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精神科の入院は怖くない。気づきはある。守られた場所だから。

2回、同じ人と離婚したが、夫に同伴し、転勤族だった29歳の時に統合失調症を初めて発症した。

夜中はカエルがゲコゲコ鳴いて、スーパーが早く閉まる真っ暗の田んぼの真ん中に引っ越したこともあったし、駅ビルや飲食店が立ち並ぶ都会に引っ越したこともあった。

環境の変化と、元々自分の中にあった過敏な部分が、折り重なってしまったのだろう。最初、身体の不調を感じながらも病識(病気だと自覚する認識)が無かった私は、地元に一旦帰り、駅で体調をくずし家族に連れられそのまま保護入院になった。

精神病棟というと柵のある閉鎖病棟のようなものを思い浮かべるが、そこは真っ白な個室と食堂のように開かれた共同スペースのある病院だった。室内はリニューアルされたばかりで清潔に保たれていた。

入院は、3ヶ月が平均的なワンクールだと主治医に言われた。ドラマの撮影じゃないんだからと思いながら、自分には長すぎるので必ず期間を縮めて外に出よう、と決めた。

ADHDでまっさらに素直な17歳の女子高生のひかりちゃん(仮名)と、初めてどうやって喋ったのかは、あまり覚えていない。素直で、むき出しでスポンジみたいに何でも吸収する女の子だった。

私も入院当初は頭の中に文章が流れたり、音楽が流れたり混乱していた。薬を飲み、次第に私は落ち着きを取り戻し、周囲と関わってみることにした。彼女と二人で話すようになってしばらくして実はたまに親父にボコボコに殴られる、と打ち明けられた。

学校の先生も知らない、時々面会に来る母親さえ知らない、保健室の先生に相談したこともない。私に初めて話した、と。

まずカウンセリングをするのは精神科医や看護師やカウンセラーの仕事。私は、それを理解した上で話を聞いた。

殴られるのは、ひかりちゃんが悪いからではない。あなたが駄目なのではなくそれは父の抱える問題。私のせいでと考えずに、切り離す必要性があった。

起こっていることをまず近い人に話して、抱えている問題に第三者に入ってもらうほうがいいと伝えた。狭い家族関係の中で、彼女は自分の感情や病気の特性に混乱していた。

なぜこの子が時折パニックを起こして学校で暴れるのか、何も知らず頭を抱える担任の先生に話す。担任に話しづらいなら保健室の先生に。そして殴られた時点で警察や児童相談所に。大人を、巻き込む。

なにより一番、彼女が話さなければいけない相手は母親だった。自分の旦那が知らないところで隠れて娘を殴っている、その事実に母親は気づいていなかった。

話せば状況は変わる。 逃げるという選択肢を知らずに暴れてしまう彼女には、児童相談所以外には祖母の家に避難するという選択肢があった。

彼女は祖母の家には一部屋、がらんとして空いている部屋がある、そこに私逃げていいのかなと呟いた。この子が全てを話して来るなという祖母であって欲しくなかったし、この状況を目の当たりにすれば周りの大人が段階を踏んで動くしかない。

お父さん時々優しいんよねとその子は言った。 髪を引っ張り殴る、でもたまに旅行に連れてってくれる。彼女が暴れる、また殴る、でも優しい言葉をかける。優しさと暴力の間で彼女は混乱し、揺れていた。DVの典型的な例だ。

ひかりちゃんは間もなくして母親に事情を話し、担当看護師に話し、隠していた父親のことを公にした。

友達に文化祭に誘われてるけど行くかどうか迷っていると言う。友達は何て言ってるか聞くと、ひかり、おいでよと。そう言ってくれるんだったら必ず行った方がいい、高校3年の文化祭はたった1回しかない。

私は中学の途中から不登校でフリースクールへ行ったことを思い出した。学校では皆で劇をしたようで、その時の写真だけを見てその写真はすぐに捨てた。参加した方がいい、体調くずしたら戻っておいでと皆で伝え、彼女は制服のまま文化祭に参加し、楽しかったと無事に病院に帰ってきた。

彼女から入院している最中に手渡しで手紙を何度ももらった。本の感想、入院生活のことなどが綴られていた。

Coccoというアーティストがいる。彼女のインタビューや歌詞が載っているとても大切な本を貸すと、感想の手紙が返ってきた。私は一瞬迷ったが一番お気に入りのページを1ページだけ破り、彼女にその本を渡した。

学習障害が少しあったのか、ADHDの特性か、彼女の手紙には誤字が多かった。私は持ち込んでいた電子手帳で一つ一つ漢字を直し、国語のテストの時も手紙を書く時も1回文章をゆっくり読み直して人に渡すことを伝えた。彼女はいつもまっさらで、衝動性があった。

