よしよし

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身寄りがいないということ

公的機関の福祉事務所で働いて5年目。 身寄りがない高齢者とそれなりに出会ってきた。 「身寄りがない」は「親族はいるけれど、関係不良で交流が長期間ない人」も含まれる。その方たちは正直、公的制度に引っかかっていれば、なんとかなる、部分が多い。 けれど、「親なしきょうだいなし子なし、生涯孤独」の方たちは公的制度に引っかからないこともある。穴がいっぱいある🕳。 現行の法律上は、どうしても親族に頼りっきりで親族にしかできないことがたくさんある。 だからこそ、事実婚だったり、おひとり

    • 「つづける」ということ。

      最近、仕事に追われてとにかく余裕がない日々を送っている。 認めたくないけど、現実そんな毎日。 それをやりがいに溢れて素晴らしい!、と捉えるか、いや、プライベートを犠牲にするほど仕事をするのは如何なものか、と捉えるかは自分次第なのである。 家に帰ると無意識に愚痴を言っている。愚痴しか言えなくなっている。 そう、私のキャパシティはもう限界に近づいている。 もっと余裕をもって仕事をしたい。残業ありきで仕事をするのは何一ついいことがない。 ただ、焦るだけ。仕事が溜まるだけ。 よ

      • 「私たち親友だよね」という呪縛

        小学校中学年くらいのときに、 「心友」や「真友」といったような 「親友」を言い換えた言葉が流行っていた。 当時の私はその言葉たちに苦手意識をもっていた。 「親友」と「友だち」の違いはなんなのか。 「親友」=親しい友だち? その基準は? 「私たち親友だよね」と言われると、安心するが、圧迫されているような気持ちになった。 他の子に言ってるのに自分に言われないと、“親友”落第生になった気がした。 というのを最近になって、小学校からの友だちに「親友」と言われて思い出

        • 自分が尊敬できる人と知り会えるとすごくすごく幸せな気分になる。 ひとつひとつの出会いを大切にして生きていきたいなあ、って最近しみじみ感じる。 どっか遠慮する部分があるともうその人との距離は縮まらなくなっちゃうし、極力近づきたい一心なんだけど、その加減がとても難しい。

        身寄りがいないということ

        • 「つづける」ということ。

        • 「私たち親友だよね」という呪縛

        • 自分が尊敬できる人と知り会えるとすごくすごく幸せな気分になる。 ひとつひとつの出会いを大切にして生きていきたいなあ、って最近しみじみ感じる。 どっか遠慮する部分があるともうその人との距離は縮まらなくなっちゃうし、極力近づきたい一心なんだけど、その加減がとても難しい。