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つくって生きたいー自分の舟をこぐー

はじめまして。木舟舎です。新潟を拠点に、山とまちや生活と表現をつなぐような編集活動・出版活動がしたいなあ……と2023年夏に1人で立ち上げた活動です。
 
新潟に来て7~8年になり、大学を卒業してすぐ小さな会社に飛び込み、「なんでまた新潟に」と言われながら県内を飛び回っていた私も30歳になりました。
地域と若者をつなぐ企画のコーディネーターとして行政の委託事業などを行う傍ら、zineをつくったり、本のイベントをしたり、田んぼを借りてお米を作ったり……興味があることは「やってみたい」とそのチャンスがやってくるとすぐに手を伸ばしていた私が、「新しく本をつくる屋号を立ち上げるんだ」と言ってもまわりはあまり驚かず・・・。(また何かやるのね、という感じ)
でもこれは、私にとっては大きな一歩なのです。

「人生は山登り型に進む人と川下り型で進む人がいるんだよ。」
かつて大学卒業後の進路について悩んでいた私に、風の強い新潟の浜辺を歩きながら教えてくれた人がいました。たしかにその人も、ゴールに旗を立ててがっと登っていくようなタイプではなく、川を流れ下りながら分かれ道にぶつかったら自分に合う方を選んできたようなタイプでした。そしてその生き方がやわらかで柔軟で、居心地がよさそうに見えた私は「私もきっとこっちのタイプだろう」そう思って、目の前に伸びてきた手をつかみ、新潟の地域で働く舟にひょいっと乗ったのです。
 
私にとっての川下り型は、誰かが漕いでいる楽しそうな舟に乗ることでした。もしくは、材料が集まってきたから流れてきた誰かと一緒に舟を作ってみることでした。
自分の意思や1人の力ではどうにもならない、時代や環境の「流れ」みたいなものがあって、どんな人生もある程度はそれに乗っかって進んでいる。そこにあるものを活かして、なんとか自分の人生をつくっていくしかない。たぶんそれはある意味本当で、私はにこにことご機嫌に「流れ」に乗って人生という川をくだっていました。

でもある時、いくつかのしんどい出来事があってふと足が止まったとき、「わたしには何もない」という気持ちに襲われたのです。
そのときに思ったのです。いつまでも人の舟に乗ったり応援しているだけではいけない、と。
自分の舟をこがなくてはならない、と。
流れ自体には逆らわないけれど、自分の考えで選んだオールで、自分で選んだ形の舟に乗って人生を進まないと、いつか誰かや自分を恨むことになるかもしれない。少しの意識の違いなのかもしれないけれど、私には大きな発見でした。

自分ひとりで何かを作れる人に、あこがれはありました。でもそれで成功するのは一部の人で、向いてる人で、努力できる人だ。だから私は「得意な」コミュニケーションでその人達を応援するだけの立場だ。そう思っていました。
自分でつくる、をちゃんと選ぶこと。自分でつくるものを選ぶこと。それまでの私は「とりあえず」でつくったり、「一時的に」つくったりしていただけなのかもしれません。

「つくる」の反対が「消費する」だとしたら、すでに「つくる」の姿勢自体は持っていた気がします。例えば、シェアハウスのみんなの本を入れる棚が無かったからDIYしてつくってみること。自分たちの町にzineのイベントが無かったから開催してみること。寒い冬に友達が集まる鍋会を企画することだって、遠くの友達に手紙を書いて送ってみることだって、もらったハギレで服を繕ってみることだってそうです。「どうしたら楽しくなるかな」を考えて手を動かすことは「つくる」の精神だと思うから。

でもそれはどれも「点」でした。「瞬間」は楽しい。いや、半年や1年くらいは楽しい。でも2年、3年、5年、10年と積み重なるものではなかったんです。そもそも、時間というものがどんな感じで流れていくのかもわかっていなかったのかもしれません。ある程度長く時間を過ごさないと、それは分からなかったんだろうと思います。10年たたないと、20年たたないと分からないこともあるでしょう。
つくって、つくりつづけて、選んだ「つくる」を積み重ねていくうちに「自分の舟」になっていくのかもしれません。そんな舟が積み重なって「町」になっていき、「よのなか」になっていくのかもしれません。

世の中には毎年驚くような悲しい出来事が起こるし、諦めと混沌が渦巻いています。どんな社会課題も3歩進んだと思ったら2歩下がるくらいの速度でしか解決にむかっていかない。いや向かっているかも分かりません。
SNSで見せられるわかりやすくて中毒性のある幸せに、関わっている人たちの言葉に、迷い、とまどい、どうすればいいんだとうずくまりたい気持ちになる。けれども、たしかに自分の舟をこいでいる人、なにかをつくって生きている人はいるのです。それを社会の中で循環させて、仕事にして、信頼されて、連携が生まれて。そんなふうに生きている人のことを知ったり、声を聞くことは、自分の舟をこぐヒントになるかもしれない。

つくって生きたい、自分の舟をこぎたい。
でもめちゃくちゃ迷う。
そんな私が、「つくる人」の声と物語を届ける本が、木舟舎が本格的につくる最初の本になりそうです。
本という手段は、好きなタイミングで手に取ることができます。いつだってせかさない。つくる人も必要なら、受け取る人も必要です。届くまでに時間がかかるのもいい。

まだまだこぎだしたばかりの小さな舟ですが、どうぞお楽しみに。




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