、と考えていますね。

額田:そうですね……一つ言えるのは、少なくとも、お客さんが満員になることによって活動ができるようになる演劇のスタイルは沢山あると思うんですよね。我々のような、というと語弊があるんですけど、もともとお客さんの規模が小さい、500人位の我々のような人たちと、一万人とかの規模で戦って、仕事をしている人たちだったら、規模の大きい劇団のほうが、現状お客さんが入ることで生活が成り立つ、活動が続けられるようになる部分が大きいと思うので、それは歓迎すべきことだと思います。
 個人的には公演をやる以上は満員にできる方がいいと思っているので、選択肢が増えること自体はいいと思っていて。自分たちはここ半年くらい観客の居ない前提で作品を作ることにこだわってきたんだけど、必ずしも全ての演劇がオンラインに対応したり、新しい形態の作品を生み出す、ということだけに価値を見出す必要は無いと思うので。むしろ我々がこの半年で試してきたような作品と、以前からあるようなスタイルでの演劇が並走できることになったのは良いことでは無いかと思います。

綾門:多分、自分が額田さんほどポジティブに考えられないのは、いま行われている入場者数制限の緩和と、感染状況の動きや医療崩壊の話が全然関係なく、切断されて動いているように見えるからだと思いました。もっと分かりやすく、日本はコロナを抑え込みました、劇場が満席でも安全です、くらいコントロールされた状況だったらいいんですけど、現在の状況だと歓迎より不安の方が勝っているな、と今お話しながら思っています。

額田:とはいえ、劇場にお客さんを迎えることは重要だと思います。私たちのような活動の仕方は業界の中のマイノリティであって、多くの場合はお客さんを入れることで興業として成立している現場が多いでしょうし……

綾門:自分は今のやり方だと心配ですね……観客としてもだし、上演する方としても。これからの公演で、満員に入れられますよ、と言われても、自分では定員を減らして、空間をあけて上演すると思います。観客としても今、満員の劇場にいたくないと思うし。勿論なるべく満員まで入れたほうが経済的にも助かるんですけど、制限が解除されたからってすぐに気持ちは元の方に振り切れないですね。

額田:上演する側の話もだし、観る側の話でもありますよね。先日参加した公演だと、客席半分の状態で販売した公演を、制限解除後にもう半分を販売したということで、お客さんの側にも混乱というか戸惑った部分もあったみたいです。綾門さんの言うように、満員になることで足が遠のくというか、止まっちゃうお客さんはどうしてもいると思います。

綾門:経済優先か安全優先かの二択になる弊害、みたいなこともありますね。公演毎の判断がまちまちな中で、劇団や劇場、観客のそれぞれの立場の意見もパブリックな場でもっと聞いていく必要がある気がします。誰かが決めることではなく、全員で考えていくことだと思うので。

画像5

コロナ禍の劇場のために

大川:皆さんの話にもありましたが、劇場祭をやりきる、ということにいっぱいいっぱいになってしまった部分はありましたね。どうにか感染者を出さずに、中止にしないように、という判断基準が大きくなって、当初のキュレーションから随分違ったかたちになってしまった。観客を入れる/入れないの判断ももちろん大事なんですけど、検温とか消毒を準備して、そこから先、コンテンツを届ける、観客を迎え入れるための設計についてどうすれば良かったのか、ということについては劇場祭後もずっと悩んでいますね。

吉田:制作については、作品制作についての向き合い方と、劇場としてのコロナへの向き合い方のバランスを取ることが難しかったです。単純に個人的な能力不足だったり人手不足の部分も大きいんですけど……
 観客とのコミュニケーションについては、山下さんのハッシュタグや、福井さんの通行人に目撃される偶然性、といった「限定されたコミュニケーション」に可能性がある気がしています。フルサイズの作品鑑賞とは別のところで、来場者以外の方にも断片的な参加、断片的な体験を提供できる機会は多く準備しておきたい。映像アーカイブも今後活用していきたいですね。

大川:来なくなったお客さんをどう待つか、というのは難しいですね。自分の状況に置き換えても、観劇に行く頻度は明らかに減ってしまいました。それは仕事が忙しいから、というだけじゃなくて、これまで習慣的に劇場に足を運んでいたんですけれど、この半年のうちに行かないことに慣れてしまったところがあって。同じように足が遠のいてしまった人は吉祥寺に限らず沢山いると思うんですね。
 消毒とか検温とか、安全面についてはやっていけば知見が得られて少しづつでも改善できるんですけど、ここから新しい観客像を設定して、額田さんの言葉をお借りすると「待ち続ける」体制をアップデートしていく、というのは結構難しいことでもありますね。本当は綾門さんの言うように対話、コミュニケーションの機会とかを作ればいいんですけど。アーティストと観客と劇場って、結構バランスがいいようでその綱引きは難しいだろうなと思っていて、どうすればコミュニケーションをとってどう活かしていくのか、実感として難しさを感じています。

