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禍話リライト 覗かれた家

 近所に夫婦が心中した一軒家がありました。今は誰も住んでいませんが、なぜか取り壊されません。解体するのにも金がかかるから放置しているという噂もあれば、心中した夫婦の霊が出るから取り壊せないのだとか、噂はいろいろありましたが、家の中を通らないと庭に出ることができないという奇妙な間取りをしているという噂もありました。誰か中に侵入した不届き者がいるのでしょう。
 僕も興味本位で侵入してみようと思い立ちました。昼間だったら何事もないだろうけど、一人で行くのは気が乗らなかったので、友人の田中を誘いました。「昼間だったらいいよ」田中はすぐに了承してくれました。
 僕は車で田中を拾ってから、例の家の前まで行きました。その一軒家は正面から見ると格別変わったところはないのですが、両脇がとにかく狭く、家の中を通らないと庭に出れないという噂は正しかったのだなと思いました。「じゃ、入ろうか」「俺は外で見張ってるよ」「いまさら何言ってるんだよ」田中は頑として譲りません。「誰か来たら声を掛けるかららな、まかせとけ」そう言っておどける田中を放っておいて、僕は玄関のドアノブを回しました。予想通り、鍵が馬鹿になっているようでした。僕はそのまま家の中に侵入しました。
 家の中は窓から明かりが差し込んで薄暗くなっていましたが、特別怖い感じはしませんでした。間取りを確認すると、和室を通り抜け、すりガラスの扉を開けないと庭に出れない作りになっていました。庭は小さな台形状をしていましたが、窮屈で物干し竿に洗濯物を干すのでぎりぎり一杯という感じでした。頭上から日の光が強く射していました。
 さて、何事もなかったし早々に退却してラーメンでも食べに行くかと思って扉を閉め、和室を通り抜けようとした時、背後から視線を感じました。ぞっとして、ゆっくり振り返ると、閉めたはずのすりガラスの扉が少し開いていて、その隙間から中年の男の鼻から上がこちらを覗き込んでいました。さらにその男には下半身がありませんでした。すりガラスの下半分に何も無かったからです。
 僕は黙って一目散に玄関の方へと急ぎました。見えてはいけないものを見た、早くこの家から出ないといけない。外にいるはずの田中が玄関に腰を下ろしているのです。「何やってんだよ」僕は思わず声をあげてしましました。「早く出るぞ」と田中を急かして先に家から立ち去らせて、すぐにその後を追いました。すると驚いたことに田中の姿がありません。ポカンとしていると「いててて」と声が聞こえました。声がする方へ目を向けると、小太りの田中が、右脇の隙間から出てこようとするところでした。「田中、お前、先に」「全く散々だよ。服もズボンもボロボロになっちゃったよ。やっぱり中を通らないと庭には出れないらしいな」僕からしてみれば脇道から庭に行けるかどうかよりも、田中は二人いるのではないかという幻想に囚われていました。「一旦、俺の家によってからラーメン食いに行こう」田中は屈託なく言いました。
 いつものラーメン屋でいつものラーメンと餃子のセットを頼みました。食べている最中に気付いたのですが、田中は右手でラーメンをすすり、餃子を食っていました。田中が両利きであることを自分が知らなかったという可能性はあるとはいえ、いつもと違う手でラーメンを食べている事実が不気味で仕方ありませんでした。そういえば、車の中での田中はまるで人が変わったかのように寡黙でした。いつもなら一人で勝手に喋り散らすようなやつだったのです。
 ラーメン屋を出て田中を家まで送ってから、今まで田中とは連絡を取らず、会うこともありませんでした。僕の脳裏には明るい性格の田中ではなく、寡黙な田中のイメージが浮かんでいました。(和田文也)

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