私は1ヶ月ほど薬を飲み、主治医に外出許可を求めた。逃げる人や体調をくずす人がいるからだろう。コンビニへ行く時は必ず一人が後ろに付いてきた。私はこれがかなり煩わしく、主治医に一人でさっさと出かけられるように交渉して、しばらくしてそれは許可が下りた。

CD屋がしばらく歩いた場所にあり、私はRADWIMPSや安室ちゃんの最新アルバムなどいくつかを手に入れ、部屋に持ち込んだプレーヤーでまたいろんな音楽と出会った。病棟はスマホの持ち込みが出来ず、サブスクは使えなかった。

今まですべての音楽遍歴や映画や出会った人たちが走馬灯のように出てきた。あとからあとからこぼれてくるので、拾うしかなかった。時間はあったので元々好きだった短歌やネーミングも作った。

人はいろんなことを忘れていくことで自分の身を守る。一度体験したことや覚えたことは恐れの中でミルフィーユのように確実に折り重なって蓄積し、その人を作り上げていくのだろう。

常に変化しているので、この前と言うことが違うなどと人は言ったりするが、その人の中では見えてる景色が変わったり、視点が増えて変わっているだけなのだと思う。

私はひかりちゃんに基本は禁止されている服や、コンビニのお菓子をこっそり差し入れした。彼女は純粋すぎて私が大浴場に入ってる時に一緒に入ってくることがあり、それはさすがに困った。

彼女は私よりも早く、カルピスのCMのような爽やかさで危うさを残しながらも退院していった。

私はこの病院を出たいという思いから、プログラムを味わい尽くそうと早い段階で頭を切り替えていた。

陶芸は思いのほか楽しく、土をまとわせ小さな皿を無心で作った。陶芸にハマり、通い続ける人の気持ちは理解出来た。

お花は、生け方はこうよと講師の先生がどんどん私の生け花に手を入れたあとに『はい!これがしいまさんの作品ね』と言ったので、とっさに『いや、これは先生の作品で私のじゃないです』と言ってしまい、シーンとしたのが気まずくて、ちょっと用事がなどと言いながらその場からそそくさ離れた。

今ならわかる。お花の先生は私のつたない花の生けかたに手直しをしてくれただけなのだ。生け花、フラワーアレンジメントは、また機会があれば気持ち新たにやってみたい。

太極拳は前に立っている先生の真似をすればいいだけなのでラクだし、動きがゆったりしていて身体がスッキリしたの必ず参加していた。

グループセッションもあった。1人が今抱えている問題を話し、それについてどう思うか、どう解決するかをみんなで言い合ったりした。

私が好きだったのは、あなたが一番好きな番組はなんですか、その理由は?
あなたの趣味は何ですか?という単純な質問に
一人一人が答えていく時間だった。

基本 、病んでいる人が集まっているので無いですねと答えて話が終わってしまう人や、ネガティブモードで終わる人など様々だった。私は必ず答えて、短いエピソードを話すのが毎日の気晴らしになっていた。

髪に触れられるのが怖いと髪を伸ばしたままの40代の女性に出会ったのも、この病棟だ。彼女には人の漫画作品を自分の作品として捉えてしまう盗癖があった。例えるならば海賊が冒険をして人と出会ってというワンピースのストーリーを自分の作品とごっちゃにしてしまう。

同時に彼女は、猫のような猫人間という私の知る限りではオリジナルの作品を書いていた。私は彼女と対話する時、なるべく彼女のオリジナル作品を褒めて、それまた見せてくださいと伝え続けた。

すでにある作品を持ってきた場合は、いやそれ似てるやつありますね、すでにもうこの世に出てますとはっきり伝えた。次第に彼女は私に見せてくるのはオリジナル作品の頻度が確実に高くなった。

髪を切れない彼女と一緒にファッション雑誌をいろいろ眺め、どの格好が好きですか?どんな髪型が好き?と質問を重ねた。

人に触れられるのが怖いという彼女は髪を長くしたまま目元が隠れている。これを絶対カットまで持っていきたい、私の中で一つ目標が生まれていた。

2ヶ月ほどヘアカタログを眺めたある日、しいまさん私、切ったわとその人がショートカットで現れた。この人がひとつ壁を打ち破った瞬間だった。彼女からは私が退院の時に短い手紙をもらった。私は最後にハーブティーを渡したが、ハーブティーは苦手なの、でもあなたに出会えてよかったと言ってくれた。

双極性障害の研究職の彼は、病気が原因で婚約破棄に追い込まれていた。私は顔の一部にそばかすがあるが、化粧品開発の彼にはすっぴんで、これさーどうしたらいいかねなどと、あけっぴろげに話すことが出来た。彼は化粧品の成分や、そばかすの特性などを淡々と説明した。

彼と退院してから一度だけ会ったことがある。仕事に復帰して、残業もこなし、仕事がノリに乗ってきて楽しいと彼は言った。しかしそれは客観的に聞いてどう見てもオーバーワークで彼が少しハイになってるのが気がかりだった。