綾門:ご来場いただけなくなってしまったお客さまに絡めて言うと、改めて武蔵野市の近隣のお客さまに向き合う必要がある気がしますね。個人的にも、電車やバスへの警戒心があり、リスクを考えるとあまり埼玉や横浜の公演まで遠出しなくなってしまって、結果的に観劇する先が(在住の)吉祥寺や三鷹、あと井之頭線沿線、みたいに偏ってしまったんですよね。ポジティブな見方をすれば今後、地元だから観に行く、って層が増える可能性があるんじゃないかと思います。

大川:地元の観客層の開拓、ということについては劇場祭前から取り組んでいるんですけど、オンラインも含めてアプローチの仕方は色々考えていかないといけないと思っています。吉祥寺に限らず、どこの劇場も、地元のお客さんが増やせれば、ということは考えていると思うんですけど、最終的には地域を越えて、演劇やダンスに日常的に観劇に行く層の増加に繋がると思うんですね。近隣に、まだ劇場に来ていない人たちが沢山いる、ということは、劇場に限らずアーティストさんにとっても、共通する課題でもあり、希望でもあると思います。

福井: 普段自分の公演をやるときに劇場に観に来てくださる方々もそうですが、その周縁にいる人たちの目に触れるためにはどうするかということをよく考えています。でもお客さんを 待ち続けるということを言えば、新しい人もそうですけど、今こうして足を運んでくださるお客さんに向けて、まずはこつこつやっていくしかないとも思っているので。だからこういう状況下でも、劇場という場所が集まりを生む中心として街の中にあることは、作り 手としてはやっぱり心強いし、今後もこういったトライアルのような場が持続して ほしいと思います。同じことをやる必要はないかもしれないけど、個人的には今回の経験を次に活かしていきたいし、劇場にも引き継がれていってほしいと思います。

吉田:余談ですが、最近、公演の動員は減っているんですけどシアターカフェの売り上げは増えていて。コロナでテイクアウトが増えたことで、地域の認知度があがってきたんですよね。この人たちを劇場にも来てもらえるようになれたらと思っています。

大川:オンラインであれ、オフラインであれ、とにかく劇場に一歩足を踏み入れてくれるか、サイトをクリックしてくれるか、ということがすごい大きいので……劇場は本来ブラックボックスというか、中で何をやっているか見えない印象の方が大きいと思うので、そのあたりの広げ方をアーティストさんと組んで試行していきたいですね。

額田:今回、色々な意見があった中で、キャリアが固まってきた30代以降だとこういうことは出来ないから、と少し上の世代の演劇人からすごく励まされたことがあって。上手くいかないことも今後沢山あると思うんですけど、そういう部分も含めて今回劇場主催で出来たというのはすごくよかったと思います。
 今回、大変な状況ではあったけれども、ある意味すごく贅沢な環境で好き放題やらせていただいて、ありがたい機会だったなということもとても感じているので、今後も劇場側からこういうきっかけを作っていただけたらアーティストとしては心強いなと思います。何目線かちょっとわかんないんですけど。

山下: 私も、コ ロナという大変な状況な中で、実験的なことをたくさん試すことができたのはとても貴重な機会 だったと感じています。今後もこういう機会 を作っていただけたらありがたいなと私も思います。
客席の制限が緩和されたとはいえ、公演が終わったら整列退場ですぐ劇場から出なきゃいけない、みたいな状況はまだ暫くは続いていくと思うので、その中で、以前のようにはいかなくても、観客とアーティストの対話だったり、コミュニケーションだったりが生まれる場の設計について、今後も考えていけたらいいなと感じています。

大川:対話の場、というのは現在の安全面を考えるとどうしても疎かになってしまうんですけれども、今の整列退場の寂しい様子を観ていると、演出家や出演者に限らず、お客さん同士の間でも、終演後に話すという文化がとても大事だったな、という風に改めて感じています。引き続き考えていかなければならない問題ですので、何かいいアイデアや事例があったらまたお教えください。本日はありがとうございました。

(9/30 綾門・福井・額田・山下・吉田・大川の5名で収録)

ふりかえり①はこちらから。



いただいたサポートは会期中、劇場内に設置された賽銭箱に奉納されます。