な日的記 10/24

日付変わってから書き始めている。
日記的なエッセイ「な日的記」です。

そしてこのエッセイはランダムに選んだ5つの単語を、
子守唄で寝かしつける企画。

使用しているサイトはこちら↓

そして今回の単語はこちら、


アルファ碁

将棋の天才である藤井聡太は「将棋の神に願い事をするなら?」という質問に対して、「一局手合わせ願いたい」といったという伝説がある。

それを何段かダウングレードした先に、私の「アルファ碁と勝負したいですか?」という質問に対する「五目並べなら」と答えたという嘘がある。

神なのかAIなのか、我々は人知を超えた存在に何ができるだろうか?もし彼らに感情が存在して、彼らを楽しませてみろ、と言われたら彼らにどんなエンターテインメントを提供できるだろうか?大抵の勝負事は彼らの前にはじゃんけんよりもつまらない勝負になってしまうだろう。いや、そんな運の段階よりもつまらない、石を積み上げる作業程度のものかもしれない。
人類はもうつまらないものになってしまうのだろうか。

発想の逆転でパチンコとか行かせたら案外はまってくれるかもしれない。

ケーブル

これだけ技術が発達して、無線でどこまでもやり取りできるような世界になったというのに、海の底にバカでかいケーブルが通っているなんて、普通に暮らしていたら忘れてしまう。

案外世界の最新の技術が使われていると思っていたら、100年前から変わっていないなんてよくあるはなしで、世界を揺るがす大発見があっても、結局最初の形がよかった、なんて言われてしまう。

そう思うと、この世界はあと何100年かしたくらいには「完成」してしまうのかもしれない。「完成」した世界で科学者たちは何を思うのだろうか、「完成」したと信じられている世界の「未完成」を見つけるのだろうか。

その行為はきっと世界に嫌われる。それでもその世界の科学者は科学を愛して「未完成」に愛されたものだけが科学者になるのだろう。

フーコーの振り子

地球が大きいことを確認するのは難しい。地球が太陽の周りを回っているのを確認するのは難しい。月が太陽に比べるとないに等しいくらい小さいのを確認するのは難しい。

その確認を助けてくれるのが科学だというのに、いつも私たちは自分の直感通りに世界が進行していくと信じてやまない。

もし、フーコーの振り子がたまたまで、天体観測の結果が誤差まみれで、アポロ計画が嘘だと言われても、納得できてしまうのが、スケールの大きいことの悪いところ。

低脂肪牛乳

子供のころスーパーに行ったとき、成分調整された牛乳のパッケージだけ、なぜか魅力的に見えていた。いつも飲んでいる無調整の牛乳は、牧場に牛がいるだけのつまらないものだけど、あいつらは赤かったり、よくわからないローマ字や数字がたくさん並んでいた。

あれから何年もたって、ローマ字や数字の意味が分かると、今度は違う意味であいつらが魅力的に見えてくる。健康を気にしてみたり、環境を気にしてみたりするとまた違った輝きで私を魅了する。

それでも結局パッケージの外の¥とか言うよくわからないマークの横のよくわからない数字を見て買ってしまう。

電車道

相撲が無差別階級なのが、いかにとんでもないことなのかを、たまに反芻しては恐怖する。スポーツマンの中でも特に身体能力が高い人たちが、あれほどの大きな体で体をぶつけあっているのだから、一歩間違えれば、というのは百も承知であるが、それでも彼らが全力でぶつかれるのはお互いに信頼関係があるからだろう。

恵まれた体格と、厳しい稽古に耐え抜いた体であることを、あちらも全力を出してくれるということを、お互いに勝ちたいということを、信頼できているから、スポーツとして成立していて、尚且つ多くの人が熱狂するのだろう。しかしそれでも土俵に電車道がかかることがあるのは何とも無常である。あるいは、面白いところである。

おまけ

とある願いが届いた。うれしい。

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