精神科の病棟に普通の病院と同じように、意見箱 が設置されている。私は気づいたことを一つ一つ メモして小さな箱に入れた。

男性の下着と女性の下着が同じ洗濯場に干されている。女性の下着を干す区画をカーテンで仕切った方がいい。これは次の日すぐにパーテーションが作られた。言ってみるものだ。

本屋にこのようなコミック雑誌があるのをご存知だろうか。
ご近所トラブル、戦慄のお隣さん
憎き嫁姑の日々、許せない女

本屋で働いた時にこのような本を並べながら、どこの誰がお金を払ってわざわざこんなものを読むのかと私は思っていたが、患者が持ち込む自由な共用本棚にそれは並んでいた。

私はそれを発見した2秒後ぐらいに全てゴミ箱に捨てた。小さなゴミ箱はパンパンになった。
看護師さんがちょっと勝手に捨てるのはどうか、とたしなめてきたが、こういうの読んで病棟に置けばまた誰かが読む。その連鎖で入院が長引くんですよと私は言い、看護師さんは捨てることを許した。

本棚には約60冊くらいの雑誌があり、私は普段は手を出さない雑誌も含め、片っ端から読んだ。ふんわり森ガール、コンサバOL、節約主婦、男の時計、オシャレおじさん、グルメ、美しく歳を重ねる、などなど。その中で見つけたある雑誌が海外モデルを起用したツボに入るものだった。

触れたことのないメディア、場所に少し手を伸ばして触れてみる。そこには新しい出会いがいくらでもある。

新聞も毎日、共同スペースに置いてあるので朝6時に読んだ。病気によって異なるが、私の場合は朝は起きられた。眠るほうが難しかった。

世の中から隔離されているような病院でも、どんな状況だとしても、私たちの生活は日々世間を揺るがすニュースやTVのメディアと連動している。誰もが生きる歯車のひとつだと思うと不思議な感じがした。

感情を怒りで表す女性がいた。その人がスリッパを左右逆に履いていたので、逆ですよと声をかけた。彼女は指図すんなと言い、ツカツカと私に歩み寄ってきた。

あ、この人に殴られるかもと思ったが、ギリギリできびすを返し、彼女は離れた。その人はいきなり声を上げることもあるので、看護師さんたちが閉鎖病棟に移すことを検討していた。

いつもふにゃふにゃした顔でニコニコしている70くらいのおじさんがいた。おじさんというよりも、おじいさんだ。その人にはいわゆる健常者の兄がいたが、来るたびに『こいつ、バカだから。ヘラヘラしてさ』と言っていた。
その見舞いに来た兄がひかりちゃんのスケッチブックをサッと奪い、絵っていうのはこうやって描くんよ、と彼女の絵の上からペンを入れ始めた。

動揺し、私たちは時が止まったがそれ彼女のものなのでと私はその男からスケッチブックを取り返し、彼女は重ね描きされた絵を呆然と眺めた。

健常者と障害者の境界線はいつも曖昧で、その線引きはある日突然、自分の身に降りかかったりする。事故やケガで本人の認識も追いつかないまま身体障害になることもあるし、精神をこじらせれば、いつもの自分の感覚がブレたり、出来ていたことが出来なくなったりもする。心も身体も結局いつも嘘がつけない。

離婚の手続き中であることを知った別の女性は、離婚に関する注意事項や親権に関することを一覧にして渡してくれた。その人は経験者だった。この人とも、のちに手続きを進めていく中で何度か手紙のやり取りをした。

家から持ち込んだレターセットと切手で家族や友人、推し、知り合い何人かに手紙を書いた。自分を振り返り、相手を思うにはなにもない質素な白い病室はちょうど良かった。

20代と30代、間をあけて2度入院した。病院は怖いものではなく、自由が限られている窮屈さはあるが静かに守られた場所だった。

不安定な人や、病気の人が休憩する場所なので別に他人と深く関わらずに退院のステップに移る人もたくさんいる。でも、もし入院した時は警戒しすぎずに少し周りと話してみたり、習い事のようなプログラムを体験してみるのがいいと思う。

閉じ込められているのではなく、清潔な場所でしっかりご飯を食べ、眠り、本来の心の機敏を思い出し変わっていく場所なのだから。

元に戻る、治すことを目指すのでなく、病気と
どう付き合っていくかバランスを探るゲームだ。

出来ていたことが出来なくなっても、間に支援に入ってもらい配慮をもらいながら働くことも出来るし、相手が健常者でも病気でも、なにかしら、おかしなところはお互いにあることに気づく。病名がついているか、ついていないか。

普通など、この世には無い。

ものの見方はそれぞれ違う、そもそも他人と比べる意味がない、それを念頭に入れると人間関係が少しラクになれる話はまた別のnoteに書こうと思う。

読んでくれてありがとうございます。
ではまた。







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