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な日的記 10/30

お菓子くれなきゃいたずらに寝るぞ。
日記的なエッセイ「な日的記」です。

そしてこのエッセイはランダムに選んだ5つの単語を
くりぬいて顔の形に穴をあける企画。

使用しているサイトはこちら↓

そして今回の単語はこちら、


金平糖

子供のころはあんなにキラキラしていたのに、今になってみると砂糖の塊でしかなくて笑ってしまった。もちろんおいしいけどね。砂糖を固めたものをお菓子と言い張って、それが何100年も受け入れられ続けたのすごいとしか言いようがない。

江戸時代くらいで、「これただの砂糖じゃない?」って言った人いるんじゃない?

「おやっさん、金平糖というやつは味はいいが、
砂糖を舐めるのと何が違うんでい」

「なにぃ、俺の金平糖を舐めてるっていうのかい。」

「いや、舐めてるのは砂糖の方で、、」

「ええい、頭にきたお前なんて客じゃねえよ、出ていった出ていった、
おおぃおっかさん塩持ってきてくれ、おとといきやがれってんだ」

っていう流れ江戸中で63回あったと思う。

ちなみに金平糖は核となる粒の周りにゆっくりと砂糖の突起ができるように高濃度の砂糖水の中で回転させているので、作るのに数週間かかるのが普通だという。

金平糖づくりは甘くないということだ。

Uターンラッシュ

地方に住んでいるのでUターンラッシュに覚えがない。でも休日の両親に連れられてどこかへ遊びに行ったことは覚えていて、よく渋滞にはまっていたことも覚えている。

渋滞にはまったときに暇つぶしていた方法は主に2つで、一つはダビングしてCDに焼いたドラえもんのアニメをカーナビで見ること。これのおかげでドラえもんが好きになった。今はもう見ていないが、今もアニメを見るのはこの影響があるのかもしれない。

もう一つはアメを舐めることだった。車の横にペットボトルとかを入れるところがあって、そこには決まってアメが入っていた。今思うとなんでそんなもので時間を潰せていたのかと思ったが、どのタイミングでならアメをかみ砕くことができるか探っているだけで数十分は持っていたのだろう。

一粒のアメもエンタメになるなんてアメ側もびっくりだっただろう。

マジ卍

「マジ卍」とか、「エモい」みたいな言葉は安易に使われすぎて、これを嫌う人もいるかもしれないが、私は意外と肯定的。

とくにSNSではトークテーマや世間の話題の変遷スピードというのはとてつもなく速くなっている。ドラマやアニメの最新話の感想は放送日当日に言うことでしか意味はなく、話題の映画も公開から1週間でもう世間には飽きられる。

そんな中で、あのシーンのこの女優の表情がどうにも複雑で、とか監督のインタビューの内容から考えてあのシーンはやっぱりそういう意味なのではないか?みたいな感想が受け入れられる時間はない。

このような背景を踏まえると、とりあえず見た、とりあえず感情が動いたということを伝えることが重要になってくる。それがわかればいつか腰を据えて話すときに手っ取り早く話題になる。コンテンツが増えすぎた今は、共通の話題を探すのだけでも一苦労なのだ。

そしてそんなときに「マジ卍」とか、「エモい」とかが便利になる。こうして3文字で手を挙げておけばそれを覚えて後で聞いてくれる。何もしなければ見たことにならない。

自分探し

自分探しの旅というのが、自分を探すことから逃げる逃避行に見えて仕方がない。自分が何者かなんてことを考えるのを放棄して、とりあえずインドに行ってみよう。が正解。

私は時々、本棚を見つめる。自分が読んだ本が見える。本の内容が頭に入っていて、その内容が血となり、骨となっていることを実感する。自分が見えてくる。5分とかからない。

知らないものしかない場所に行って見つかった自分は、相対的な自分でしかない。もっと絶対的に自分が何者かを見出すには過去を眺めるしかない。

着ぐるみ

幼いころから着ぐるみが怖かった。何なら今も怖い。ディズニーにはいきたくない。表情が変わらないのが怖い。表情は何一つ変わらないのに、その動きだけが躍動的で、あたかも表情があるように感情を表現しているのが怖い。

暗いところで微動だにせずこちらを見つめるミッキーマウスがあんなに怖いのを知っているのに、その体が動き出すだけで夢を見ることができるなんて羨ましい。

最近その怖さが不気味の谷に似ているのではないかという仮説が立った。だとしたらキャラクターを人間に近いと感じている私の脳の状況はいいものかはたまた悪いものなのか、、
現状はどうでもいいが、未来のマスクがフルフェイスだったら結構困る。

おまけ





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