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眠らん体と眠りたい私

寝つきがとにかくわるい

すんなり眠れるのはお酒を飲んで帰ってきた日くらいで、大体はベッドに入ってからモゾモゾもぞもぞと、「眠れないなあ」と思い続ける。

「眠る」って行為は、どうしてこんなにも思い通りにならないんだろうと思う。手足を動かす感覚で、眠れるようになれたら……。

(私だけかもしれないが)「眠る」と動詞でとらえると忘れがちだけれど、眠りってそもそも生理現象で。食事を前に「さあ、お腹へらすぞお」と思っても急にお腹がへってはくれないのと同じで、「眠るぞお」と思ってもすぐには眠れない。生理現象となれば好きにやらせるしかないので、結局は自然と眠りに落ちるのを待つしかない。うまく眠れるよう、なるべくじっとしてあげながら。

先日、眠れない布団の中で、私は
私の体は、どこまで自分のものなのだろうと考えたりしていた。
眠りたい私に抗い、眠らない体
私は私の体が眠ってくれるのをひたすら待つ……。

お腹がへっても仕事のキリが悪いと(或いはめんどうくさかったりすると)昼食をどんどん後ろ倒しにしてしまう。体が空腹をうったえても、すぐには応じず、しばらく無視して、余裕ができてから食事をとる。

体と意識は時に反発しあっていて、私は体に振り回されたり、体は私に振り回されたりしているなということに気がつく(生理なんかは、その最たるもの…)。

遠回りした結果、「体って思うようにいかないよね」というシンプルな話になってしまったけど、にわかにそういう感覚が強まったのです。というのも『ぼけと利他』にきっと影響をうけている。まだ読みとちゅうだけど、「抗い」と「待つ」というのはそのキーワードであるよね(よね?)。
この2つは、セルフケアにもつながることなのかなと、ちょっぴり思う(自分を体と意識に分けて考えると、意識のほうを「私」と呼んでいるのでちょっとややこしいけど、体と意識、どちらも含んで「セルフケア」とします)。
体と意識は、互いをケアし合っているのではないか?
抗う私の体に、私は付き合うことがある。私の体は私を待ってくれることがある。

考察としては草稿段階だけど、そういう、体と意識の関係、みたいなものを考えました、最近。

追伸
誰かに伝えるべきと思ったこと、私はすぐに忘れてしまったり、覚えていても「タイミングが…」と叶わなかったりする。メモをとってそれを実行すること、お兄ちゃんのその努力は何よりもクールだな、と思いました(クールは、最上級の言葉です)。焼肉やっぱりよかったね。今度はしょうちゃんか、或いは!

わかば

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